偉人たちとの夏 山田太一 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 これはどうしても比較してしまう。比較せざるを得ない。山田太一の小説は好きで読んでいた。脚本家の書く小説らしく簡潔で分かりやすく、そのままシナリオになりそうだ。市川森一の脚色はほぼ小説に倣っている。監督の大林宣彦は彼独自の世界を大展開していて、怪奇譚まがいの霊気であふれている。

 

 

 

異人たちとの夏 1989.4.24

 

 この話は霊魂幽霊ものだ。死者が生者と交わい、交流し食事までする。場所は現代の浅草、原田英雄(風間杜夫)はむかし暮らしていたアパートで原田英吉(片岡鶴太郎)原田房子(秋吉久美子)の両親と会う。亡くなってから30数年ぶりに会うなんてことが出来るなら、そういう体験をしてみたい。これは誰もが願うことだろうが、実現することはないのも分かっている。

 

 天国があって死んでそこに行けば亡くなった者たちと再会する。多くの宗教がそう言っている。それで死への恐怖を軽減させ、死後の再生を夢見させる。現実世界が悲惨なものであっても、将来は天国にいけるのだ、と思い信じれば気持ちが救われるじゃないか。それを肯定であれ否定であれ証明することはできないし、誰も天国から戻って来た者はいない。

 

 この両親の登場の仕方は今までにない、こんな登場見たことない。息子のただの空想か想像か、死者が実世界にひととき戻ってきたのか。それにしても不思議な話だ。こんなオリジナルな想定はノーベル賞ものだ。

 

 異界の異人たちは戻って来たい想いがあるのだろう。でも来る方法がない。たまに極たまに来られてしまう異人もいたりして、浅草辺りをうろついている。

 

 ディズニーランドが夢の世界なら、浅草あたりにあなたの故郷へどうぞ、とかのテーマパークを作って欲しい。フランス映画で似たのがあった。実際に作るとなるとほぼ不可能だろうけれど、あったらいいなと思う。

 

 浅草は観光地として特に海外から来る観光客の第一に来る場所だ。雷門から仲見世、浅草寺と回って商店街で食事、そんなところだ。今は高い塔も近くに建った。あそこも浅草の一部。

 

 私の故郷は浅草から出る東武電車の沿線にある。だから親に連れていかれた繁華街は浅草だった。浅草だけだった。浅草で乗り換えて上野すら行かなかった。浅草ひとつ、浅草のみだった。それでも中学生になり都電に乗って東京見物へと足を延ばした。節約して徒歩で行くこともあった。東京タワーまで歩いた覚えがある。

 

 浅草は身近な街だった。そうだ、思い出した。浅草は危険だから行くな、と言われてた。子どもだけで行く場所ではないらしい。大人向けの街なのでした。その訳は後から知った。あそぶところにも子ども向けと大人向けがあるということ。まだ子どもでした。

 

 山田太一の故郷は浅草のあの辺りで、彼の郷愁を誘う場所は浅草なのだろう。ここで私は強引にも山田太一と私の一致点を見つけた。場所としての浅草だ。さらに仕事場として浅草の近くにいたことがある。暇なとき自転車で浅草まで行った。どんだけ山田太一に無理強いをしたいのだ。要するに浅草近辺は我が家のように知っていて、小説ででも映画でも知った場所が画面に出ると嬉しくなる。

 

 小説の書かれた80年代は浅草が寂れつつあった時期だ。小説にも出てくる国際劇場がホテルに変わり、数多くあった映画館が少なくなっていった頃だ。ロードショーを上映する映画館がないのが欠点で、映画は最新の映画をやってこそのものでもある。東映や松竹はそれぞれの新しい日本映画を上映していたので、浅草松竹で寅さんを見るのは楽しみだった。寅さんは浅草か新宿が合うでしょう。 

 

 現代の浅草は進歩がない。見かけの日本らしさが外国人に受けるだけで終わっている。戦前ないし戦後の一時期の喧騒は今いずこ、人がいるのは明るい時だけだ。試しに夜行ってごらん、だあれもいないから。店が閉まっては観光もないだろう。昼間の好景気で元を取って店を閉める。商売になるから、それ以上の欲がないんだ。たいそう贅沢な御商売だこと!

 

 映画は上手くいけば小説を超えることもある。この映画は主に俳優の力で見せている。小説での人物は読者の想像上で動く。それに対し、映画は映像で人物が動く。動作も表情も付いているから、上手くいけばの話、より良いものができる。特に原作良し、シナリオも、ついで映像でさらに良い化粧がされれば悪くなるわけがない。

 

 この話、自分だったらどうかな、と思ってみても生まれた場所も時代も異なるし、何よりこのとんでもない設定に乗れそうにない。やるのは難しいことになりそうだ。

 

 なんでもイギリス映画になったと聞いた。すごい挑戦だ。どんな具合か知りたい。

 

監督 大林宣彦

出演 風間杜夫 秋吉久美子 片岡鶴太郎 永島敏行 名取裕子 入江若葉 林泰文 奥村公廷 角替和枝 原一平 栩野幸知 桂米丸 柳家さん吉 笹野高史 ベンガル 川田あつ子 明日香尚 中山吉浩

1988年

 

 

異人たち 2024.4.20 シネマイクスピアリ16

 

 ロンドン、行ったことなし、土地勘なし、行きたい場所ではある。映画でよくみた場所とは言える。思い入れはない。それを言えば、私はゲイではない。ロンドンを知らないのと同じようにゲイであることに思い至ることはない。彼らは自分の好きなように生きればいいと思う。私が私の好きなように生きるのと同じことだ。誰だって好きに生きるべきだ。他人がどうのこうの言うことはない。

 

 偏見以前の問題、同性愛が病気とされていたこと、犯罪のように扱われていたこと。実際に犯罪者のように囚われる人がいたこと。それも最近まであったし、国によってはまだあることだ。

 

 ほとんどの人は他人ごとであるし、別に人様の恋愛観を騒ぎ立てる必要ないんじゃないの、と思ってる。まして病気のはずはないし、治す必要はない。誰かの好きなこと、モノについて他人が口を出しちゃいけないんだよ。好きでやってること、好きなものがあると楽しい。無理して探すことないけど、色々たくさんあるのもいい。

 

 この映画は原作者の論点を変化させている。両親に出会い、思いがけないことに驚き、それを受け入れ、ありがたく甘受する。だってこんな奇跡のような幸運を逃す手はない。ここは取り入れている。ゲイについては原作にはない。全く対象外だ。そのことを取り入れたのはアンドリュー・ヘイだ。自分の経験したこと、想いを表現している。それによって原作の視点をずらし、薄めたと言える。ホラーを見に行ったのに、出てきたのは別物だった、という感じ。

 

 この題材で別に山田太一原作を離れて撮ればいいと思う。

 

監督 アンドリュー・ヘイ

出演 アンドリュー・スコット ポール・メスカル ジェイミー・ベル クレア・フォイ

2023年