道化師の夜 2018.12.9 フィルムセンター | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 ゆれる馬車の中で中年の男性と若い女性が寝ている。男性が起きて服を身につけて、室内から外に出て馭者の隣に座る。同じような幌馬車が連なっている。外は大雨。サーカスはここで公演の準備を始める。テントを設置するのは大仕事だ。クレーンなどの機器はないので全て人力だ。雨をもろともせずに作業は続く。

 

 現実のサーカスの世界は知らないが、映画で描かれるサーカス団はうらさみしい悲しみをたたえている。ジプシーのように移動し芸を見せて稼ぐ。大きなテントの下で繰り広げられる危険な、しかしスリル満点な芸当に観客は拍手喝采をおくる。象や熊の曲芸もある。物悲しげなジンタの響きに涙するサーカス団の少年がいる。親方にムチで打たれるかもしれない。エンタテインメントは他人を楽しませるために、芸人は命をかけ自分を削りながら生きている。それは何もサーカスばかりではないのだが、数あるショーの中で卑下されてきた部類かもしれない。ただそれは私がサーカスに持つイメージであって、中にはショービジネスとして成功し、華々しく活動しているのもあるだろう。現代のサーカスはすっかりショーアップされていると思う。それはそれとして映画では私のイメージを大事にしたい。よってこの映画もそうであって欲しい。そしてまさにそうであった。

 

 団長のアルベルトと曲馬師で愛人のアンナ、他の団員たちは馬に引かれて団長の妻子のいる街にやってきた。彼は3年ぶりに妻と息子に会うのを楽しみにしている。愛人は団長が妻のことを気にかけるのが気に食わない。それで機嫌が悪い。でも本当の妻子なので仕方ないと思う。本当は別れて欲しい。

 

 50に近い団長は太っていて、サーカスの団長にふさわしい風采だ。汗をかきかきサーカスの進行役をしている。団員は10人くらい。馬や熊がいて、ピエロがいて、小人がいて、出し物は空中ブランコなど。テントはあまり大きくない。規模は中位。移動には馬車を使う。車がまだ珍しい頃のことだ。馬にひかれた幌が連なって次の街へ向かって進む。空き地に街の許しを得てテントを張る。サーカスがやってくるの楽しみにしている人がいる。最近は景気が悪い、この地の興行はどうなることやら心配だ。団長はつぶやく、どうやらアメリカのサーカスは景気が良いらしい。ここスウェーデンではうまくいかないのに。

 

 サーカスを始めようとやってきた街で、宣伝活動をしようとするが、着る衣装がない。近くに芝居小屋があるので、そこで借りようと団長と愛人が訪ねた。芝居もサーカスも同じ穴のムジナだ。どちらも蔑まれている。どちらが高級でどちらが低級というものでもない。芝居の方が高みを目指しているように見えるがどうだろう。内容が高尚なだけに誇りも持っている。でも恵まれないのはサーカスと一緒だ。

 

 団長が愛人を連れてきたのには魂胆があった。女性の色気で惹きつけるつもりだった。あちらが鼻の下を伸ばしてくれれば上等。うまい具合に首尾よく衣装を借りられることになる。だが良いこともあれば悪いこともある。そこの花形役者フランスに惹きつけられ騙されてしまう愛人。ミイラ取りがミイラになった。騙し騙される化け物同士。どちらもどちらだ。

 

 いっぽう団長、3年ぶりにあった妻と9歳になった息子。何かの店を経営していて、別にもう一軒持っていると言う。商才に長けた女性のようだ。しかもますます女っぷりも上がった様子。妻の景気の良いのを見て、自分と比較しての差に愕然とする。サーカスと言う枷がなければ、こちらに戻りたいくらいだ。現に妻に戻ってきたい旨を話すと、きっぱりと断られた。できない相談をしてしまった恥ずかしさ。彼はサーカスを離れることができないのだ。

 

 愛人の浮気にやきもちを焼いてみたものの、自分の妻への浮ついた気持ちもあって強くは出られない。愛人を許し、自分も許してもらう。どっちもどっち。

 

 題名のThe Naked NightのNakedは、このサーカスの団員で熊の係をしている年増が、海岸で訓練中の軍に来て服を脱いだ。彼女が何故そうしたのかは謎だ。そこの軍人たちは女性の裸を楽しそうに見ている。いささかとうが立っているが女性に変わりはない。どうやら女性が近くにいるサーカスの団員であることが知れ、サーカスに知らせに行く。女性の夫はサーカスのピエロだ。ピエロの衣装のまま、おっとり刀で駆けつける。

 

 サーカス団の男女関係は複雑かもしれない。なぜなら常に一緒に生活しているからで、特に若い男女の場合、何かない方が変だ。団長と若い愛人との間の成り行きも想像できる。好色な団長の男らしさにいかれたのだ。またちょうど良い若い男はいなかったこともある。

 

熊使い女とピエロは夫婦だ。サーカスの中にいくつかの家族があって、子供があればその子もいずれサーカスで働くことになる。日本の旅回わりの芝居、大衆演劇に似ている。外国でも旅回わりする劇団はあるのか。

 

 団長は若い愛人と本妻のどちらも諦められない。理想を言えば、愛人はそのままで、妻からは金を引き出したい。でもそんなにうまく行くはずはない。妻と愛人の両方に彼の企みはばれてしまい、計画はご破算になる。

 

 興業としてのサーカスがボロ儲けできるものではない。現在はずっとセンスアップされたサーカスがあるが、あれだってあれだけ派手な演出ともなると人集めや会場などの費用と収入の対比を考えてみると、簡単にペイしているとは思えない。派手に宣伝している割には内情は苦しかったりする。このサーカス団は明らかにどん尻だ。今にも潰れそう。団長は解散宣言すればすぐに終わりになる。そして妻に泣きつけば、きっと受け入れてくれて部屋の1つ位は与えられるだろう。愛人を失うことになるはもちろんだ。

 

 そういう楽な方法があるのはわかっている。でもサーカスの魅力はそれよりずっと大きい。彼にはサーカスしかないのだ。銃を手にした彼が自分を、愛人を、誰かを撃つ機会はあった。やけっぱちになって何をするかわかったもんじゃなかった。だけど彼は自分の気持ちに忠実であった。それすなわちサーカスが好きだと言うこと。結局彼の気持ちはそこに落ち着く。苦労するのは構わない。サーカスが続けられるのなら。彼の一本気はサーカスにあった。

 

 世の中には他人からみて意味のないことをやる人がいる。でも利益にもならないことに一生懸命になれる、それがある人は幸せだ。金だけを求めるなら方法はいくらでもある。だけどそれが生きていくことの目標であって良いのか。また楽しめることなのか。また多くの人がそれを見つけられずに仕事は生活のためだけになっている。不幸なことではあるが、それもまた生き方だ。私、私は仕事においてのサーカスは見つけられなかった。団長は馬鹿だなあと思うが、うらやましくもある。

 

監督 イングマール・ベルイマン

出演 オーケ・グルーンベリ ハリエット・アンデション ハッセ・エークマン アンデシュ・エーク ギュードルン・ブロスト アンニカ・トレートヴ

1953年