今朝も脳をお休みするためにぼ〜っとしていた時のこと。
脳のお休みのため、敢えてぼ〜っとする時間を毎朝とっています。
•スマホ見ない
•メモとらない
•本読まない
•特定の考え事をしない
ひたすらぼーっとすることで、思考の脳、左脳さんを強制リセット!
余談ですけど、ブログを書いている最中に3年前のさとうみつろうさんのこの記事を思い出しました。
スマホが出てきて日本の街から「ぼ〜っとしてる人」が消えてしまった。
街には、
「何かをしている人」
「スマホをいじってる人」
しかいなくなってしまった。
という内容。
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実はぼ〜っとしてることは、最近の脳研究では、デフォルトモードネットワークといって、何かをしている時より何倍も活性化してるそうです。
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3年前より今はもっとぼ〜っとしている人がいなくなってしまった気がします。私もつい外にいるとスマホ触っちゃう(苦笑)
昨日から「不平不満や愚痴を発してる自分に気づく」エクササイズを始めましたが、脳休みが終わる頃ふと「そもそもなんで私は不平不満や愚痴を口に出してしまうんだろう?」という疑問が湧きました。
癖で言ってしまってるけど、じゃあ元々なんで??不平不満や愚痴を実際に口に出すことで何のメリットがあるのだろう?と感じたんです。
あっ
そうか。
自分の感情を感じるのが怖いから思考で散らしてるんだ。自分の感情や感覚を感じることが怖くて、愚痴を言ってそこから目をそらして思考でコーティングして、誤魔化してるんだ。
これに気付いた時、ストンと腑に落ちました。
そっか。ありのままの自分を認めるとか、自己受容というのは、自分に湧き上がってきた感情や感覚をそのまま感じてあげることなんだ。
言葉を口に出す前に一呼吸。
自分の内側に入る。
今の自分はどんな感覚か?
どんな感情を感じてるか?
を聴いてみる。
特に私には「ごめんなさい」という罪悪感が強いのですけど、その罪悪感を落ち着いて感じようとすることはとても不快感を呼び起こすんです。
罪悪感を感じることは不快。
できれば誤魔化してしまいたい。
言葉で発して感覚を散らしてしまいたい。
けれど、今日は湧き上がってくる罪悪感の居心地の悪さに留まろうとやってみました。
なんかモニョモニョする。
気分が悪い、、、。
でもそのままで、、、
ごめんなさい、、、
ごめんなさい、、、
すると、その罪悪感の底にあるものが見えてきたような気がします。
不快感の中に入っていく。
罪悪感を感じるエクササイズ。
そしてどんなことが浮き上がっても自分にマルをつけていくエクササイズ。
少しずつやっていきます。
では♫(^人^)
らくしゅみ
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