タクシー運転手 約束は海を越えて 2018.9.11 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 5月ののどかな日和なのにソウルは学生デモが道をふさぎ、タクシー運転手にとっては大迷惑。せっかく大学に入ったのだから学問に励まなくちゃならないだろう、と文句も出ようもの。大学生=親から学費を出してもらう恵まれた環境にいる者、という認識からすればそうなる。でも誰もが親がかりとは限らない、苦学生もいるはずだ。

 

 それはいいとしても、デモはないだろう。彼らの声を聞くと、どうも大統領のやり方が気にくわないらしい。百点満点の大統領がいるわけないし、少し問題があるがデモするほどのものか。デモはみんなに迷惑をかける。それが悪い。大統領に直接頼めばいいじゃないか。

 

 まともな政治家がまともに政治を行なえば、問題は出ない。意見の相違も話し合いで折り合いをつけ、民の声を充分に聞く。することは簡単だ。それが出来ないのは、どこかが何かがだれかが間違っているってことだ。

 

 どうして政治家は世の中をうまく運営しないのか。社会の組織の中で政治だけは別ものだ。会社のように利益を出すこともない。人を雇うでもない。金は税として入ってくる。税金をどのように使うかを決めるのが主な仕事だ。政治は国民全員がそろって相談することが望ましい。それは無理なので、選ばれた代表が行なう。代表だから住民の意思はきちんと反映されねばならない。ここのところ重要だ。選挙制度が国によってまちまちなのは、政治家のたくらみがあるからで、自己の有利になるような仕組みを導入するズルをしているわけ。一票たりとも無駄がない比例代表制が最良だ。

 

 政治家が政治体制を決めるのもだめだ。政権にある者が自分たちに有利な選挙制度にしてしまう愚を犯す。そこで彼らはさらに人数を増やし、次の目標を目指す。なんか話が日本になってしまった。韓国映画でした。でもどこでも同じようなことになっていますね。強引な軍事クーデターという手もある。日本はそこまでいってないからいいか。というわけにはいかない。

 

 タクシー運転手は積極的な営業が必要だ。10万ウォンを他人から奪うズルをしたことは良心に恥じないようだ。車の修理代を強引に値切ったり、金に汚いのはよく言えば商売熱心、全て娘のためと言える。でもそれなら10万ウォンをくすねられた運転手も同様に仕事に熱心に取り組んでいたはずだし、彼の心痛を察しないのはひどいと言える。

 

 彼は性格は明るく行動的だ。妻が病気にかかり娘を残して死んだ。その看病や心痛、亡くなったことでの負い目は大きく残っている。だが今は娘にその思いを託している。熱い思いは一直線だ。光州へ向かう時、彼の頭には10万ウォンしかなかった。光州にいた時、彼は娘のことが気になっていた。一度光州を離れた時、彼は気持ちを転換して、光州に戻った。

 

 ここからの展開はドキュメンタリーのようだ。ここで見たことあったこと体験したことを過不足なく描いている。事実のもつ重みは再現ドラマであっても事実に迫る。喜劇的であり、親子の情をえがき、金の苦労に泣き、十万ウォンに目がくらみ、光州で気づき、最後はカーチェイスからやけくその総攻撃まで、一つの映画にこれだけ詰め込んでいる。十分たのしめたし、同時に事実の重さに思いを至させるすごい力のこもった映画だ。

 

監督 チャン・フン

出演 ソン・ガンホ トーマス・クレッチマン ユ・へジン リュ・ジュンヨル

2017年