上の2人がかなり陣痛が大変だったので
陣痛のたびにお腹をさすってくれて、
私と子供を激励してくれて
「大丈夫。
うちの子たちはお母さんに似て
みんな我慢強いから絶対乗り越えられる」
「よく頑張ってるよくやってるよ」
とかけてくれる声と
その手の温かさに救われながら
陣痛を乗り切ることができました。
と言う絶望的な痛みに追われながら
無痛分娩を断った自分をちょっぴり後悔したり。
でも生まれてきてくれた瞬間
応援してくれている大切な人たち
関わって下さる全ての方々に
赤ちゃんは本当に可愛くて
生まれてきてくれてありがとうと
沐浴をして病室で再会した赤ちゃんは
頭に赤いあざのようなものができていて
この子も必死で産道を探して
車椅子に乗って病室に移りました
食べたくもない
そんな状況の中で
出産の後の幸せの余韻に
何故か寝付けませんでした
本当にすべての人に価値があるなと
お部屋に来て赤ちゃんを見て
存在するだけで素晴らしい
「私はお母さんになりたくない〜‼️
恐る恐る聞いてみると、
お母さんはおばあちゃんになっちゃうでしょう?
そしたらお母さんは
と言う驚きと共に、
6歳にしておばあちゃんと言う存在は
天に近い存在なんだと言うことを
理解している娘にさらにびっくりしました。
してないんですけどね…
幸せそうじゃないから
みたいな理由で
お母さんになりたくないと
思っているわけではなく安心しました
久々のインナーチャイルドネタです。
先週3カ月ぶりにインナーチャイルドを受けてきました。
インナーチャイルドも自分を本然の認識状態に近づくことで治療が早まりますし、
学ぶ内容がすっと入ってくるようになります。
なので、必ず
「自分はいるだけで価値があること」
「自分のすばらしさ」
などを気づかせるようなワークをしてから、講義になります。
そういう理由もあって、講義に出た回数によって
出される課題も変わってきます。
で、今回は私は「傷ついた過去を書き出す」という課題から始まりました。
生まれたときから今まで、傷ついてきたことを全部書き出していきます。
この書き出す過程も結構大変で、
時間もかかるし重い気持ちになるのですが、
何回も見直してると「まぁそんなこともあったな」と思うようになります。
ところが。
それをみんなの前で発表すると
涙が止まらないのです。
で、思いつく傷はほぼ書き出したのですが、
読みながらそんなに涙が出なかったり、
逆に号泣な部分があることにも気が付きます。
意外だったのが、もうすでに30年くらい前に受けたいじめの話を
話してる時がかなり号泣だったことです。
子供の時の傷ってずっと消えずに残ってるんだなって感じました。
以前、「いい人は幸せになれない」という事に触れたことがあります。
いい人は何かしらの原因で自分の思いを伝えるより人に合わせることを選んでしまう人。
私の場合、その原因がいじめでした。
子供のころ、虐待されたり、いじめられたりすると
「自分が悪いからだ」と思って、それを受け入れてしまうという事が起こるそうです。
そして衝撃だったのはそれは
「その人がその環境で生き延びるため」だというのです。
いじめられ、でも自分が悪いと思って両親にもなかなか話せず、
先生に話しても結局クラスのみんなに「おまえも悪いとこがあるからだ。」
と言われてそれを受け入れてしまう。
そうしているうちに自分で自分を適当に扱うようになり、
何かされて当然な私というイメージ通りの扱いを
出会った人に受けるようになってしまってきたようで。
で、今日の本題の「いい人は悪い夫を作る」につながるわけです。
自分で自分の事を認められず、相手のいう事ばかりを受け入れることで、
相手にも自分の事を認められず、無視して当然の相手として認識されてしまう。
自分の自己イメージが自分を作るといいますが、
自己イメージが「しょうがない」「こうなって当然だ」「こんなもんだ」だと、
その通りの認識をされてしまう。
そして相手が何をしても受け入れてしまうため、
相手の悪いことも止めることが出来ないんです。
今まで私は
「悪いことする人にも理由があって、しょうがないんだ」と
受け止めるところがあったのですが、
「悪い」事は「悪い」んですよね。
たとえどんな理由があろうと、悪いことは悪い。
悪いことすら自分を否定することで肯定してしまうからおかしなことが起こるんですね。
相手が大切な人であるのと同じように
自分も大切な存在であるのに、
それを自分で認められないんですね。
自分で自分を守れないと
周りの人すら不幸にする
という事の意味がちょっとずつ分かってきました。
今の私に必要なのはなんでもyesではなく
なんでもnoでもなく
自分の気持ちを素直に伝えること。
それを伝えてもいいんだという事を
自分に教えていく事なんです。
このままだと、周りに悪人を作っていく自分になってしまう。
結局、誰かに何か言われたり、否定されたりすることを怖がっていたのですが、
誰に何を言われたとしても、自分の気持ちに嘘つくことは無いんだなってことも頭ではわかってきました。
とは言えこれが腑に落ちるにはとっても時間がかかるのだそうです。
それを覚悟のうえで、
自分の存在も認めてあげ、
自分の気持ちを受け止め、伝える。
この作業をしていきます。
「私は価値のない人間なんだ」という思いから、
「何かがあれば価値がある」と条件的に自分の価値を見てきたのですが、
「何もなくても自分は価値がある」という事に気付く必要があるという事です。
いつも不安で自分のやってることが意味あるのかなとかよく思うのですが、
「自分に価値がない」という恐怖感から
「自分のやってる事も価値ないかも」という恐怖感と共に生きてるという事にも気づきました。
自分の価値に気付くこと。
色んな人がいろんな表現で口にしてますが、
これがクリアできると
もっと生きやすくなると思います。
今日は坂本ゆかさんの性教育セミナーに参加しました(*^^*)
正直、私の中で性教育ってなんかいいイメージなくて、「知らなくても生きていけるし、知りたくない」って思いがありました。
なので、最初の最近の性教育や子供たちの現状の話とか聞いたときもなんだか苦しくなりました。
性行為が恥ずかしいもので、いいものではないみたいなイメージが
自分の中に強くあることに気が付きました。
でも、最後の「性教育は愛だ」という締めを聞いて、
「そりゃそうだよな~。愛の最高の形が性行為なのになんでこんなに嫌悪感があるんだろう」
とちょっと自己嫌悪に落ち込みそうになったのですが、思い出しました。
私の母、実のお兄さんに性的虐待を受けたことがあって、
そこから精神病になってしまったんです。
それでも母は精神病院にも行かず、
(というかおばあちゃんの病院不信から連れて行ってももらえなかったみたいです)
信仰で越えるようにおばあちゃんに言われ、母もそうしようと努力してました。
まぁ、母の実家の飯田市は病院があまりにも酷いんです。
おばあちゃんは腸の手術を受け、術後に転んでしまい(この時点でもうすでに医療事故だと思います)大腿骨骨折を起こし、そのあと医療事故といえるような酷い医療や看護のせいで
肺炎を起こし、病院で亡くなりました。
それまでとっても元気なおばあちゃんだったのに…
おばあちゃんの最後は爪も切ってもらえず、体もろくに拭いてもらえず、
ICUにいたのにナースコールをしても看護師が来ないというずさんな状態でした。
これじゃあおばあちゃんが病院不信するのもしょうがないなぁっていう…
未だに私はおばあちゃんは病院に殺されたと思ってます。
でも田舎だからかなぜか訴訟も起こらないし、泣き寝入りなんだろうなと思います。
誰も指摘しないから、よくもならない。
悪循環ですよね。
それはそれとして。
というわけで、男性不信と男性に対する見下すような思いを母は持っていたので
私にまともな性教育をしてこれなかったんだろうな、
そういう母の想いが伝わって、私も性行為が愛だなんて感じられなかったのかもしれない
そう思いました。
まぁ私の話はこのくらいにして。
このセミナーの締めになんか感動してしまって、
「愛があるから性行為がある」という当たり前のことを
完全否定してる自分の潜在意識に気付くことが出来て、本当によかったです。
私の母はそのつらい体験から私にちゃんと伝えることが出来なかったけど、
私はまずは「愛の形が性行為」であることと、「赤ちゃんのための尊い行為」であること、
恥ずかしがることでもないんだという事を
受け止めて、伝えていきたいと思いました。
また、子供も性行為に対する興味があるのはごく当然のことだし、
教えてくれる人がいないから、ネットに頼ったりして、
刺激的で愛がない情報を見て、
気持ち悪いと思ったり、
間違った情報を信じてしまうんですよね。
その当然のことに対して「よくないもの」と感じてしまうのは大人の間違った解釈なんですよね。
子供はそれがいいか悪いかなども思っていないのに、
大人が勝手に「いかがわしい!」とか思って、
子供に見せない、教えないみたいなことをしてしまって。
他の知識と全く同じで、
知らないがゆえにただ知りたいと思っているだけだというのに。
子供の視点に立って、
イノセントな視点で
対応してあげたいなとも思いました。
いやぁ、学びが多かったです。
今日は幼稚園の父母教育に参加してきました。
内容は「尊重されてる、自分は尊いと思える子供を育てる」だったのですが、
以前、
ミスティックリングというお茶会に参加してきたとき、
カウンセラー(ヒーラー?)さんが話していた内容とかぶるところがあって衝撃を受けました。
ミスティックリングでのお話も
「私たちは古い型の人間だから、新しい時代の今の子供たちの邪魔をしてはいけない。
私たちがしてあげられるのは、
環境を整えてあげることと
口を出さないことだ。」と言われました。
今回のお話でも
「私たちは19〇〇年製の人間ですよね?
私たちは私たちの時代に最新の人間だったんです。
時を経て今、子供たちはこの幼稚園であれば2012年製が一番年上なわけで
私たちとはスペックが全く違うんです。
彼らは彼らの世代に適応するように生きていく。
今までの私たちは電話機であったり、そういう時代に生きてきましたが、
これからの子供たちはスマホ・AIなどの先端技術がベースにある時代を生きていくし、
そこに適応していけるように生まれてきているんです。
だから、私たちが適応してきたやり方を子供たちに押し付けてはいけません。」
と話されていました。
やはり、私たちは古いスペックなんですね💦
確かに、新しい技術とかに感動を覚えたり、
その技術についていくのに必死ですが、
子供たちはそれがベーシックな時代に生きていくわけですから、
私たちと同じわけないですよね💦
それを受け入れないと、私も幸せになれないし、
家族も幸せになれないんですね。
で、その方法論としては
①表情を読み取って、言葉に出して伝える
「悲しそうな顔してるけど、何かあったのかな?」
自分も悲しそうな顔をして聞いてみる。
これをすることで子供が自分がどういう表情をしているのか、知ることが出来るのだそうです。
②やっている事実をそのまま言葉にして伝えてみる。
「絵を描いていたんだね?何かうまくいかなかったのかな?」
③気持ちを読み取ってあげる
「描きたい様に描けなくて悔しかったのかな?どんな風に書きたかったのかな?」
これで共感してあげられる。
これをひたすら繰り返す。だそうです。
この時、
「こうしたらいいね」とか
「これがダメなんじゃない?」とか教えない。
どんな風にしたかったのかな?と子供の意見を尊重するのだそうです。
すると子供は自分でどうしたいかを選んでいくのだそう。
長くなっちゃったので、続きはまた書きますが、
時代に逆らっちゃいけない
子供を自分たちの概念で育てちゃいけない
「教えない」教育の時代なんだなと痛感しました。







