社長ブログ

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社長 笹原のちょっとイイ話!

2024年8月6日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

昨日、名古屋の最高気温が39度になりました。

 

双和工業所の工場内の温度計は41度をさしていました。

 

 

まさに灼熱地獄ですね。

 

 

午後から材料の引き取りで出かけました。

 

 

車のドアを開けようとしてドアのフレームに手を置たんですが、

 

びっくりするほど熱くて、やけどしそうでした。

 

 

車に乗って温度計を見てさらにびっくりしました。

 

 

なんと外気温は44度となっていました。

 

ボンネットはおそらく50度以上だったでしょうね。

 

 

こんな気温の中でも頑張ってくれている社員の

 

皆さんには感謝しかありません。

 

 

皆、ありがとうね!

 

 

 

今日のお話は、「常岡一郎一日一言」から、

 

”人のねうち” をお伝えします。

 

 

 

ひとのねうち

 

 

ただ世渡りが上手で出世したり、

 

学問のあるお蔭で出世している人間の中に、

 

 

人としての心がけ、生き方に少しも

 

ねうちがない人があります。

 

 

人のねうちは地位の上下によってきまる

 

ものではありません。

 

 

 

一生貧しい農夫でも、学校の小使さんでも、

 

先生でも、ひたすら捧げきって職場をよく守り、

 

 

魂を明るく落ちついてゆく人が

 

尊いと思います。

 

 

次第に人間としてのねうちをよくなす

 

人であると思います。

 

 

地位は低い。

 

然(しか)し地位は包み紙のようなものです。

 

 

いかに包み紙が立派でも内容が

 

粗末なら何もなりません。

 

 

 

自分で自分の仕事をつまらないと

 

思ったり、つまらなく見えたり、

 

 

力がはいらぬような生き方は、

 

尊い人の考え方ではない。

 

 

どんなつまらない仕事にも全心力をこめて

 

働く自分をつくることである。

 

 

そんな人こそ八方から待ち望まれて

 

いる人である。

 

 

 

 

人のねうちってついつい地位や財産、

 

知名度なんかで判断しがちですよね。

 

 

確かにそういう人は頑張って今があるのでしょうが、

 

人のねうちとはやや違うように思うんです。

 

 

地位や財産は一時のものかもしれません。

 

 

今だけを見て、「ああ、あの人は成功者だ」などと

 

思ってしまいがちですが、正しいとは限りません。

 

 

特に商売をしていると、

 

必ずいい時と悪い時があります。

 

 

成功した「今」は永遠ではありません。

 

努力を怠れば、すぐに沈んでいきます。

 

 

 

以前、銀行の担当者T君が息子哲哉が社長になった時、

 

こう言いました。

 

 

その担当者は哲哉と同じ年だったこともあり、

 

 

「ご子息は私と同じ歳で社長になられた。

 

それに比べて私は一介のサラリーマンで、

 

大きな違いですよね」と。

 

 

私は彼にこう言いました。

 

 

「それは違うよ。

 

君は今しか見ていないよね。

 

 

双和工業所は倒産の危機に何度も遭い、

 

今に至っているんだよ。

 

 

5年先に会社が存在してるかどうか

 

誰にも分からない。

 

 

ましてや億単位の借金があって、

 

連帯保証人にもなってる。

 

 

そういう会社が潰れた例はたくさんあるし、

 

それは君がいちばんよく知ってるはずだよね。

 

 

今の君の仕事は銀行という堅実な仕事で、

 

君はとても誠実な仕事をしている。

 

 

そして、君は結婚して奥さんや子供さんを立派に守っている。

 

 

それは普通じゃなくて、とても尊いことだよ。

 

人の外見で自分と比べるのは間違いだよ」と。

 

 

トイレ掃除だって誰かがやってくれなければ、

 

汚れて使えなくなることもあります。

 

 

道路に落ちているゴミだって誰かが拾ってくれています。

 

仕事に尊貧はないのです。

 

 

今、与えられている仕事に誇りを持ち、

 

精いっぱいやり続けることができる人こそ、

 

「ねうちのある人」だと思うんですが!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年8月5日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

毎日オリンピックを見ています。

 

 

柔道は団体混合で銀メダル、ゴフルの松山英樹は

 

銅メダルと、毎日メダルダッシュしています。

 

 

待っても負けても、日本代表として精一杯努力し

 

戦ってくれた選手の皆さんには感動をありとうと言いたいです。

 

 

どのような結果でも胸を張って帰国して頂きたいですね。

 

 

 

今日のお話は、渋沢栄一の「超訳・論語と算盤」から、

 

”親孝行も親不孝も親しだい”をお伝えします。

 

 

 

親孝行も親不孝も親不幸も親しだい

 

 

『論語』の中に、「孟武伯孝を問う、子いわく、

 

父母はただその疾(やまい)をこれ憂う」、

 

 

「子游(ゆう)孝を問う、子いわく、今の孝なる者は、

 

よく養うことをいう、犬馬に至るまで、

 

 

みなよく養うことあり、敬せざれば何をもってか別たんや」

 

など、しばしば孝について説かれている。

 

 

しかし、親から子に対して孝行に励めと強いるのは、

 

かえって子を親不孝の子にするものだ。

 

 

親は自分の思いによって、子を孝行の子にも、

 

不幸の子にもしてしまうのだ。

 

 

人の子としての孝行は、そのような簡単な

 

ものではないだろう。

 

 

 

私が二十三歳の頃、

 

父が「お前は私と違ったところがある。

 

本をよく読み、利発だ。

 

 

本心をいえば手元にとどめておきたいが、

 

それではかえあってお前を不孝の子にしてしまうから、

 

思うままにさせることにした」とおっしゃった。

 

 

もし父が私を思うとおりにしようとしていたら、

 

私は父に反抗したかもしれない。

 

 

父の考えのおかげでそうはならず、

 

私は孝行の子となることができた

 

 

孝行は親が子にさせるものなのである。

 

 

私も子どもに対しては父と同じような

 

態度で臨むようにしている。

 

 

私の子女はどちたかといえば私より劣るように

 

思うが、責めて思いどおりにしようとしても、

 

私のようになれるわけではない。

 

 

子女がすべて私の思いどおりにならないからと、

 

これが不孝とは思わぬことだ。

 

 

 

 

親孝行は立派なことです。

 

できれば私も親孝行したかったと思っています。

 

 

ですが以前にもお伝えしたように、

 

母は私が28歳の時に、父はその2年後に

 

癌で亡くなりました。

 

 

まさに、「親孝行したい時には親はなし」

 

でしたね。

 

 

 

しかし、今、親の歳になって思うことは、

 

親孝行って特に何かして欲しいとは

 

思わないんです。

 

 

子どもたちが元気で普通に暮らし、

 

できれば結婚して孫の顔を見させてくれれば

 

それで十分なのです。

 

 

親孝行は子が平穏無事に暮らしてくれる

 

ことで十分なのです。

 

 

そういう意味では、早く亡くなってしまった

 

両親でしたが、私は結婚し孫の顔は見せる

 

ことができたので、ささやかですが親孝行できたかな

 

なんて思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年8月2日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

一週間が早いですね。もう金曜日です。

 

 

一日おきにオリンピックの男女のサッカーを

 

観戦しているので、時の立つのが早いです。

 

 

オリンピックの競技では勝つ人も負けた人もいますが、

 

それぞれにドラマがあり、今後の人生に活かしてほしいですね。

 

 

まだまだ、寝不足が続きそうです。

 

 

 

今日のお話は、

 

「一日一話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」から、

 

陶芸家の北側八郎さんの”繁栄の法則”をお伝えします。

 

 

 

繫栄の法則

 

 

物事を肯定的に捉えた上で、物事の繁栄のために

 

まず大切なのは「喜びを与えること」と

 

「感謝する」ことです。

 

 

熊本地方の方言に、「モチ投ぐる(投げる)とゴダ返る」

 

とあります。

 

 

誰かにモチをあげると、あんこの入った団子になって

 

返ってくる、つまり人に善意と好意を与え続けていると、

 

 

それ以上のものになって自分に返ってくる

 

という普遍の法則が働いてきます。

 

 

 

この世界には、このような法則が厳として存在します。

 

繁栄は、まず喜びを与えることから始まるのです。

 

 

決して奪うことや儲けることではありません。

 

 

生きていく上では、お人好しでも多少人より

 

テンポが遅くても、流行のバスに乗り遅れてもいいのです。

 

 

また、人はもらったものを自分の周囲に返そうとします。

 

 

喜びを与えられたら喜びを、

 

憎しみを与えられたら憎しみを、

 

いじめられたら怒りを返そうとします。

 

 

難しい話ではありません。

 

商売の基本も同じです。

 

 

お客さんの心を打つようなもの、

 

生き方を変えさせるようなものを与える

 

奉仕の哲学を大前提として持てばいいのです。

 

 

ところが、これが言葉では簡単なようで、

 

実はとても難しいのです。

 

 

とかく、実社会では利を上げることを

 

中心に社会は動いています。

 

 

 

大事なのは、利益より先に信を選び、品物を

 

売ることや売上を上げることを目指すのではなく、

 

”信”を得ることを身につけることです。

 

 

銀座の真珠会社のナンバーワンの社員は

 

高いものを売りつけず、お客さんの予算の中で

 

 

一番ふさわしいものを探し、値よりも信を

 

買ってもらうことでナンバーワンを

 

保ち続けています。

 

 

大分の自転車屋さんは、修理大好き自転車屋

 

と看板し、人の役立つことに生きがいを感じ、

 

たくさんの人の好感を買っています。

 

 

「利益よりも信を」「拡大よりも充実を」です。

 

 

 

ところが「与える」という発想に

 

私たちは慣れていません。

 

 

ですから、発想を百八十度転換し

 

「与えることが難しい人は、自分が少し

 

損をしながら毎日を生きてみる」と提案しています。

 

 

具体的には自分の思っている十パーセントを

 

目安に「損」をして生きるといいでしょう。

 

 

 

近江商人の信条は「三方良し」だそうです。

 

 

「売り手良し、買い手良し、世間良し」と

 

すべてが満足できるように商売を行うことです。

 

 

よく考えたら誰も損せず、皆な「良し」であれば、

 

会社は絶対潰れません。

 

 

潰れるどころか、危機が来ても、周りが助けてくれます。

 

 

なぜか?

 

その会社が潰れると自社が困るからです。

 

 

個人でも同じです。

 

 

まずは自分より他の人の利を大事にすれば、

 

いい関係が築けて長いお付き合いができます。

 

 

しかし、今日のお話のように「人に与える」ことは

 

難しいですよね。

 

 

そこで自分が少し「損」をするという考え方は

 

素晴らしいですね。

 

 

損=譲る、と考えてみてはどうでしょう。

 

 

エレベーターの出入りは、他の人を先にする。

 

車のすれ違いは、自分が待つ。

 

 

電車やバスでは席を譲るなどなど、

 

些細なことでもいいので「譲る」を

 

実行して生きることでいいですね。

 

 

 

些細な善行の積み重ねが、徳積みとなって

 

いつか自分に戻ってくるんですよね。

 

 

奪うより与えた方が、心が温まるんですよね~!

 

 

 

 

2024年8月1日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝も5時起きでした。

 

サッカー女子の試合を見ましたが、

 

ナイジェリアに3対1で勝利して決勝トーナメント進出と

 

なりました。

 

 

そして今朝も金メダル。

 

 

体操個人総合で岡慎之助選手が優勝しました。

 

個人総合も4大会連続優勝だそうです。

 

 

日本選手団にはこれからも頑張ってほしいですね。

 

 

 

今日のお話は、中村天風さんの「君に成功を贈る」から、

 

”現在感謝でいくと、そりゃもう、一秒一秒が楽しく生きられる”

 

お伝えします。

 

 

 

こういう話をすると、若い男の中には、

 

 

「いやあ幸せだなあ、天風先生は。

 

もう本当かいな。一日でも代わりたいな」

 

 

なんて思うかもしれませんけど、

 

人間ていうものは、一対一で勝負ができるものなの。

 

 

三十人もそばにいてごらんなさい、

 

「あの女いいな」って思ってみても、

 

交渉をひらくことだってできないんだぜ。

 

 

いわんやまして両方に一人ずつ、

 

鉄道の枕木みたいに横になってるやついたんじゃ、

 

どっち向いたって不平不満になるじゃないか。

 

 

やむにやまれず天井むいてなきゃいけない。(笑)

 

 

あなた笑ってるけどね、そりゃもう、

 

一日も早くこんな境涯から逃げたいと思ったよ。

 

 

時間から時間まで、もう膝くずすことも

 

できないんだもん。

 

 

ありゃ軟禁だね。

 

 

たった一人で、蒙古やインドの山の中で、

 

寝たいときは寝て、起きたいときは起きる、

 

これがいちばん気楽だよ。

 

 

 

それで心の中では、

 

「ああ、こんどはあれを日本に帰ったら食ってみてえ」

 

 

とか、「あんな遊びをしてみてえ」なんてことを、

 

想像を描いているときの楽しみってものは、

 

もう、はかりしれないものですよ。

 

 

結局、思えば思うほど楽しい、

 

考えれば考えるほど嬉しい、

 

 

ということだけを心の中の絵巻物の中に、

 

はっきり、しょっちゅう消えないかたちで

 

 

書きどおしに書いて人生生きることこそ、

 

人生極楽だぜ、これ。

 

 

 

そして現在感謝です。

 

現在感謝わすれるなよ。

 

 

現在感謝、現在感謝でいくてえと、そりゃもう、

 

一秒一秒が楽しく生きられるから。

 

 

ということを忘れずに、現在たった今から、

 

毎日毎日楽しく生きてごらん。

 

 

 

いいかい、もうどんなことがあったって、

 

現在感謝。

 

 

いままでのようにすぐ不平不満を言うような

 

ケチな気持ちや心もちは、海の中や山の中に捨てちまえ。

 

 

 

先ほどのオリンピック男子体操個人総合優勝の

 

岡選手のインタビューで彼は言っていました。

 

 

ケガをして立ち直り、オリンピックに出られたことに

 

感謝して競技に望んだそうです。

 

 

そうなんですよね~。

 

ケガで出場できないかも?なんて思っていたのに、

 

出場できて優勝したんですから。

 

 

どん底から這い上がって来た人は

 

感謝という気持ちのベースがあるから、

 

大きな力が発揮できたのだと思います。

 

 

 

私も今生きれれていることに毎日感謝しています。

 

うつ病、脳梗塞、癌を乗り越えて今があります。

 

 

「生きてるだけで丸もうけ」(明石家さんま)

 

 

何があっても感謝を忘れずにこれからも

 

生きていきたいと思います!

 

 

2024年7月31日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝も5時に起きてオリンピック男子サッカーの

 

日本対イスラエル戦を見ました。

 

 

結果は1対0で日本が勝利し、3戦全勝でした。

 

失点0が素晴らしいですね。

 

 

これはキーパーの小久保選手がPKも含めて

 

すべての危機を止めたからだと思います。

 

 

彼の力がとても大きな予選リーグでした。

 

 

 

そして、柔道81キロ級で長瀬貴規選手が金メダルで

 

前回の東京でも金メダルで連覇しました。

 

 

この階級は過去の日本はなかなか勝てない階級でした。

 

 

いつもそうなんですが、表彰式の後の日の丸掲揚は、

 

何度見ても涙腺が緩みます。

 

 

 

これで柔道は金が3個、銅が3個と素晴らしい活躍です。

 

今夜もまた寝不足になりそうです。

 

 

 

今日のお話は、「老子の言葉」(田口佳史著)から、

 

”人生を「わかった気」になっていないか?”を

 

お伝えします。

 

 

 

人生を「わかった気」になっていないか?

 

 

知りて知らずは上。

 

知らずして知れりとするは病(へい)。

 

 

超訳)たくさんの知識や情報を頭に詰め込んで、

 

何でもわかった気になっていないかい?

 

 

思い違いもはなはだしいよ。

 

 

ましてや、ろくすっぽ知りもしなのに、

 

知ったかぶりをするなど、重病としか

 

言いようがない。

 

 

本当に知っていると言えるのは、

 

「道」がものも言わずに実践している

 

 

「無為自然」という真理を体得する

 

ことなのだ。

 

 

 

 

もう長らく、知識偏重の時代が続いています。

 

 

その傾向と相まって、インターネット社会の

 

進展を背景に情報がありふれ返り、

 

 

人間がどんどん頭でっかちになっているようです。

 

 

そんな風潮に一石を投じるかのように、

 

老子は言うのです。

 

 

「知識があるとかないとか、ものを知っている

 

とか知っていないとか、そんなことは

 

問題にするに値しない。

 

 

知識の豊富な者が偉いなんて妙な価値感

 

まであるから、知ったかぶりをする人間

 

も出てくる。 みんな、病気だね」と。

 

 

 

「病気」とはかなる辛辣(しんらつ)な言い方ですね。

 

これを儒教の考えと比べてみると、またおもしろい。

 

 

『論語』には、「之を知るを之を知ると為し、

 

知らざるを知らずと為す。是知るなり」

 

という有名な言葉があります。

 

 

つまり、「知っていることと知らないことを

 

はっきりさせなさい」と言っているわけです。

 

 

 

でも、老子は孔子が「知っている」と言って

 

いることに対しても、

 

 

「わかった気になっているだけで、

 

何も分っていない」と言っているのです。

 

 

おそらく大半の人が、「孔子の言葉はわかりやすい。

 

でも、老子はちょっと・・・・。

 

 

そのそも、知識をたくさん持っていることの

 

何が悪いんだ?」

 

と疑問に思うのではないでしょうか。

 

 

もっとも、老子に言わせれば、

 

「わかりやすいと言うこと自体が、見当違いだ」

 

ということなのです。

 

 

老子はそこを問題にしているというより、

 

 

「人生を生きるうえで一番大事な真理も

 

知ろうとしないで、知識も何もない」

 

としているのです。

 

 

老子思想的には、知識なんて、自分を賢く

 

見せるためのお飾りでしかない。

 

 

それを「耳の痛いアドバイス」と捉え、

 

生きていくうえでの真理を見つめ直して

 

いただきたいところです。

 

 

 

世の中には知識豊富な人がいます。

 

私なんか覚えてもすぐ忘れてしまうタイプです。

 

 

ただ豊富な知識をこれみよがしに

 

自慢めいて話すのはどうかと思います。

 

 

以前、私は兄からこんなことを言われました。

 

 

お盆に会った時、明治時代の有名な人の

 

歴史本を見せられて、

 

 

「おまえこの人知っているか?」と。

 

 

私は知らなかったので、

 

「勉強不足で知らない」と答えましたが、

 

なんとなく見下げられた感じでした。

 

 

兄は決して私を見下げるつもりでは

 

なかったんと思うんですが、こういう本で勉強しろと

 

言いたかったようでした。

 

 

知識はたしかにたくさんあったほうが

 

いいですが、大切なのはそれの使い方ですね。

 

 

 

時には知っていても知らないふりをして、

 

相手を傷ずつけない配慮も必要です。

 

 

「知識が豊富=頭のいい人」というのは

 

ちょっと違うように思います。

 

 

その知識をいかに世の為人の為に使うかで、

 

賢人かどうかが決まるように思います。

 

 

道具も使いよう、知識も使い方次第で、

 

良くも悪くもなりますから、気をつけたいですね!