タリーと私の秘密の時間 2018.12.18 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 これは「カメラを止めるな」に匹敵する、話してはいけない映画だ。内容は一言で説明できるし、もしかしたら知っていてみるのも良いかもしれない。でもやっぱり作者の狙いは知らないに越した事はない。従ってここにストーリーは書けるが肝心な事は触れない。

 

 シャーリーズ・セロンは妊婦とは言え、ひどい顔して体もぶくぶくで出てくる。彼女は体重を増やしたり減らしたりするのは、俳優として当たり前だと考えているらしい。痩せるのならまだしも太るのは美的意識からして許せない人もいるだろう。

 

 彼女はモデル級のスタイルと美貌の持ち主であるのをわかっていて、あえて逆の方向に行くのだ。これを見せることで、美しくなったときの美しさが増す。ぶくぶくの体を見た子供が、お母さんの体どうしちゃったのと聞いてくる。それに答えるでもなく、仕方ない風。3人目が生まれてなお忙しさをます。まだ仕事に戻ってないのに、こんなにも大変な状況で我慢もいい加減限界に達した。

 

 そこで思い出したのが前に友人に勧められていた制度だ。彼の家ではそれに助けられたらしい。もうこうなったら頼るしかない。連絡してみる。その日の夜突然やってきた若い女性、名前をタリーと言う。

 

 タリーは26歳の女性で、マーロ(シャーリーズ・セロン)の家にナニーとしてやってくる。夜間に赤ん坊の世話をしてくれる。授乳の時にだけ母親がする。よって母はその時だけ起きれば良い。泣こうが喚こうが知らんぷりで寝ていればいい。こんな楽ちんな事はない。実際にそういう役割をしてくれる人がいるのであろう。親が用事があって外出する時に家で子どもの面倒を見る仕事ベビーシッターがある。アメリカ映画ではよく出てきた。日本ではあまり聞かない。赤の他人に任せてしまうのに不安がある。なのにアメリカでは一般的なのが不思議ではある。心配はないのだろうか。この流れで夜間の子どもの世話があるんだ。昼間は保育園があるし夜もあって不思議ではない。

 

 彼女を便利に使って良いものかまだ迷う。赤ん坊を預けてしまうのも気が咎めるというか不安だ。でも来てくれたのだし試しにやってもらう。翌日、掃除がされていて部屋が片付いていた。もちろんタリーのしたこと。そこまで頼んでないのに。タリーは優秀な仕事をこなしてくれる。

 

 子どもから大人になると、そこで成長が止まるわけではない。身体が成人としての一応の完成となるだけだ。周りからも大人として扱われるし、当人もそれを意識して行動するようになる。仕事にも就き、家族を持って、これを一つの完成と呼んでも差し支えはない。

 

 ところが、その人物の内部は落ち着くことはない。常に動いている。動きたい動かしたい衝動があって、変化を望んでいる。その人物の外面や環境は変わらなくても、あるいは少しは変化があっても、その内部の変化に比べたらものの数ではない。日々是好日なら良いが、そう毎日を平穏に暮らせたらすばらしい。そこまでの域に達しないから悩むのだ。

 

 マーロが若い頃ニューヨークで暮らしていて思ったこと、やりたかった事は達成されなかった。後悔はあっても今の生活は望んだ結果のことである。人生の岐路で選択してきた結果が今だ。今更悔やんでみても、と言う気持ちすらない。

 

 3人の子どもを育てるので精一杯。ようやくタリーが来てくれて楽になった。彼女の若い姿を見て羨ましく思う。夜一緒にニューヨークに行って、ディスコで踊ったり、昔住んでいたアパートを訪ねたりもした。自分はここで暮らして夢や希望もあった。ただそれが実現しないまま年月だけ経ってしまった。

 

 後悔は常にある。若い頃の希望が大きければ大きいほど、成就しなかった希望がしぼんで澱のように残る。それがくすぶり続け、いつしか消える。タリーはそういう時に現れた。 が意識しようがしまいがマーロには現実の厳しさがある。

 

 ここでようやく慣れてきたタリーに去られたら、どうしよう。マーロとタリーの最後の夜はどう展開されるのかは、見てのお楽しみです。

 

監督 ジェソン・ライトマン

出演 シャーリーズ・セロン マッケンジー・デーヴィス マーク・デュラス ロン・リヴィングストン キティ・クリスタル エイミー・ハインズ

2018年