本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
先週のNEXT READING読書会で参加した城宝さんが「美しい国へ」を紹介しました。内容が面白そうなので帯広図書館に向かったところ、今年新たに出た本書にめぐり会いました。
【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
私は政治家として、大きな挫折を経験した人間であります、そういう人間だからこそ、日本のためにすべてを捧げる覚悟があります。
長引く景気低迷、迫りくる外交・安全保障上の危機など、日本を取り巻く環境は、ますます悪化しています、この国をどこに導くべきか――本書において、私なりの考えを述べたいと思います。
安倍さんの考えをお聴きしましょう。
【気になった抜粋】
「リベラル」……ヨーロッパでは、王権に対して、市民が血を流しながら自由の権利を獲得し、民主主義の制度をつくりあげてきた歴史をもつことから、同じ「リベラル」でも、他者の介入を許さないという「個人主義」にちかい意味合いで使われる、これに対して、アメリカにおける「リベラル」は、社会的平等や公正の実現には政府が積極的に介入すべきであると考える、いわゆる「大きな政府」を支持する立場だ。
国は、そのときの豊かさに応じた社会保障の仕組みをつくる、血のかよったあたたかい福祉をおこなうのが行政サービスの基本であることはいうまでもないが、身の丈に合わない大盤振る舞いはできないし、また、してはならない、なぜなら、給付の財源は、国民から徴収した税金と保険料だからである。年金というのは、ざっくりいってしまうと、集めたお金を貯めて配るというシステムだ、だから、加入しているみんなが「破綻させない」という意思させもてば、年金は破綻しないのだ、日本人の過半数が「もう年金はやめよう」といわないかぎり、このシステムは継続するのである、そこが、会社経営の破綻とは根本的に違うところだ。
わたしの考える福祉のかたちとは、最低限度の生活はきちんと国が保障したうえで、あとは個人と民間と地方の裁量でつくりあげてもらうというものである、「セーフティネット」と「自己責任」が重視される社会だ。
【響いた抜粋と学び】
時代は変わったが、わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている、それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である、「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである、「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。
なるほどね。個人的には安倍さんがいう「闘わない政治家」というのが一般的な気がしています。面倒になったら身を隠すイメージがありますが……安倍さんはもちろん「闘う政治家」ですね?
この部分でいうとさらに、会社に属しているあなたや、介護施設で働いているあなたは闘っているのか? と問われる部分です。お客様、利用者様のためとあれば、批判を恐れず行動していますか?
日露戦争……窮乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金もとれなかった、このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった、いや実際のところ、賠償金をとるまでねばり強く交渉する力さえすでになかったのだ。
このあたりの歴史認識はまだまだ僕はできていないと実感でした。日露戦争があった、ということはもちろん知っていますが、当時の庶民の生活は不況と呼ばれる現代をさらに下回っていたのでしょうね。
1950年に起きた朝鮮戦争の特需によって、ようやく復興への糸口をつかんだものの、それほど庶民の生活は向上しなかった、自民党が誕生する前年の1954年の東京には、50万人の失業者があふれていた。
データでみる県勢(2013年版)/矢野恒太記念会
をまたも開きました。2010年国勢調査では完全失業者が408万人です。
※ 1950年は総人口8320万人でした。
すぐに計算ができないので、対比ができませんが、1950年当時と現代とはあまり変わらないような気がします。
むしろ、現代のように衣食住に多くの人が困らない状況ではないので1950年はもっと大変だったんでしょうね。
靖国問題というと、いまでは中国との外交問題であるかのように思われているが、これはそもそもが国内における政教分離の問題であった、いわゆる「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決(1977年)で、「社会の慣習にしたがった儀礼が目的ならば宗教的活動とみなされない」という合憲の判断が下されて以来、参拝自体は合憲と解釈されているといってよい。
一国の指導者が、その国のために殉じた人びとにたいして、尊崇の念を表すのは、どこに国でもおこなう行為である、また、その国の伝統や文化にのっとった祈り方があるのも、ごく自然のことであろう。「いかなる国民も、国家のために死んだ人びとにたいして、敬意を払う権利と義務がある。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって、不名誉きわまる汚点となって残るでしょう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない」、この言葉からは、信仰の自由と権利にたいする神父の強い意志が伝わってくる、神父の提言もあって、靖国神社は難を逃れた。
もともと靖国参拝に対して中国は何も言わなかったのに、突如外交問題に発展しました。これは一説によると中国の政治問題がごちゃごちゃになり、国民からバッシングを受けるようになると、回避するために大東亜戦争のときのことを挙げて政治問題を棚に上げてしまうんだとか。
戦争が終結して、これからまた仲良くやっていきましょうよ、と言っているのに過去のことをほじくりかえしてどうするんですか。
あなたがもしケンカしてしまった友達がいたとして、仲直りしたとします。なのに、ある日、「あのときのケンカのことだけど……」なんて言われたらどうですか? 今さらかい! ってなりますよね?
「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴としての天皇である、日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ、ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか、素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。
本書にもありますが、各国の国歌のほとんどは”敵(国)をやっつけろ!”という内容です。士気を高めるために歌われたんでしょうかね。
対する日本の国歌は、日本及び日本国民が、いつまでも平和で栄えますように、という歌です。
安倍さんがおっしゃるように軍国主義の思想は一切なしです。
※ 捻じ曲げられた歴史……日本史を教えられた僕たちは確かに君が代のもと、天皇のために戦争で多くの人が犠牲になったと覚えさせられています。
1954年、保安隊に代わって自衛隊が発足すると、政府は、「自国に対して武力攻撃が加えられた場合、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」、さらに、憲法第9条第二項が禁じている「戦力」についても「自衛のための必要最小限度を超えるものであって、それ以下の自衛力は、戦力ではない。
したがって自衛隊は違憲ではない」という見解を明らかにする。たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ、わが国の安全保障と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界にあることがおわかりだろう。
読書会の中で「自衛隊はどうしたらよい?」という問いかけを僕はしました。難しい議題だったようで読書会の時間内には詰めることができなかったので、改めて僕自身も考えたくて抜粋します。
僕が小学生のころは日本は平和主義で交戦権はない、だから武力を持つこと自体が悪い、と教師から教えられました。
※ 僕の勝手な解釈も混じっているかもしれません。
今、大人になって考えてみます。
人間の付き合いで考えても、話し合いで済めばそれはもちろんいいです。しかし、話し合いだけでゼッタイに全ての物事が解決しますか? そんなことはないですよね。あなた自身の人生を振り返ってもそうですよね。すべての問題を話し合いだけで解決できましたか? 時にはこぶしでぶつかったことだってあるはずです。
国の問題はどうでしょうか? 外交だけで解決できますか? 日本の外を出れば今でも武力抗争をしている国々があります。人類の歴史は戦争の歴史です。
にも関わらず、自衛隊が違憲だ、戦力だ、と否定してしまって大丈夫だろうか?
アメリカが守ってくれる……友達がゼッタイあなたのことを守ります! それって信用しきって大丈夫? 友達に守ってもらうこと前提であなたは生きていますか? そうではなくて、まず自分自身の身は自分で守ることを考えますよね。
じつをいえば、日本の子どもたちの学力の低下については、わたしはそれほど心配していない、もともと高い学力があった国だし、事実いまでも、小学生が九九をそらんじていえるというのは、世界のトップレベルに近い、問題はモラルの低下のほうである、とりわけ気がかりなのは、若者たちが刹那的なことだ、若者が未来を信じなくなれば、社会は活力を失い、秩序はおのずから崩壊していく。
教育は学校だけで全うできるものではない、何よりも大切なのは、家庭である、だからモラルの回復には時間がかかる、ある世代に成果があらわれたとしても、その世代が親になり、つぎの世代が育つころにならなければ、社会のモラルは回復したことにならないからである。
おっしゃるとおりだと僕は思います。子育てをしていて、子どもが勉強出来た方がいい、それはそうです。でももっと大事なのは人間の根っこの部分、モラルを高めることです。
で、これはどうしたらよいのかというと、親自身もモラルを意識することだと思います。子は親の背中を見て育つ、というように模範となる親がしっかりした背中を見せるのです。
その数が増えることで社会のモラルも回復していくと思っています。
そもそも、人間はひとりで生きているわけではないし、ひとりでは生きられない、その人の両親、生まれた土地、その人が育まれた地域のコミュニティ、そして、それらをとりまいている文化や伝統や歴史から、個人を独立させて、切り離すことなどできないのだ。
今日の豊かな日本は、彼ら(特攻隊)がささげた尊い命のうえに成り立っている、だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか、国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊敬の念をあらわしてきただろうか。
今回の総選挙で自民党は「日本を、取り戻す。」というスローガンを掲げています、これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません、敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります。
今僕たちが生きているのは、大東亜戦争のとき日本の未来を、明るい未来を信じて散っていった特攻隊を含め先代たちのおかげなのです。
愛国心が薄れてきた現代ですが、改めて今生きていること、自分たちが生きている日本を見直そう。
【編集後記】
昨日であかりデイサービスの作品展が終了しました。多くの方に来場していただきました。ありがとうございます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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