お久しぶりです。年が明けてからしばらく放置が続いてて申し訳ありません(^_^;)。3年前の「あの世へ逝きかけた時の話」や、つい先日3/3に神戸で行われた、もんたよしのりさんの追悼イベントに参加した時のことなど、書きたいネタはたくさんあるのですが・・今回はまずこちらのお話から。

2月初旬の某日。ふと、押し入れを開けたら懐かしいものが奥からポトン、と落ちてきました。
HTBテレビのマスコット・onちゃんのシャーペン。
「これって・・確かIちゃん(仮名)がだいぶ前にくれたもんやないか!?何で押入れにあったんやろ〜でも懐かしいなぁ照れ
そうシミジミと想いを巡らせていたら、郵便局から我が家の固定電話に電話が。
「ゆうパックが届いておりますが、保管期限がもうすぐです。いかがされますか」「え?そんなんうちに届いてました?
ちょうど同じ日に、IちゃんからLINEで連絡が「ゆうパック送ったんだけど・・」「あ、そういえば郵便局から電話かかってきとって、多分今それ局留めになっとるわ。受け取るね〜」・・どうやら、最初に配達に来た方が不在票を入れ忘れ、そのままになっていた様子(だから私はブツが届いたことすら気づいてなかった)ムカムカ
onちゃんのシャーペン発見と、以前それをくれた友人からのゆうパックが同じ頃とは。タイミングというのは、本当に不思議です。

そして翌日、私の手元にIちゃんからの気持ちがこもったブツ・・いや、ゆうパックが届きました。
中身オープン〜ドーーーン!!
大泉洋ちゃんづくしラブラブ
洋ちゃん生誕50周年リサイタルのパンフと腕につけるライト(ステージ中の演出と連動して光る仕掛けになってたようです)、そして以前に洋ちゃんが出版したエッセイ本(彼女が2冊ダブって買ってしまった分らしいびっくりをいをいガーン)。ありがたや〜ルンルン

そう、私とIちゃんを今も繋いでいるのは「水曜どうでしょう」であり、大泉洋ちゃんであり、安田顕さん(Iちゃんは昔からヤスケンさん推しでした。今はもう売れっ子になっちゃって)であり、TEAM NACSなんです。

でも出会いのきっかけは、実は「どうでしょう」ではありませんでしたし、関東住みのIちゃんと直接会ったのも、今までに1度だけ(だよね?)。


今からおよそ20年ほど前、21世紀になったばかりの頃のことです。
私は、いっちょ前にPCを買って、ネットを始めました。当時、スマホはまだありませんでしたのでネットサーフィン(これもう死語だよね)はPCでやることでした。
しかも記憶が確かならば、光回線どころかADSLによる常時接続もまだ一般にはそんなに普及してなかった時代。インターネットは一般の電話回線を使ってのダイヤルアップ接続で、繋げるのにも今よりずっとお金がかかってました(3分でいくら、いや1分でいくらだったかな?私、実はあの当時そういう関係の仕事もしてたのに、もう忘れとるわ〜びっくり)
その頃は夜の23時〜朝の8時までの時間帯、NTTの「テレホーダイ」というプランがありまして、その時間内なら定額料金でネットつなげ放題になるので、少しでも接続料を安くするために夜中ネットを見まくって寝不足になって、それでも翌日頑張って仕事に行ったもんです。今や夕食後すぐに寝落ちるのに・・あの頃私も君も若かった爆笑おっと、話がそれました。

Iちゃんとの出会いも、そんなネットの海の中ででした。ただ最初は「どうでしょう」関係ではなかったんですよね。
「『西部警察』リュウ班・ジョー班」(名称これで合ってたかな)というサイトがあり、そこでの書き込みと交流がきっかけでした。
80年代初期に人気の刑事ドラマ「西部警察」で、若手刑事・桐生一馬(愛称「リュウ」)役を演じた加納竜さんと、北条卓(愛称「ジョー」)役を演じた御木裕さんのファンが集うサイトだったのです。
私もIちゃんも「ジョー班」所属。ジョー役の御木さんは1990年代に1度芸能界を引退されていたので(現在は事業をされながら、Vシネや舞台出演等で復帰されてます。前に何度か「クイズ脳ベルSHOW」にも出演されてました)、ネット上で懐かしい話をファン同士色々語り合えるのが、本当に嬉しかったなぁ。
ただ「リュウ班ジョー班」のサイトは、管理人さんの都合もあり短期間で閉鎖されてしまいました・・・しかし、そこからまだまだIちゃんとのご縁は今も続いているのですキラキラ

「水曜どうでしょう」という番組の存在を私に教えてくれたのは、Iちゃんでした。
この番組は北海道のローカル番組だったはずが段々と全国各地に人気が広がってゆき、今ではNetflixなどの配信でも観られるけれど、私が今も住んでいる名古屋は、地上波ネット(ちなみにテレビ局は「メ~テレ」←かつて「西部警察」も放送していた名古屋テレビ)が全国で一番遅かったはず。
そんな中ビデオ(これまた今ではほぼ見れず。もはやデッキがない)やグッズを送ってもらい、私も「どうでしょう」や大泉洋ちゃん、そして彼が属する演劇ユニットTEAM NACSの存在を知ってハマっていきました。
ちょうど時期を同じくして、JR名古屋タカシマヤで「水曜どうでしょう展」初開催。私も足を運んでみたら、想像以上に大勢のお客さんが!!
そしてたまたま私の側にいたのがイベント関係の方だったようで、小声での会話が聞こえてきました。
「こんなんが最近人気あるんですか?
「どうも北海道の番組らしいんだけど、最近名古屋でも放送始まったみたいだねぇ。若い人に人気あるみたいだよ、よくわからないけどね」
・・あれから18年経った(年月経過がはっきりしている理由は後ほど)けど、当時の関係者さん達、あれから「どうでしょう」は名古屋でもファン大勢獲得しましたよ!!ビックリしてるかな今頃。

ちょうどその頃私達夫婦が住んでいた家の近所に、たまたま「どうでしょう」の藤村Dの実家の喫茶店(今は閉店)があったと聞き、中には入れなかったけど前を何度も通ったのが懐かしい。
そして1度だけ、Iちゃん夫婦が名古屋に来てくれた時がありました。あの時は開港したばかりのセントレア(中部国際空港)に一緒に行ったと思う。旦那ケンケンのボロい車での案内で、散々振り回した記憶が・・ごめんよぉ〜だけどあの時は付き合ってくれて本当に嬉しかったウインク

当時からメールや手紙で互いを呼ぶ時に「おお心の友よ心友よ〜」と冗談めかしてジャイアンのように呼んでたけれど、20年も長くお付き合いが続いていればこれは「心友」と言っていい・・のかな。少なくとも、私はそう思ってます(一方的で勝手な気持ちかもしれんけど)。
これからもよろしゅうね、Iちゃん(&旦那さんのIたろうさん) 

さて、現在JR名古屋タカシマヤ12F催事場で開催中の「第18回 春の大北海道展」にて、「HTB GOODS SHOP」がオープン!
マスコットのonちゃんがX(旧Twitter)で「18年ぶり」と発言してるし、私が前回見たのもタカシマヤでだったので、本当にあれから18年経ったんでしょう。久しぶり!!また名古屋に来てくれて嬉しいよ。
私はまだ、先日の神戸行きや何やでバタバタしてたけど、今週には行くから待っててね〜←誰が待ってるんだろアセアセどうでしょうグッズやonちゃんグッズ買っちゃいそう・・って今や名古屋名物の「ぴよりん」とonちゃんのコラボグッズまで!これ欲しいわ〜音符


 

新年あけましておめでとうございます。

早速おみくじ引いてみました

・・が、いきなり結果がこれですか!?ガーン


まぁ、「『凶』って『大吉』と同じぐらい出る確率が低い=逆にラッキー」という考え方もあるらしいので、私の2024年はツイてるんや〜!!キラキラ信じ込むことにします。

(ホンマにそれでええんやろかガーン)



皆さんも、よかったらおみくじ引いてみてね

 

 

私が中学生の頃、大好きだったもんたよしのりさん。
今年10月18日に急逝され、来年3月3日に神戸でお別れ会が開かれますが、その会場チケットが先日、クリスマスイブの日から発売開始されました。
詳しくはこちらをどうぞ↓
私も参加させていただくつもりで、早速チケットを確保しました!
あ、右側にいるのは我が家の「ウッドちゃん」です。秋にタカシマヤで開催された「スヌーピーフェスティバル」でお迎えした、スヌーピーの親友・ウッドストック(って「それはどーでもいい」って?失礼しました〜あせる)

普段は愛知県、いや名古屋市内の同じ区からもめったに出ない私が、今回数年ぶりに県をまたいで旅に出ます。
どうしても、もんたさんにお別れと感謝を伝えたいから。そして、もんたさんの最後のライブフィルムが上映されると聞いて、どうしてもその姿を目に焼き付けたいから。
頑張って行くでね!!
・・前乗りかなぁ、翌日休みとって神戸まわろうかなぁ、新幹線どうやって乗ればええんやろ?(←久しぶりすぎて、そこから考えないといかん)
楽しみ、と言っては不謹慎かもしれませんが、その日に向けて頑張る理由ができました。


思えば今年も色んなことがありました。
泣いたり笑ったり怒ったり、時には心身ともにしんどくなったりもしたけれど、何とか1年生き抜くことができました。
お世話になった方々、また直接出会ってはいないけれど私のことを気にしてくれているかもしれない人達(何か、まわりくどい言い方で申し訳ありません)に感謝です。
ほんまおおきに、ありがとうございました。

今はひとまず、穏やかに年の瀬を過ごしております。
うちはおせちも食べる分しか買わない(だから大事にしていた重箱の出番がない)し、旦那ケンケンが「人の多い所は嫌や」と言うので、夫婦で初詣・・もありません。
多分、今回も寝正月になるんやろなぁ。
↑今年の鏡餅は、ガラス製のものを買いました。でも飾ってある後ろを見ると、いかに大掃除ができてないかよくわかる・・びっくり
数年前から夫婦二人とも健康問題があったりして、なかなかそこまで手が廻らんのですよ、と言っても神様からしたら「たるんどるー!」となるかもしれんけど。

「来年こそは、引越しの夢が叶うとええな」と思いを馳せつつ、昼間はNetflixで「進撃の巨人」を1話から観て(今まで観たことなかったけどすっかりハマりました。まだ16話やけど、って最初は「VIVANT」観るつもりやったのにね〜)、夜は例年通り「紅白」を観ながらお蕎麦を食べて、年越しをしたいと考えています。
2024年まで後9時間!!私にも、皆様にとっても、いい年が来ますように。来年もどうぞよろしくお願い致します。
そしてこれは毎年思うこと。この地球上に、世界中に、本当に平和な世の中が訪れますように。

最後に、今年最後の私のお買い物。濃厚でとてもいい香りがするハンドクリームです。


今から3年前、2020年の年の瀬。
私は、首の後ろが痛くて寝ていました。その時理由はわからなかったのですがとにかく痛くて、あおむけに寝ることができずにうつ伏せで。
「どうせ寝違えたんやろ〜正月明けたら病院行ってこいよ」とケンケンに言われ「うん、そうするわ」と答えながら、夜に紅白を観ながらお蕎麦を食べて、だけど座ってテレビ観てるだけでも首が痛いからまた自室に戻ってうつ伏せ寝。そんな大晦日を過ごしておりました。
・・それからわずか2週間後に、とんでもない事態が起こるなんて予想もせずに・・
あれから3年経って、かなり忘れてる部分もありますが、ようやく客観的にあの時の状況を見られるようになったので、年明けから少しずつこちらに書いていこうと思います。
2021年1月。私が「おまけの人生」を頂いた話を・・
もんたよしのりさんが、72歳で突然旅立たれてからもう、2ヶ月が経ちました。本当に月日が経つのは早い・・。
そして、もんたさんの公式ブログで生前にレコーディングされていた曲がアルバムとしてリリースされることと、来年3月3日にもんたさんの育った地・神戸でお別れ会(フィルムコンサートがあるそうです)が開催されることが発表されました。

ここでもんたさんについて、改めて書こうとしているのは、私にとって"人生で初めてコンサートに行ったアーティストがもんた&ブラザーズ"だったからです。
1981年の、もはや日にちは忘れてしまいました(2枚目のアルバム「Half&Half」が出た後だと思います)が四日市市役所の隣りにあった決してキャパの広くない、でも市内で唯一のホール「四日市市民ホール」(老朽化により、その年内に別の場所に「四日市市文化会館」ができた為取り壊され、現存しないはず)に母同伴で行ったのがライブ初体験!!
42年も前の話で、セトリもはっきり覚えてはいませんが「生で観るコンサートって、こんなに迫力あるんや、楽しいんやキラキラ」と目覚めさせてくれたのは、彼らです。

1980年、彼らが「ダンシング・オールナイト」でデビューし、その後その曲が"80年代で最も売れたヒット曲"となった頃。私はまだ、三重の田舎(街の中心からバスで20分以上かかるほど離れている山の中)で暮らす、セーラー服の中学生でした。
彼らは全員20代で、最年長のもんたさんは29歳(ソロでデビューしたけれど売れず、10年近くもの長きに渡り苦労されたそうです)。
10代前半の私からしたら、もちろんテレビのブラウン管や雑誌のグラビア越しではあったけれど皆さん大人のカッコいいお兄さん達に見えたし、ショートカットで小柄、でもすごい声量とそれまでにあまり聞いたことがなかったハスキーボイスで熱唱するもんたさんの姿は、私のハートを捕らえるのに十分すぎるほどでしたおねがい
・・といっても実はもんたさんと同じぐらい、ギタリストの高橋マコトさん(当時は本名の高橋誠さん名義。読み方同じ)も好きやったんやけどね。下敷きに挟んでいたのは、アイドル誌から切り抜いたもんたさんとマコトさんのグラビアでした・・なんて恥ずかしくてご本人には言えない照れ

今回、もんたさんの訃報を知らせるネットニュースを見ていて、「もんた&ブラザーズ=5人組バンド」と書いているメディアが多かったので「あれ?」と思ったのですが、多分彼らはこのCDジャケットを見て記事を書いたのではないかと。

↑ 多分活動後期のメンバーだと思うのですが、私はこの頃はもうファンをやめていた(多分。「DESIRE」がスマッシュヒットになったけど、3枚目のアルバム「ACT3」が出て、マコトさんが脱退された辺りから活動を追えなくなりました。だって当時の情報源はテレビとアイドル誌しかなかったし)なのでいまいちピンとこない

・・というか前列真ん中、もんたさんの右隣のお方はどなた?



私の中ではもんた&ブラザーズは、この6人の時が最強だと思ってます←個人的な感想ですので、お許しを。

(以下の写真は、ネットで拾ったのを勝手にお借りしてます。レコードとか全部、実家に置きっぱななもんで、ごめんなさい)

↑このジャケ写がめっちゃ好き星
左から(敬称略でスミマセン)・・渡辺茂(ベース)、マーティー・ブレイシー(ドラム)、豊島修一(ギター)、高橋誠(ギター)、もんたよしのり(ボーカル)、林政宏(キーボード)
もんた&ブラザーズのレコードジャケットは、もんたさんがお一人で写っている物が大半だったのですが、こうしてメンバー全員が和気あいあいと、本当にバンドらしさが表れた写真もあったんですよね。

上のジャケット写真は2枚目のアルバム「Half&Half」のものだけど、そのタイトルの意味が表す通り、もんたさんとメンバーの関係はミュージシャンとしては「ガッツリ対等」だったんだと感じてます(ギャラの話とかは知らんよ〜それに、そんな所には興味あらへんし)
特にこのアルバムは内容も含めて、今でも大好きです音符ハート

今聴くと、皆さん派手ではないかもしれないけれど、職人肌のミュージシャン揃いだったんやなって・・素人が偉そうにスミマセンガーンそれってば田舎の中学生にとって、なんて贅沢な音楽体験だったんだろう?
しかも歌詞が凄く「オトナの愛の世界」なんですよね。中学生で、意味よくわからんのに口ずさんでたわ。

とはいえ、メンバー構成自体がかなり流動的だった・・というのは本当につい最近になって知ったぐらい。
それというのも、もんたさんが最後のチャンスに賭けて1980年にブラザーズと共にデビューする前から、1年以上準備期間があったようで、もうその頃からメンバーは入れ替わってたみたいです。
以前に聞いた話だと、後にジュリーのバックバンド・オールウェイズを経てEXOTICSに加わる西平彰さん、村上ポンタ秀一さんのプロデュースでソロシンガーとしてデビューされた山中のりまささん、同時期に美乃屋セントラル・ステイションで大橋純子さんと共に活動していた六川正彦さんも参加していたことがあるらしい(間違ってたらごめんなさい)。
そしてデビュー後、ファーストアルバム「ACT1」のレコーディングを最後に、マコトさんと一緒にギターを担当されていた角田順さんがNASAというバンドでデビューする為脱退、豊島修一さんと交代となり、その年のレコ大や紅白歌合戦に出場し私が行ったコンサートツアーで来てくださったメンバーが全員揃ったのです。
翌1981年に発売された3枚目のアルバム「ACT3」のジャケットには、メンバーが7人写ってます。それからマコトさんと林さんが脱退されて、最終的には5人になって解散〜の流れだったのかな?どなたかその辺詳しい方、教えて下さいませ。
(ちなみに余談ですが、角田さんが参加されたNASAの「千夜一夜」というアルバム、こちらも私はめっちゃ名盤だと思ってます。実家にまだあるかも。LP1枚の値段が2500円から2800円に値上がりする途中でちょうど2700円だった記憶が。そしてNASAのキーボーディストの大浜和史さんが、高橋マコトさんと高校時代からPENGUINというバンドで今に至るまでずっと一緒に音楽活動されてた・・ということを知ったのも、本当にごく最近です。ミュージシャンの繋がりってスゴイ!)

しかし、気がついたら彼らは解散していました。
1984年だったかな?私の中学の同級生が別の高校に進学していたのだけど、そこの文化祭に「もんた&ブラザーズが来た」と自慢していて、私が「ええな〜うちなんて某仏教系大学の男声合唱団がゲストよ」(一応カトリック系の女子校だったのに何故未来の坊さん候補達がゲスト?)と羨ましがった記憶があるので、それからさほど時間が経たぬ間に活動は縮小していったようです。

やがて20年以上の時を経て、もんた&ブラザーズは再結成しました!私が好きだった時の、最高のメンバーで!!

ただ何故か、2007年の復活を私はリアタイで全然知らなかったんですよね。それどころか、その当時自分が一体何をしてどうやって生きていたのかもほとんど記憶にないアセアセ
ああ、この時にリアルで知っててなおかつお金と健康上の問題がなければ、東京は無理でも大阪へは行ったかもしれないのに、今はただ悔しい〜時は戻らないえーん

復活ライブは、ずっとサブスクで音源だけはよく聴いていましたが、今回もんたさんの逝去を機に思い切って買っちゃいましたよDVD!!(ついでにスマホで観られるDVDプレイヤーも・・ン万円単位の買い物なんて滅多にせんし、我ながら思い切った事したわ〜)
・・何だか私が買った時よりもまた値段が上がっとるな〜定価の10倍、ってプレミアつけすぎやろハッ

「ライブ帝国」は、もんた&ブラザーズが実際に活動していた時に出演した「宇崎竜童のファイティング80's」から、1980年と1982年(放送時期は一部1983年)の公開録画ライブの模様が収録されてます。当然、こちらの皆さんの方が若い。
だけど年齢を重ね50代となり、解散後も全員現役プロミュージシャンとして活動されてきた、もんたさんとメンバーの姿と音楽の方が自然にスッと入ってきて、魅力的に感じるんです。だから、DVDが手に入った日からずっと見てるのは復活ライブの方ばかり。

もんたさんは亡くなる前にレコーディングをされていて、2月にそれらの曲がアルバム「グッバイ ブラザー」として発表されます(偶然だろうけど、タイトルが何だかすごく深くて尊い)。
最近はNHKの歌番組にも出演されていて、まだまだ歌い続ける気満々だったんやろうなぁ・・いきなり天国に行ってしまって一番ビックリしてるのは、もんたさん御本人かもしれんなぁ。

復活ライブの映像を拝見して思うこと。まだまだ、70歳を過ぎても熱唱するもんたさんを、そしてもしかしたら、いつかまた再集結が叶って一緒にライブするブラザーズが観たかった
・・あ、でもこれはもうとっくに叶わなくなってたんだった・・
2016年7月17日に、最年少だったベースの渡辺茂さんが59歳の若さで亡くなられてます。私が「最強のメンバー」だと思った6人の内、既に2人が故人なんてタラー残る4人の方々も70歳手前、ギターの豊島さんが少し前に大病されて、ようやく最近復帰されたと聞きました。

どうかブラザーズの皆さん、お元気で長く音楽活動して下さい。私、なかなか遠方までライブ観に行けないかもだけど、今後のご活躍をできる限り追っかけますから。
かつて12歳〜13歳で中学生の田舎の女の子だった私、今じゃ名古屋のオバハンになったけどやっと気づいたこと。それだけ好きだったんですよ、もんた&ブラザーズが・・

もんたよしのりさんのご冥福を心よりお祈り致します。
そして来年3月のお別れ会、何とか行けるように今から頑張るよグー

ありがたい夢が見られそう

 

いきなり大寒波がやってきて、「ただでさえ気温や気圧の変化についていけない体質なのに、今週もうどないしよ〜」状態の私が、久々にAmebaのおみくじ引いてみて

・・今回はこんなん出ましたがなアセアセ

ありがたい夢(って、どんなんやろ?)を見ながら、そのまま冬眠に入りそうですよ自分zzz


ただ「寝具を変えてみると良し」とありますが、私はYahoo!ショッピングでスヌーピーのもふもふパジャマを2着注文したばかりでして、もしかしたらそれが吉となるかな?


ちなみに最近、お風呂は長めです。花王の「バブ」を、ちょっと温度高めのお湯に入れてゆっくり浸かるのがもう、極楽極楽むらさき音符

スヌーピーとコラボのバブーピーも好きだけど、最近のお気に入りはこちら↓


【追記】しばらくブログ更新の間が空いてます・・お願い

実はちょっと前に、もんたよしのりさんの公式ブログで来年3月のお別れ会のお知らせがあって、そのことについて書きかけたのですが、途中でそのままになってました。

やはり、もんたさんが(正確にはもんた&ブラザーズの時ですが)「人生で初めてコンサートにいったアーティスト」でしたから、色々思う所がありまして記事も長くなりそうです。

後日またアップしますので、もしお読みいただける方がいらっしゃいましたら、お待ち下さいませ。


皆さんも、よかったらAmebaおみくじ引いてみてね↓

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