櫻の園 1991.2.20 シネマアルゴ新宿 | ギンレイの映画とか

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 ギンレイ以外も

 チエホフの桜の園がどんな話か気になって読んだ。没落貴族の末日を描いている。貴族に同情も思い入れもない。彼らは去りゆくのみ。時代は正しい方向に進むものだと改めて思った。でも桜の園を買ったのが卑しい商売人というのが象徴的である。後に国が土地を奪い、今はまた誰かのものになっているのだろう。

 

 4月14日の設定だ。4月も中旬に桜が満開って、日本のどこらへんだろう。さらにいうと、ロシアは5月中頃だ。ロシアのは桜の種類も違うだろうし比較にはならないと思う。桜を追って日本縦断したら面白そうだ。その速さは自転車で追えるくらいか。

 

 桜の名所は数多くあり、そこには人が集まる。花見と称して、飲み騒ぐ連中を見るのもいい。だが、街中には人知れず咲く桜も多い。誰にも見られず咲いて散る桜。そんな桜が愛おしい。うちのそばにもそんな桜の木々がある。いちおう提灯なんかつるされていて、人を迎えるようになっているいもかかわらず、花見客はおろか見物人もいたためしがない。これはちょっとかわいそうな気がする。華やかさと寂しさが同居する桜木かな ♫

 

 ほとんどがセット撮影で、まるで舞台を撮影しているような感じがした。全体が芝居がかっている。演劇の演技は大げさで動作も大きく、何より声をあげて話す。時には歌ったり踊ったりする。別世界のような舞台は華やかなのに限る。

 

 この映画、はじめの内、違和感があったが、次第に慣れてきた。違和感の元は実際にはセリフ、つまり言葉遣いに対してだったろう。セリフに対してというより、ことば、今のことば、今の彼女たちが話していることば遣いに、はじめの内慣れなかった。とはいえ、それ自体、きたないとか、ひどいとかというものではなかったので、それより彼女たちのことばが耳あたりの良いものにも聞こえてきたものだから、次第に平気になったのだ。

 

 でも、お嬢さまことばでもない。そんな上品なのは廃れてしまい、今聞くことはできない。昔の松竹映画なら聞けるかもしれない。人の話し方は時代とともに移り変わり、後戻りすることはない。髪型や服装などは恣意的に蘇らせることができるが、言葉の変化は誰にも押しとどめることはできない。今の若い女性の喋り方、これは今だけのものだ。明日にはどう変わっていることやら、想像もつかない。言葉で時代がわかる。だが、彼女たちの舞台上のセリフは過去に固定された言葉だ。できれば19世紀のロシアの香りをかげるようであってほしい。

 

 映画としては、舞台の上がるまでで終わっているが、続けて演劇部の「櫻の園」をそのまま映画にするというのも一考だと思うが、どうだろう。一本の中に二本の作品があるのって、ありそうで、ないから。

 

 桜の咲く頃、この私立櫻華学園高校の創立記念日に合わせて演劇部が「櫻の園」を上演するのが習わしとなっている。今年もちょうど桜が満開、学内は演劇部員が上演準備に追われていた。いろいろあって上演が中止かという事態になる。めでたい公演なんだから、教職員よ、中止なんて言わないでくれ。問題が起きて、解決するという物語の王道がここにもあった。

 

 クレーン撮影を使って桜をとらえていて、いい気分にさせられて、自分も創立記念の舞台を見にいくような感じになる。本当の学校にも少しはいるだろうけど、こうまで揃ってはいない美少女たちが登場する。彼女たちをのぞき見るだけでも心良いものです。セリフもきっと今風の彼女らのものと変えられているし、そのいきいきとしたところが近頃の映画にはなかったところだ。撮影もかなり凝っているし、一幅の絵のような画面がつづく。

 

 何かを作り上げる時の、特に芝居のようなチームプレイにつきものの連帯感のようなものが良く伝わってくる。何かを協力して作り上げること、一人ではできないことがみんなでやるとできてしまうのだから。舞台はたとえ一人芝居でも裏方を含めれば一人ではない。まして演劇部はプロではない。でもやることはプロと変わりない、出来の良し悪しは別にしても。

 

 だから映画の中で舞台はしばしば出てくるのだ。その逆はあまりない。それは表現手段としては不可能に近いからだ。演劇といいう同次元の芸能に別な楽しみ方があるのは、観客としては嬉しいことだ。

 

 女性ばかりの映画なのかなと思っていたら、そうでもなかった。その辺、わりと中途半端なかんじで、いっそのこと男抜きにすれば良かった。あるいは男性は後ろ姿だけとかにすれば良かった。はじめの方はそういう感じだったのに。

 

 例えば男子校の場合、男対男ではあやしげな感じにはほとんどならない。でも女子校では女子どうしが、まるで宝塚をみるファンのような気分にもなるものらしい。美しいもの、きれいなものに憧れる気持ちが進みすぎたりして、その辺のすれすれのところが、最後の方の二人の写真撮影のところでかいま見えた。

 

 画面の隅々にまで気を使っている映画だ。全ての映画は、相当気は使っているのだろうけれど、見えてこないことが多い。あやうい平衡が気持ちを浮き立たせる。そう、女子校に1日入学したような感じか。

 

監督 中原俊

出演 中島ひろ子 つみきみほ 白島靖代 宮澤美保 梶原阿貴 三野輪有紀 白石美樹 後藤宙美 いせり恵 三上祐一 橘ゆかり 上田耕一 岡本舞 南原宏治

1990年