軽蔑 ★★
ゴダールを観るのがきつくなった。
絵はきれいだ。
でもストーリーとセリフがあまりにも抽象的だ。
絵はきれいだから、広告で使えそうなのもあるが、
セリフは、広告には使えないだろう。少なくとも僕にはあまり刺さらない。
北野武の「アキレスと亀」をこの時代にやったら、すごい反響だったかも。
批判対象ど真ん中だったろう。
まあ、こんなに酷評しても、時々借りてしまうんだよな、ゴダール。
センチメンタリティは効く 3/3 (日経 11/5 夕刊20面の羽仁進さんのコラムを読んで)
「思い返す原因は、自分へのセンチメンタリティだ」
と暫定的に定義してみよう。
それと平行して、なぜ思い返してしまうのかについても考えてみよう。
……
案外、答えは簡単なのかもしれない。
こうだ!
「気持ちいいから」
となると、全くもって恥ずかしい結論が出てくる。
「僕は、思い返すことが気持ちいいと思っている」
暫定的定義を当てはめると、
「自分へのセンチメンタリティを気持ちいいと思っている」
簡単に言うと「しっとりと自分が好き」。
これってナルシストってことじゃないか…。
うーん。
まあ…、いいか。
そう考えると、いろいろと説明はつくかもしれない。
悲しい映画、寂しい映画が好き。
邦画やヨーロッパの映画のほうが、アメリカの映画より好きなことが多い。
日本庭園がすごく好き(関係ないか…)
話がだいぶ脱線している。
経緯はこうだ。
羽仁進さんのコラム
↓
今生の別れは一体何回あったのか?
↓
僕は今生の別れ系出来事を振り返る傾向がある
↓
何が振り返らせるのか、なぜ振り返るのか
↓
自分へのセンチメンタリティが振り返らせた、気持ちいいから振り返った
↓
自分のことがしっとりと好きだ
↓僕はナルシストだ
↓
僕の趣向に説明がついた
↓
ナルシスト確定
もともとこんなことを考えてしまったのは羽仁さんのコラムが僕の心に刺さったからだった。
僕は、このコラムを読んで、祖父のことを思い出したのだ。
僕に将棋を教えてくれた祖父のことを。
縁側で将棋を指したこと。
目が悪かった祖父が、日が落ち始めると
「盤が見えん」と言って、自分の部屋に帰っていったこと。
攻め将棋の祖父と真反対の受け将棋を好むようになったこと。
もう戻らない人や時間を思い出すと少し悲しくなる。
と同時に、心が優しくなり穏やかになるのを感じる。
どうやら僕にとって、この思い返すという「思い出反芻行為」は、
心を回復させるの働きがあるのかもしれない。
今生の別れは辛い。
しかし、その辛さ以上に私を助けてくれる。
「今生の別れ」は、歌に、小説に、たぶん広告にもとりあげられてきたと思う。
きっと人の心を優しくする効能があるから、テーマになったのだろう。
今夜は、寝る前に祖父のことを考えると思う。
また、寂しくなってしまうと思う。
そして、優しくなっていくのだろう。
もしかしたら、人はこんなふうに傷ついてしまった心を癒し、生きていくのかもしれない。
もしそうなら、なんとまあ、人は弱くて優しくて素敵な生き物なのだろう。
センチメンタリティは効く 2/3 (日経 11/5 夕刊20面の羽仁進さんのコラムを読んで)
昨日の続き。
じゃあ、しつこく思い返すことに共通点ってあるのだろうか?
少なくとも、それは少しでも「特別な」要素を含んでいるものじゃないか?
ふむふむ。
おいおい、特別ってどんなふうに特別なのよ?
具体的に、共通点を探ろう。
思い返すことには、別れの寂しさを含む出来事(以下、惜別系)が多いな。
いや、栄光を振り返るってこともあるぞ。
でも、あの頃はよかったね系(以下、あの頃系)は、
惜別系より長い時間経ってから思い出す気がする。
いやいや、「あの頃は戻らない→あの頃にさようなら」ってことだから、
あの頃系も一種の惜別系に入るのでは。
うーん…。
つまり、惜別系は時間の経過量に関わらず思い返してしまうもの・・・。
違うな…、それは性質であって、本質ではない。枝葉末節だ。
寂しさや悲しさ、昔の喜び…。
つまりこうかな。
僕がしつこく思い返してしまうことには、
自分へのセンチメンタリティが混じっている。
キーワードは自分へのセンチメンタリティ。
なかなかしっくりくるぞ。
けっこう長くなりそうだな、この話。
こんな話、誰が読んでいるんだ…、謎だ。
自分を整理しているだけで、
とりあえず、今日はばてた。
……to be continued.