狼たちの午後 1976.3.1 朝日講堂 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 ソニーとサルの2人を理解するには、精神分析でもをしてみなければならない。サルは常に何かにおびえ、おどおどしている小心者のようだ。彼に家族があるのかどうかは分からないが、情緒不安定とでも言うのか、そういう感じ。

 

 ソニーはこれは難しい。彼をどのように分析したらよいか。彼はこの銀行強盗たやすいものと踏んでいたようだ、ものの半時間もあれば済むと。それに彼はめっぽう銀行の内部に詳しい。彼は以前銀行員ないし銀行関係に勤めていたのだろう。彼も小心である。銃をぶっぱなすつもりなぞない。30分間でスマートに去るはずだったのだから。しかし銀行に1000数百ドルしか残ってないことに愕然として、仕方ない引き上げるとするか、というところで電話が鳴る。警察のモレティからであった。人質8名と、閉じ込められた状態からどうやって出て行こうか、ということから、いよいよ面白くなってゆく。

 

 物見高いは人の常、ニューヨークはブルックリンの下町っ子はたいそうな野次馬と見える。人質を盾に、警察の何百もの銃の前で手を振るソニーに拍手喝采をするのも、暑さのせいばかりでは無いようだ。退屈な夏の午後、暑さ凌ぎにはならなくても、暇つぶしにはもってこいだ。

 

 人を殺すことをなんとも思わないどこかの国の爆発魔とは違って、心優しいソニー(狂気の分も含めて)に私も拍手をしたくなった。テレビも二人の味方をするかのような報道をする。冷静な報道でも、映像でずっと見ているうちに、自分の身内のような親しみさえ覚えるようになるから不思議だ。遠いどこかで誰が死のうが生きようが、見知らぬ他人と感心さえ持たないが、生中継される映像の威力はすごい。また警察は何やってんだ、と言う強硬派の意見もある。テレビカメラが入っていなければ、警察は銃を使うことに躊躇しないだろう。ところが、それを逸して、長引くことになる。

 

 内部ではいろいろなトラブルが起こる。冷房装置が止まったので、暑くてたまらない。倒れてしまう人もでてくる。不思議なことにソニーとサル、人質を含めて、あの一室の人たち皆が何とかその閉じ込められた状況から無事に脱したいと思うようになる。それはソニーとサルが銃を撃つ事はないと思ったからだ。2人と警官たちと撃ち合いにでもなったら、どんなことになるか、目に見えて分かる。今は恐ろしいが、そっとこのままうまく解決すれば、2人が捕まるかどうかは問題のないことだった。

 

 ソニーには妻2人と子供1人がいて、1人は女性、もう1人は男性。男性の方の妻に、女性になるための手術を受けさせるための費用を得ようと働いた強盗だった。でもその妻も、ひどく高ぶっていて 、ひどくおびえてて、 ソニーと表裏をなすものであったことも面白いものだ。サルが、俺はホモじゃないと、しきりと否定するのもおかしかった。彼らは普通じゃないけれど、けっして異常ではない。面白がって笑ってる人もいたが、私は笑えない。なぜなら真剣だったから。風車に向かっていったドン・キホーテを笑えるだろうか。誰しもそんなおかしなことを、真面目にやっているかもしれない。

 

 ソニーとサルの逃避行は残念な結末を迎える。それは実に呆気ない位な、それでいて予想していたものだった。それも、この事件が1972年に実際に起こったものだからだろう。「12人の怒り男」の他にも、いろいろな男や女がいる。狂気もゲイも人権を得て、暮らしている。そんな街で起こるべくして起こった事件だった。

 

監督 シドニー・ルメット

出演 アル・パチーノ ジョン・カザール ペニー・アレン サリー・ボイヤー ブラー・ギャリック キャロン・ケイン ジェームズ・ブロデリック チャールズ・ダーンング

1975年