こうのとり、たちずさんで 1992.10.20 シャンテ シネ2 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 道路の真ん中に線が引いてあって、そこを一歩越えると別な国、人工的に引かれたただの線に過ぎないものが、かつてあったベルリンの壁よりも高い場合もある。そんな目に見える国境がない日本に生まれた私は国を区切るもの、国境という意識に乏しい。そして、それが命を賭してまでも越えるべきものであったりするのを、ニュースフィルムで見たことがあるが、心情的にしか理解できない。

 

 国境は不変なものではない、国の力関係で動くものだ。陣地取りを大の大人が延々と繰り返して来ている。なぜそんなことをするのか。少しでも領地が大きいほうが豊かになるからだろうか、それとも戦争の結果の御褒美なのか。戦争が終わると、国境が変わってきた。国を治め、国民を豊かにさせるためには、簡単な方法が国土の拡張であった。だが土地には限りがあり、どの国も同じように考えたら、争いが始まること必至である。簡単な、子どもでも分かることだ。それを知ってか知らずか、人間の歴史を通して、戦争の途絶えた時は今だかつてなかったのではないか。情け無いことだが、それが人間だ。

 

 そういう現実が片方にあって、人間として生きる尊厳がある。その二つの相反するものが角をつき合わせているのが、この頃の様子だ。個人の小さな誇りなんて、巨大な国という機構に押し潰されたらもろいものだ。個人の集合で成り立つ国が、実は小数の個人の力で動かされていること、それが国を嵩に着た正義になっていること、それを政治と呼ぶのだけれど、正義ぶった政治の横行している様子は醜いばかりだ。

 

 この映画は、はっきり言って分かりにくい。でも、難解で何が何だか見当も付かないほどでもない。それはあえて、アブストラクトにしたのではなくて、こういうスタイルが彼の映画なのだ。だから、分かる人が見れば良く分かる映画に違いない。私の理解が足りないから、彼の域に達さなかっただけだ。

 

監督 テオ・アンゲロプロス

出演 マルチェロ・マストロヤンニ ジャンヌ・モロー グレゴリー・カー イリアス・ロゴテティス ドーラ・クリクシー ヴァシリス・ブユクラーキス ディミトリス・プリカコス ナディア・ムルージ ゲラシモス・スキアダレシス イルマズ・ハッサン トドロス・アテリディス コンスタンティノ・ラゴス

1991年