社長ブログ

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社長 笹原のちょっとイイ話!

2024年6月21日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今日は朝から雨が降っています。

 

 

気温が20度前後なので湿度はありますが、

 

この時期にしては過ごしやすいですね。

 

 

これで梅雨入りが宣言されるかもしれませんね。

 

 

 

これはわが家の食卓に飾ってある花なんですが、

 

とっても綺麗でしょ。

 

 

実はこれ会社の駐車場までの道端に咲いていたんです。

 

 

雑草かと思いきや、この時期に咲く百日草という花だそうです。

 

種が飛んできて道路沿いで育ったんですね。

 

 

一輪でも綺麗なんですが、まとめて花瓶に生けると

 

けっこうゴージャスな感じです。

 

 

私も歳でしょうか、若い頃は道端に咲く花なんて

 

何も感じませんでしたが、綺麗なものを綺麗と

 

思えるようになったんですね。

 

 

歳をと取るのもまた良しですね。

 

 

 

今日のお話は、

 

「一日一話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」

 

から、西田文郎(サンリ会長)さんの”本当の苦しみは人生に三回しかない”を

 

お伝えします。

 

 

 

本当の苦しみは人生に三回しかない

 

 

私は長年、能力開発の仕事をしてきましたが、

 

すべからく成功者、一流といわれた人たちは

 

運やツキを持っています。

 

 

「ツキ」というのは、チャンスを掴む能力

 

ではないかなと。

 

 

思いがけないラッキーが訪れて、それを

 

活かしたとき、「ツイていた」という言葉を

 

使うと思います。

 

 

しかし、例えば一代で会社を起し、成功された方などは、

 

「自分がここまでこれたのは、ツイていたからだ」

 

とは言いませんよね。

 

 

「自分には運があったからだ」と言うんです。

 

 

それはなぜか。

 

 

これは若い頃に人生の師から教わったことなのですが、

 

「苦しみを克服した人にしか運はないんだ」と。

 

 

一代で大きなことを成し遂げた人は、

 

自分の努力ではどうしようもない様々な逆境、

 

ピンチを潜りぬけてきています。

 

 

その時、初めて「運」というものを体感する

 

のだと思うのです。

 

 

だから、会社を急成長させた若い経営者の方など見ていて、

 

 

「この人はツイているかもしれないけど、

 

運はないかもしれない」と感じたりする

 

こともあるんです。

 

 

 

さらに、これも同じ師から言われて印象に残ったことですが、

 

「本当の苦しみというには人生に三回しかない」と言うんです。

 

 

一回目は生まれて来る時。

 

 

記憶には残りませんが、人は産道を潜り抜ける

 

という大変なことを乗り越えて生まれてくるわけですから、

 

誰しも皆運があると。

 

 

もう一回は死ぬ時です。

 

 

自分の意志とは関係なく、死は訪れ、息を引き取ります。

 

これは大変な苦しみですよね。

 

 

そうすると、人生で本当に苦しむことはあと一回しかない。

 

 

それなのに、多くの人は、十番目か二十番目か、

 

あるいは百番目かの苦しみに出遭って大騒ぎしている。

 

 

いま苦しんでいることは、自分の人生で

 

何番目の苦しみか考えろと、二十代前半で教わりました。

 

 

 

だから僕も苦しいことはありましたが、

 

その苦を楽しんで生きてきました。

 

 

振り返ってみると、ツイていましたが、

 

まだ運を感じるほどの苦しみはなかったかも

 

しれないと思います。

 

 

 

確かにいろいろな成功者のお話を聞くと、

 

 

必ず「自分はツイていたラッキーだった」

 

「運が良かった」と言われています。

 

 

なぜでしょうね?

 

 

それはこう考えられると思います。

 

誰でも失敗や不運はあります。

 

 

しかし、成功者はそれらを教訓として生かして

 

次につなげているのではないでしょうか。

 

 

成功するまであきらめずに、失敗という経験を

 

積み重ねて、同じ間違いを起こさない。

 

 

それを繰り返していった結果が成功につながる。

 

 

ですから、不幸不運苦難がチャンスにつながったと

 

思えたのではないでしょか。

 

 

松下幸之助さんは、成功の秘訣をこう言っています。

 

 

「自分は貧乏だったらか、お金を大切にできた」

 

「自分は学歴がなかったから人の話を素直に聞けた」

 

「自分は身体が弱かったから健康に気をつけることができた」

 

 

松下幸之助さんは9歳で丁稚奉公に出て、

 

その後、多くの艱難辛苦を経て成功されました。

 

 

この世で起こることすべては師であると

 

受け止めて生きていけば、苦しみを楽しみと

 

思えるようになるんじゃないでしょうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月20日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝はやや曇っていますが、それでも最高気温は

 

29度予想だそうです。

 

 

湿度が高くていよいよ梅雨に入っていきそうです。

 

雨もちゃんと降らないと何かと困ります。

 

 

特にダムの貯水率が下がると農作物に

 

大きな影響が出ます。

 

 

自然とはすごいものですね。

 

 

 

今日のお話は、「中国古典の名言・名句三百選」(守屋洋著)から、

 

”疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る”を

 

お伝えします。

 

 

 

疾風に勁草を知る

 

 

「疾風」は激しい風。

 

「勁草」は強い風。

 

 

嵐が吹き上げるときになって強い草の

 

真価がわかるのだという。

 

 

平穏なときには、強い草も弱い草も

 

見分けがつかない。

 

 

だが、天候が一変して嵐になると弱い草は

 

とたんに地面に突っ伏してしまうのに対し、

 

 

強い草はすくっと頭をもたげて立っている。

 

人間もそれと同じこと。

 

 

逆境に陥ったときにその人の真価が

 

問われるのだという。

 

 

たしかに、そのとおりではないか。

 

 

 

調子のいいときには、自信満々、

 

肩で風を切って歩いているが、

 

 

一度逆境に陥ると、がっくりと肩を落として

 

元気をなくしてしまう人がいる。

 

 

こんな生き方をしてたのでは、

 

ずるずると沈んでいく恐れがある。

 

 

むしろ調子の波に乗っているときには

 

謙虚に肩を落とし、逆境のときにこそ

 

 

ピンと背筋を伸ばして歩く。

 

 

こんな生き方を心がければ、

 

おのずから新しい展望も開けるかもしれない。

 

 

 

では、「勁草」のたくましさを身につける

 

にはどうすればよいのか。

 

 

当然のことながら、あまり恵まれた生活や

 

らくな仕事ばなりしていたのでは、

 

身につかない。

 

 

苦労に直面し、その苦労をバネにして

 

自分を鍛えるもとが望ましいのだ。

 

 

普段から足腰を鍛え、体質を強化して、

 

やがて来る「疾風」の日に備えたい。

 

 

 

人生、平穏無事が一番ですよね。

 

しかし、生きていれば必ず逆境にめぐり合うことがあります。

 

 

これは殆どの人に必ずといっていいほど

 

やってきます。

 

 

私もそうでした。

 

これでもかというくらいの逆境がありました。

 

 

うつ病、会社が5期連続赤字。

 

脳梗塞、癌、などなど。

 

 

よく乗り越えてきたと思います。

 

 

これらの逆境は私が望んだものではありませんが、

 

これが私を鍛えてくれたように思います。

 

 

今日のお話で、「足腰を鍛える」と書かれていますが、

 

普通に暮らしていてはなかなか難しいですよね。

 

 

その方法は、必ず来る逆境に負けないことですね。

 

のり越えた先に、強くなった自分がいます。

 

 

逆境も又良しですね!

2024年6月19日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

昨日の雨も上がり、今日はとってもいい

 

お天気になりました。

 

 

ただ、かなり暑くなりそうで、最高気温は33度予想で、

 

今年一番の暑さとなりそうです。

 

 

 

先週ご紹介したわが家の庭の雑草が、満開になりました。

 

先週、庭から切ってきたんですが、

 

1週間立ってより綺麗にらせん状に咲きました。

 

 

 

凄いでしょ。 雑草という植物はないんですが、

 

この花の咲き方は心が癒されます。

 

 

 

今日のお話は、「心の荷物をおろす108の知恵」(川村妙慶著)から、

 

”恨み返さない”をお伝えします。

 

 

 

怨み返さない

 

 

先日、福岡で法話のご縁をいただきました。

 

 

タクシーで博多駅に向かう途中、

 

運転手さんと仏教の話題で盛り上がりました。

 

 

すると、さっきまで明るく話していた運転手さんが、

 

「じつは私は、目の前で父親が射殺されたのです。

 

 

今は犯人を殺すことしか考えていません」

 

とおっしゃったのです。

 

 

本来なら、仕事中にあまり個人的な会話は

 

しないものですが、人生にはいろんなことが

 

あるものだと考えさせらねました。

 

 

しかし、これも縁です。

 

 

「犯人に仕返ししたい」という気持ちを

 

私なりに理解させていただきながら、

 

 

でも、「怨みだけでは終わってほしくない!」

 

「自分の人生をどう過ごすのかを考えてほしい」など、

 

いろいろお話させていただきました。

 

 

 

以前読んだ本に、こんなことが載っていました。

 

 

第二次世界大戦が終結し、敗戦国となった日本に、

 

各国から賠償請求があった中、

 

 

スリランカ(当時はセイロン国)は

 

損害賠償を放棄したといいます。

 

 

そのときの演説には、お釈迦様の言葉が

 

引用されたそうです。

 

 

 

「もろもろの怨みは怨み返すことによっては、

 

決して鎮まらない。

 

 

もろもろの怨みは、怨み返さないことによって鎮まる。

 

これは永遠の真理である」(ダンマパタ)

 

 

「怨みは怨み返す」ということが、どこかで

 

納得されつつある世の中です。

 

 

しかし、正論を言うようですが、これは大きな

 

あやまちであることに気づかなければなりません。

 

 

怨みはまた次の怨みを生みます。

 

暴力や戦争では何も伝わりません。

 

 

 

運転手さんが「私は恨んでます」と

 

正直な気持ちを話してくれたこと。

 

 

そこから彼の出発があるのですね。

 

 

国の問題となると時間もかかるのでしょうが、

 

その前に、私たち一人ひとりの問題として、

 

心を込めて考えていきたいものです。

 

 

 

世の中には理不尽なことが起こることがあります。

 

突然の不幸もあります。

 

 

なんで自分が?、なんでわが家が?

 

なんてことも起こることがあります。

 

 

以前にもお伝えしましたが、

 

わが家では昭和32年から35年の間に、

 

 

家業の漁師船が3回沈没し、私のおじいちゃんが

 

亡くなり、近所のお手伝いの若い衆が二人海で

 

亡くなりました。

 

 

伊勢湾台風では自宅が水没してしまいました。

 

 

わが家は賠償金支払いのため、すべての田地田畑を

 

売却しまし、大きな借金を背負いました。

 

 

それ以後、父は神や仏を信じなくなりました。

 

 

ですから私は母が亡くなるまで、

 

わが家のお墓をしりませんでした。

 

 

父はどれほどの絶望感を持ったことでしょう。

 

人生には突然起こる不幸があります。

 

 

 

しかし、スリランカのジャヤワルダナ大統領の

 

「怨みは怨み返さないことによって鎮まる」

 

という信念が多くの日本人が救われました。

 

 

怨み続けて生きる人生はとっても空しいものです。

 

 

老子の言葉「恨みに報ゆる徳を以ってなす」

 

という言葉があります。

 

 

過ぎたことはもとにはもどりません。

 

 

怨み続けて生きるより、明日に向かって

 

希望を胸に生きていくことが、

 

より良い人生となるはずです!

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月18日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今日は強い雨が降っています。

 

 

沖縄や九州では線状降水帯があり、

 

集中豪雨の可能性があり、厳重警戒だそうです。

 

 

この後、東海地方にも線状降水帯が来そうで

 

午後3時ごろまでは警戒が必要です。

 

 

双和工業所でこういう日は注意が必要なんです。

 

 

製品が濡れないようにトラックにシートを

 

かけなけらばいけません。

 

 

皆さんも十分ご注意ください。

 

 

 

今日のお話は、「しない生活」(小池龍之介著)から、

 

”その場しのぎにイエスと言わず、「少し考えさせて」と保留する”

 

お伝えします。

 

 

 

 

「『いいよ』、任せて』と言葉だけ調子よく、

 

いざ頼まれたら『今週だけは忙しくて・・・』

 

 

などと言い訳して逃げる人。

 

こんな人は、友ではなく友だちモドキと心得よ」

 

 

これは『六方礼経」に残る、釈迦の古い言葉です。

 

 

他人の目を気にして嫌われぬように

 

調子のよい安請け合いをしがちな、

 

 

我ら現代人をドキッとさせはしないでしょうか。

 

 

 

いやはや、相手の承認を取りつけたくて、

 

その場しのぎにイエスと言った後で、

 

 

冷静に考えると「 やっぱりやりたくない・・・」

 

ということは、よくあることでしょう。

 

 

うーん、少なくとも私には、けっこうありますね。

 

 

なおかつ「やっぱりできません」と正直に

 

伝えることもできない臆病さに負ける場合、

 

 

「急な仕事が入り忙しくて」などど、

 

(たいていは嘘の)言い訳までするハメになるでしょう。

 

 

 

安請け合いも、嘘の言い訳も、どちらも

 

他者からの承認を保ちたいがゆえに、本心を

 

伝えられないままにやってしまうものです。

 

 

その結果「友だちモドキ」の不誠実な人と

 

なってしまい、まさに相手からの承認を

 

失うかもしれませんのに。

 

 

 

そのうえ「やりたくない」という本心が

 

伝わらないせいで、次からも頼まれたり

 

 

誘われたりが続き「あー、もう!

 

どうしてわかってくれないんだろう?」

 

と思うかもしれません。

 

 

が、嫌われるのを怖がりすぎて良い人ぶる、

 

自分の蒔いた種なのです。

 

 

 

勇気を出して、もっと正直に。

 

せめて、すぐにイエスを言わず。

 

 

「少し考えさせて」と保留するとか。

 

 

それでもうっかり安請け合いして

 

後悔したときは、思い切って伝えるといい。

 

 

「君に気に入られたくて、ついオーケーしたけれど、

 

考え直したら気が進まないんだ、ごめん」と。

 

 

 

 

今日のお話、私にも何度もありましたね~。

 

 

私は典型的な八方美人で、みんなにいい顔が

 

したくなるタイプでした。

 

 

ですから、ついつい「いいよ。OK]なんてことが、

 

よくありました。

 

 

後で、安請け合いをして、「しまったー!」

 

なんてよく思いました。

 

 

ただ、受けたことは必ずやりましたけどね。

 

 

若い頃は自分の信念が固まっていなくて、

 

こういうことを何度もくり返しました。

 

 

 

今、この歳(68歳)になると、八方美人も

 

少し変わってきました。

 

 

「できることはやる、できないことはしない」

 

というスタンスが取れるようになりました。

 

 

その原点は、すべての人に好かれる必要はない、

 

ということに気が付いたからです。

 

 

 

世の中には「どうしようもないこと」があります。

 

 

若い頃は、どうしようもないことでも

 

なんとかしようとして悩んでいました。

 

 

ですが歳を取ると、こういう考え方は

 

愚の骨頂だと気づきました。

 

 

誠実に対応して、それでも嫌われるのなら、

 

それはそれでいいという考えに変わってきました。

 

 

いいことも悪いこともあるがままに受け入れる。

 

自然体で悠々と生きることに決めました。

 

 

自分にも必ず死がやってきます。

 

それは誰も避けられません。

 

 

であるならば、いつか来るその時まで

 

精いっぱい生きることを考えようと思う、今日この頃です!

 

 

 

 

 

 

2024年6月17日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

昨日は父の日でした。

 

母の日と比べると、この父の日はとってもマイナーな

 

感じがします。

 

 

テレビやマスコミもあまり取り上げませんから、

 

知らないうちに過ぎてしまうこともありますね。

 

 

でも我が家の3人の子どもたち家族は、

 

忘れていませんでした。

 

 

 

これは土曜日に長男哲哉家族が外食をしてから、

 

プレゼントしてくれたTシャツです。

 

ちょっと大きめでしたが、着てみたらぴったりでした。

 

 

 

これは次男大輔からで、お嫁さんが私の大好きな

 

焼酎を選んでくれました。

 

昨日、孫のマオちゃんからプレゼントしてもらいました。

 

 

 

夕食は娘のゆっちゃん家族とピザを食べたんです。

 

孫たちのリクエストでした。

 

 

そして、プレゼントはこちらです。

 

 

これも私の大好きなウイスキーなんです。

 

選んでくれたのは、旦那さんのM君。

 

 

毎晩、寝る前のワンショットだけ飲むんですが、

 

よく眠れます。

 

 

ということで、とっても恵まれた父の日となりました。

 

 

 

今日のお話は、「心配事の9割は起こらない」(桝野俊明著)から、

 

”迷わず”助けを求める”をお伝えします。

 

 

 

”迷わず”助けを求める

 

 

「門を開けば福寿多し」という禅語があります。

 

 

なにもかも包み隠さず、あからさまにしてしまえば、

 

よいことがたくさんある、という意味です。

 

 

つらいことがあった。

 

苦しいことがあった。

 

 

自分には手に負えないトラブルが起きた・・・・

 

なにもかも自分で引き受けることはないのです。

 

 

 

苦しければ苦しいと、つらければつらいと、

 

思いをあからさまにする。

 

 

助けてほしいときは、一人で抱え込まずに

 

助けを求めればいいのです。

 

 

日本人は慎み深く、忍耐強い民族です。

 

 

もちろんそれは誇るべきことですが、

 

ときにその民族性が自分を苦しくすることも

 

あるような気がするのです。

 

 

典型的なのが介護です。

 

 

高齢化が進んでこれからますます

 

介護が必要となるお年寄りが増えることは確実です。

 

 

それにともなって介護にあたる家族の

 

負担も大きなものになります。

 

 

しかし、日本人は背負ってしまうんです。

 

 

 

「親の介護なのだから、夫や妻の介護なのだから、

 

自分がやらねば・・・・」

 

 

という思いから、しんどくても、辛くても、

 

苦しくても、黙々と介護を続ける。

 

 

その結果、高齢者が高齢者を介護する

 

「老老介護」の現場などでは、

 

 

どうにも背負いきれなくなって、

 

介護者が被介護者に手をかけるといった、

 

 

あまりにも無念な事件が起きてしまったり

 

しています。

 

 

 

最大の問題が、介護環境が十分に整備

 

されていないこと。

 

 

つまり、その分野での政治の立ち後れに

 

あるということはいうまでにありませんが、

 

 

そこに期待するだけではいつまでたっても

 

出口が見えてこないような気もします。

 

 

 

 

また、仕事の場でも、耐え難いほどに

 

苦しいことはあるのだと思います。

 

 

過労死は、精魂込めてはたらきに働き、

 

その結果、ついに耐えられなくなっての

 

ものでしょう。

 

 

パワハラや人間関係の摩擦が原因で

 

うつ病になってしまう、といったケースも

 

忍耐の限界を超えたということなのでしょう。

 

 

 

どうか、抱え込まないでください。

 

迷わず助けを求めてください。

 

 

心情を吐露するだけでも心が軽くなりますし、

 

手を差し伸べてくれる人は、必ずどこかに

 

いるはずです。

 

 

 

 

「苦しみを、ともに受け入れるとき、喜びとなる」

 

ノーベル平和賞を受けたマザー・テレサの言葉です。

 

 

自分をまずあからさまにして、

 

言葉にしたら、その声は、苦しさや辛さを

 

 

ともに受け入れてくれる人の耳に

 

きっと届くのだと思います。

 

 

そして、ともに受け入れることで、

 

それらは喜びに変わるのです。

 

 

ためらうことはありません。

 

 

いま、あなたが誰かに話したいことは、

 

どんなことですか?

 

 

 

 

今の日本では交通事故で亡くなる人よりも

 

自殺で亡くなる人のほうが多いそうです。

 

 

それほど今の社会は精神的なストレスが

 

多いということです。

 

 

 

私も50歳の時にうつ病になり、

 

毎日自殺を考えていた時期がありました。

 

 

家内やいろいろな方々のお蔭で、

 

なんとか今があります。

 

 

実はこのブログもそういった方々への

 

人生の応援ブログとして書いています。

 

 

 

今日のお話のように、辛いときや苦しいときは、

 

まずは誰かに話すことが大切です。

 

 

この世に解決できない問題はないのです。

 

私もそうですが、今、生き延びているからです。

 

 

死んでしまえばその人は楽かもしれませんが、

 

残された家族は心に大きな傷を抱えながら

 

生きて行かねばなりません。

 

 

 

「時間薬」というものがあります。

 

今、辛く苦しくても、それは永遠には続きません。

 

 

3年~5年もすれば、

 

「あの時は苦しかったなぁ」と笑って話せる日が、

 

必ずやってくるんです。

 

 

その日を楽しみにして、今、できる事を

 

精いっぱいやる。

 

 

病気ならば治療をする。

 

疲れていれば思いきって休む。

 

辛ければ誰かに聞いてもらう、などなど、

 

 

今思いつくことをやることが大切です。

 

それを繰り返していけば、必ず出口に辿り着きます。

 

 

いつも言っておりますが、

 

「明けない夜はない!」

 

「出口のないトンネルはない!」

 

「嵐は必ず通り過ぎ止む!」

 

「日は又昇る!」なんですよ。