恋するシャンソン 1998.8.1 ル・シネマ | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 ストーリーはいつものフランス映画で、家族や恋愛のあれこれ。そこに音楽が絡まる、そのおもしろさ、最高!

 

 この映画に出てくる歌をみんな知っていたら、もっと楽しめただろう。少し知っていたものには強く反応できたから、そう思うのだ。アラン・レネがどのような歌を選んでいるのかは興味あった。彼の年齢からすると昔のシャンソンのオンパレードになるのかな、と危惧しつつ、それも又いいじゃないか、と思っていた。

 

 そうしたら、1930年代の思いっきり古いのから、比較的新しい(80年代のもの)のもあった。この監督、まだ老いていないようだ。昔をなつかしむことは悪いことではないが、芸術家は例外だ。懐古趣味では先に進まないからだ。進歩のない芸術に未来はない。これは映画の監督にも言えることで、それを見破るのは簡単だ。作らなくなったら、あるいは作れなくなったら、おしまい、ということだ。自分で資金を調達できるなら別だが、億単位の金を動かす仕事だもの、ぼけた監督に捨て金を出す人はいない。

 

 ON CONNAIT LA CHANSON=この歌知ってる、の題名のように次から次へとフランス人ならたぶん知っているだろうという歌が流れてくる。ただ、残念ながらフランスの歌に詳しくないため、私の知っているのは少ない。こういう形式で歌を使った映画は今までなかったように思う。なかなかのアイデアだ。

 

 アラン・レネといえば、「二十四時間の情事」「薔薇のスタビスキー」「去年マリエンバートで」「プロビデンス」のような重く深刻な印象があるので、今度の映画は見違えたというか、今までにないものに挑戦している。

 

 歌の歌詞を通してセリフを補強している。だから、まあミュージカルのようなものだが、俳優自身の声ではなく、元々ある歌をセリフに替えて流しているのだ。もちろん、物語の流れにそった歌詞をうまく当てはめている。

 

 出演者を見ると、最近のフランス映画の常連たちが大挙してでている。だれがだれと名前をあげることはできないが、あの映画のあの役の、という風に思い出せる。「猫が行方不明」や「家族の気分」のふんわりとした、見ていて気持ちいい雰囲気まで持ってきているようだ。そうそう、「ディディエ」の楽しさもある。

 

 こういう映画をみると、いいなあフランス映画は、とあらためて思う。アメリカ映画の元気なのも悪くはないのだが、悪く言うと底が見えてしまうため、ほとんどが見るまでもない、と思えてしまう。フランス映画は個人の恋愛だの、離婚だの、家族との関係だの、おそろしく社会性に欠けてはいるものの、それはそれで、身近な思い当たる節もあるし、なにしろ大仰に構えたところのないのがいい。

 

 そこで考えたのだが、同じ手法で日本でこういう映画を作れないものか。歌はいっぱいある。セリフになりそうな歌詞を持った歌もあるだろう。どんな歌を選び、どういう場面で、どう使うかが問題だ。成功の例はここにあるのだから、真似すればいい。でも、どうかな、どうしてもうまくいくイメージがわかない。

 

 さて、この映画は一面ではうまくいき、別な面ではうまくいっていない。成功したところは、まさに歌を持ってきたことであり、逆に同じ歌が、この案外泣かせたり、笑わせられたりする話の腰を折ってもいるのだ。そうはいっても、アラン・レネ、人間を見る目は鋭く、かつやさしい。

 

監督 アラン・レネ

出演 アニエス・ジャウイ ジャン・ピエール・バクリ サビーヌ・アゼマ アンドレ・デュソリエ ランベール・ウィルソン ピエール・アルディティ ジェーン・バーキン ジャン・ポール・ルシロン ジャン・ピエール・ダルッサン

1997年