アデルの恋の物語 1976.4.7 日経ホール | ギンレイの映画とか

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 アデルの恐ろしいほど凄まじい恋慕の思いはどこまでいくのだろう。単に1人の女が1人の男に恋してどうのというものではない。アデルは好きな英国騎兵中尉アルバート・ピンンンの後を追って新大陸カナダにやってくる。それは旧大陸、強いて言えば旧体制からの脱却だ。アデルは決意する女性であるがゆえに、強情を張っても両親には自分自身を認めさせたかった。父がビクトル・ユーゴであることの重圧感があっただろうし、父親としてのユーゴにもアデルは息が詰まっていた。

 

 恋愛と言えばそういう言える。しかしアデルのピンソンに対する気持ちは、あの時点で果たして恋愛だったか。たとえ恋愛と考えてみても、アデルの行動は熱情の割には冷ややかだ。

 

 1863年当時のフランスは植民地カナダとの戦いやアメリカの南北戦争の影響で混乱していた。ビクトル・ユーゴは英領ガーンジー島に亡命の身であった。アデルはそこからカナダに渡ったのだ。そこでの叶わぬ恋を求める執拗さは常軌を逸しっていた。

 

 ピンソンの恋愛ごっこを覗き見たり、ピンソンの前に突然現われたりなどは乙女の愛や、その反動から来るジェラシーと言う単純な方式ではわからないものがある。アデルは父親から独立したかったのだ。アメリカ新世界がイギリス旧世界から独立したように。

 

 アデルは姉の死があたかも父親の犠牲であったと思っている。毎夜うなされる。アデルは少なくとも、姉のようにはなるまいと思う。アデルは大陸を去る時、こう言った。私はあの人と結婚します。あの人と一緒に帰ってきます、と。その思いは遂げられることはなかった。

 

 アデルは自分の言葉に忠実だった。あくまでも一途だった。女たらしのピンソンが結婚してくれるはずのないことを知っていて、そうしたのだ。

 

 アデルはピンソンを追った。アデルはピンソンの実体を追いかけてはいたけど、実像は虚像でもよかった。アデルには、ピンソンと結婚して、父親の元に帰ることだけが目的だったのだから。

 

 その後アデルはどうなったか。全てが事実であるのだから、調べてみたいと思う。調べることが多い映画のようだ。

 

 アデル=イザベル・アジャーニとなって、彼女の狂気が女優のそれと重なっている。はたして、女優のアジャーニは正気に戻れるのか。

 

監督 フランソワ・トリュフォー

出演 イザベル・アジャーニ ブルース・ロビンソン シルヴィア・マリオット ジョゼフ・ブラッチリー

1975年