鼓書芸人 1992.8.11 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 北京の鼓書芸人、方宝慶は兄の宝森、妻と2人の娘と暮らしている。鼓書芸人はひとりが弦楽器、もうひとりが太鼓を打ち物語を歌う芸人のことである。

 

 日本でいえば、講談のようなものか、女性が語るから人気が出る。日本の娘妓太夫は相当人気があったそうで、それは女性の色気が男を引きつけたからに相違ないし、この中国の芸も同じようなものじゃないか。ただ、日本のものと、中国のものとは、聞いた感じがまったく違うし、観客の反応は同じものではないだろう。

 

 芸能というもの、芸人というものが低い地位にあるのは同じようだ。河原乞食として、旦那にへいこらするのは芸人のつとめだった。それでいて金儲けの道具にされるのも又芸人なのだ。今のいわゆる芸能人だって同じこと、観客にサービスするしかない、全盛を極めたって、それは幻影でしかない。いつまでも、あると思うな、砂上の楼閣、人気なんて薄っぺらなもの、地道に暮らしているのがいいんじゃない。

 

 日本軍が中国に侵攻したため、北京から重慶に逃れたが、そこにも日本軍がやってきて爆撃をしてきた。この地で鼓書の学校を作り弟子たちを育てるつもりだったが、それは全て出来なくなってしまった。彼らの苦労は何もかも戦争、日本のせいだった。

 

 今の中国の現状は知らないが、昔の中国がいわゆる封建的な国であり、ずいぶん苦労した人がいたようだ。映画の主題はそんなのばかりじゃないか。そういう人たちがいて、そこからなんとかして抜け出そうとするところに物語の出来る源がある。だから中国映画が面白い、といえるのだろう。もっともどんなに国の制度が完璧になって、生活で困るような人が皆無になったとしても、人間、悩みがなくなることはないだろう。映画のネタが細るようなことはあるかもしれないが。

 

 それにしても、この国の映画に出てくる女性はみな同じタイプに見える、かわいくて、しっかりしたタイプだ。そういう役柄でもあるからということもあるが、どうも、彼女たちは中国の人たちの見る美しい女性たちなのだろう。感覚としては私が絶世の美女と思う女性とは違うが、かわいい、という形容がぴったりの感じだ。

 

 戦争が終わって、芸人の家族は散り散りになってしまった。北京に戻るのか、ここに留まるのか、行先は見えてこない。

 

監督 ティエン・チュアンチュアン

出演 リー・シュエチェン チュウ・シュイ チェン・チン タン・ミンティ

1988年