落下の解剖学 2024.3.23 TOHOシネマズ日本橋3 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 題名とちょっとした宣伝文句だけで想像して、鑑賞を躊躇することがある、よくやる間違いだ。この映画がそうだった。なんとなく避けているうちに終わっていることがよくある。これはたまたま場所と時間がピッタリ合ったから見た。映画との出会いはそんなもんだ。出会わないのもそんなもの。映画はすべからく自分で見てみないと始まらない。全ての映画を見ることは不可能。誰もが選んでいる。選び方は人それぞれだ。

 

 これはようするに殺人か自殺かを問う映画。彼女が警察に逮捕されたかどうかは問題ではない。警察はえてして過ちをおかしがちだ。最終的には裁判が決着をつけてくれる。その裁判が警察以上に間違いを起こすのだから困ったものだ。いずれも人間が間違ってか故意にか正しくない判断を下す。犯人あるいは容疑者本人は真実を知っている。それなのに有罪とでもなったら地獄行きだ。冤罪は避けられない、なぜなら人が人を裁くことができないからだ。死刑になって執行されたのち冤罪と知れたらどうなる? 死刑反対の理由がこれだ。

 

 裁判劇は負けそうな状況から、有力目撃者や強力証拠を出して更に優秀弁護士の活躍で逆転勝利、なんて感じ。裁判が実は地味な進行だというのは想像できる。映画の裁判はショーだね。

 

 裁判というとシーラッハを思い出す。映画「コリーニ事件」は見てないが、フェルディナント・フォン・シーラッハの出版されている本は読んでいる。弁護士としての経験を材料に創作していて、とても面白い。実際の裁判にたずさわっているから現実感いっぱいだ。

 

 この映画は彼の小説に比べると裁判劇としては弱い。売れっ子作家と、書けない作家が一緒に暮らしている。彼らは結婚を解消すればよかった。小説家なら生き方を分析して再構築させる作業は得意なはず。でも自分たちのこととなると話は別ってことかな。

 

 この映画はフランスの話で、裁判の様子が見られる。双方の弁護士のやりとりを裁判官はやたら止めることが少なく、ほぼ自由な応酬がある。異議あり!異議あり!で止まる日本の裁判とは大違い。審議がいちいち止まっていてはよけい時間がかかってしまう。裁判官が裁判の方向を正しくさせて、誤った結果に導かせないようにする。この裁判は正しい結論だったと思う。

 

監督 ジュスティーヌ・トリエ

出演 サンドラ・ヒュラー スワン・アルロー ミロ・マシャド・グラネール アントワーヌ・レナルツ サミュエル・セイス ジェニー・ベス サーディア・ベンタイブ カミーユ・ラザフォード アン・ロトジェ ソフィ・フィリエール

2023年