15時17分、パリ行き 2018.3.6 シネマイクスピアリ2 | ギンレイの映画とか

ギンレイの映画とか

 ギンレイ以外も

 スペンサー、アレク、アンソニーの3人を紹介するテレビ番組のようだ。その手法は再現ドラマのあるテレビ番組風だが、印象はかなり違う。安易に作られたテレビとは違って、事実の持つ重みがきちんと描かれている。

 

 3人が犯人に躊躇することなく向かい事件解決までできた事の、そのわけは彼らの過去にあった。映画はそこから始まる。

 

 キリスト教系の私立学校は規律が厳しく、そんな校風に合わない生徒が、スペンサーでありアレクであった。いつも校長室で叱責を受けるのが日常のようになっていた。シングルマザーである母が学校に呼ばれるのも日常で、そんなことから仲間意識が芽生えたのでしょう。二人は仲の良い友人になった。後から知り合ったアンソニーとも、なぜか2人と気が合って親友になった。3人でつるんで遊んでいた。

 

 彼ら3人が15時17分発の列車に乗り事件に遭遇したのが必然のような描かれ方をしていたが、もちろん必然であるわけはない。偶然であった。偶然乗り合わせた列車でとった行動は、彼らの過去がなければ出来なかったことだった。上手くいったから良かったものの、失敗していたら彼らは無鉄砲な若者で終わっていた。さらにテロリストの行いに火に油を注いで、何百人もの犠牲者が出てしまったこともありえた。

 

 こうも考えられる、トランプ大統領の、銃には銃を携帯して攻撃に備えることが肝心という考え方を支持、補強するような事件の解決だった。これを取り上げたのがイーストウッドだというのは偶然ではない。彼だからこそ、この事件とその解決にアメリカの正義を感じたのだろう。「アメリカン・スナイパー」と通じるものがある。アメリカの正義はどの方面にも向かっている。

 

 韓国人の知り合いがいる。彼は軍隊の経験があった。徴兵制があるので韓国の男性はみな軍隊の経験を持つ。彼らを横から見ていると、軍隊で鍛えられたせいで身体ががっちりしている。痩せてひょろひょろはいない。身体が頑強になるのはいいけれど、軍隊生活は嫌だ。軟派なやわなのが多い日本だけど、徴兵がないのはほっとする。男が強くなる必要はない。

 

 アメリカには軍隊はあるが徴兵制ではない。軍隊に入るのは職業の一つとして選ぶ人もいるだろう。特に愛国心を奮い立たせるような教育を受けたり、ニュースでアメリカの正義を報じているので、アメリカのために軍に入り、戦争に行くことに積極的になることが当たり前になる。アメリカ人にとってはごく普通の考え方であろう。

 

 スペンサーは自分の身体的、精神的能力を駆使する機会を得た。それがたまたま成功しただけだ。テロの現場に駆けつけて戦ったのではない。彼らの名誉が直接アメリカの正義をたたえたものでなかったが、それに準ずるものといえよう。彼らをたたえたフランスも血なまぐさい国である。

 

監督 クリント・イーストウッド

出演 アンソニー・サドラー アレク・スカラトス スペンサー・ストーン

2018年