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社長 笹原のちょっとイイ話!

2024年7月19日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝の北名古屋市はやや雲がかかっていて、

 

少し風もあり、昨日の暑さとは違いやや楽な朝となりました。

 

 

 

昨日の暑さはハンパなかったですね。

 

これは午後2時ごろ出かけたときの車の

 

温度計なんですが、なんと43度でした。

 

 

 

今朝のニュースでスーパーの駐車場で

 

72歳の男性が熱中症で亡くなったそうです。

 

 

窓は空いていて、エアコンもついていたそうです。

 

私と変わらない年の方なので、何だか身につまされます。

 

 

 

今日のお話は、「瀬戸内寂聴80の言葉」(桑原晃弥著)から、

 

”不幸に負けない勇気を持とう”をお伝えします。

 

 

 

不幸に負けない勇気を持とう

 

 

宗教は、本来人を救うはずのものですが、

 

なぜか世の中には「人のため」ではなく

 

「金儲けのため」に宗教を利用する人たちもいます。

 

 

瀬戸内寂聴はいい宗教とインチキ宗教を

 

見分けるコツは、「その宗教団体が、

 

 

金儲けをしているか、していないかを

 

見極めることだ」と言います。

 

 

 

それでも人がインチキ宗教に引っかかるのは、

 

「人生においては、なぜか、いいことも悪いことも、

 

つれだってやってくる」からです。

 

 

いいことが続くなら喜ばしいのですが、

 

悪いことが続くと、どうしても人は不安になり、

 

気が弱くなってしまいます。

 

 

 

インチキ宗教は「前世の因縁」を持ち出してそこに

 

つけこみ、「悪霊を除かなければますます不幸になる」

 

と脅して多額の金銭を要求します。

 

 

瀬戸内はこうしたやり口を非難すつ一方で、

 

だまされないためには

 

 

「運命や不遇に負けないで、自力で勇気を出して

 

おそいかかった不運や不幸に立ち向かってほしい」

 

と訴えています。

 

 

 

そのためには、自分の行くべき道を、

 

自分の力で誤らずに判断する力が必要です。

 

 

人には冷めた理性と、不運に負けない

 

勇気が必要なのです。

 

 

 

 

金儲けの悪徳宗教は時々あります。

 

宗教を信じることは悪いことではありません。

 

 

しかし、今日のお話のように金儲けの

 

宗教はいけませんね。

 

 

人は自分が弱ったり、家族に不幸が起こると

 

藁をもすがりたくなり、宗教に救いを求めます。

 

 

弱っている時は、何を言われても救いの言葉は

 

信じてしまいます。

 

 

お祓いや仏像の購入、法外なお布施などなど、

 

悪徳宗教は人の弱みに付け込んできます。

 

 

 

私も、うつ病やリーマンショクで会社が

 

5期連続赤字になったときは、最後の

 

神頼みといろんな神社にお参りにいきました。

 

 

人とは弱いものです。

 

しかし、その中にも信念を持つことが大事です。

 

 

連続赤字の時も最後は腹をくくり、

 

こう考えていました。

 

 

会社が倒産したら、自分の全財産を差し出して

 

債権者にお詫びしよう。

 

 

しかし、今できることはどんなことでもやろう。

 

 

資金が続いているうちは、余計なことは考えずに

 

とりあえず次の角まで進もう。

 

 

次の角まできたら、その時の資金や現状を

 

よく見て、まだ進めるなら、また次の角まで

 

頑張ろうと言い聞かせていました。

 

 

 

まさに「人事を尽くして天命を待つ」

 

という心境でした。

 

 

お蔭で今なんとか、会社は継続できています。

 

 

人間弱ってしまう時もあるでしょう。

 

 

そんな時は少し休んで、また前を向いて

 

また一歩、また一歩とできることをやればいいのです!

 

 

2024年7月18日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今日はとってもいいお天気です。

 

いいというより、かなり暑くなりそうです。

 

 

全国各地で35度超えの酷暑が予想されています。

 

熱中症には十分にお気をつけ下さい。

 

 

 

 

今日のお話は、「なぜか好かれる人がやっている100の習慣」(藤本梨恵子著)

 

から、”どっちでもいいよ考える”をお伝えします。

 

 

 

どっちでもいいと考える

 

 

街でブランド物に目がいく人はどんな人でしょうか?

 

すぐに浮かぶのはブランド物が好きな人では

 

ないでしょうか?

 

 

でも、ブランド物が好きな人だけでなく、

 

嫌いな人も目が行くのです。

 

 

「○○はダメ」と強く禁止していると

 

やたらと目についてきます。

 

 

ブランド物に興味がない人はそもそも

 

目に止まりません。

 

 

意識しないので、その情報を引き寄せないのです。

 

 

 

知り合いの教師は、

 

「電車の中で化粧する人が許せない」と言います。

 

 

「化粧は人前でするものではない」という

 

価値感を持っているからです。

 

 

だから電車でも、ファミレスでも、

 

化粧している人を発見して、嫌な気持ちになるのです。

 

 

 

私は、電車で化粧している人を滅多に見ることが

 

ありません。

 

 

ファミレスで化粧している人には

 

一度も出会ったことがありません。

 

 

きっと電車の中で化粧をしている人は

 

たくさんいるかもしれませんが、

 

気にならないので目に入らないのです。

 

 

もしやたらと目についてイライラすることが

 

あったら、自分で禁止している価値観に

 

気づくチャンスです。

 

 

 

人が幸せになる方法の1つは、

 

良い・悪いというジャンルを手放すことです。

 

 

例えば「想像力があることは良いことだ」

 

というジャンルは一見、害がないように感じます。

 

 

そかし、その裏の価値感として、

 

「自分で発想できない、考えることが

 

できない奴はダメだ」など、

 

 

反対のものを否定する価値感が

 

生まれてしまうのです。

 

 

何かを否定する価値感がある限り、

 

イライラは生まれ続けます。

 

 

 

 

ブッダは人に「大地はミルクをこぼしても、

 

糞尿をまき散らしても、同様に受け入れる」と、

 

大地の寛容さについて語っています。

 

 

物事や人に良い悪いでジャッジしている限り、

 

あなたの心が平穏であることはありません。

 

 

 

ブッダの前で人が癒されるのは、

 

人をジャッジしないからです。

 

 

裁かれないとき、人はリラックスして

 

ありのままの自分でいられます。

 

 

良い・悪いのジャッジを緩め、

 

どちらでもいいと考えられる人物は

 

他人に寛容です。

 

だから愛されるのです。

 

 

 

世の中には物事にこだわりを持って

 

生きている人がいます。

 

 

それはある意味幸せなことかもしれません。

 

 

自分の信念を貫くことで満足感を得ることは

 

いいことですよね。

 

 

ただ、年を取るとこだわるのも

 

結構体力や気力がいって、疲れることがあります。

 

 

生きてきた時間が長い分だけこだわる

 

ものも多くなり、生き辛くなってきます。

 

 

今、「断捨離」という言葉がはやっています。

 

特に年配の方に多く聞かれます。

 

 

こだわってきた物、大切にしてきた物を、

 

思い切って捨てることで、身体も心も

 

軽くするということです。

 

 

あの世へはお金も物も持っていけませんからね。

 

 

以前読んだ本で五木寛之さんの「親鸞」という

 

本があります。

 

 

タイトルの通り、親鸞聖人の一生を書いたものです。

 

 

その中に、親鸞が京の都で修業していたくだりがあり、

 

親鸞の一つの悟りの言葉が出てきます。

 

 

「我は河原の石つぶて」という言葉です。

 

 

河原の石は雨風や日照りにあっても、

 

ただそこにじっとして「ある」だけ。

 

 

この言葉は鴨川沿いを歩いていたとき、

 

悩んでいた親鸞が河原の石ころを見て

 

悟ったものです。

 

 

石ころは時には激流に流され、

 

厳しい自然の仕打ちにも堪えて

 

ただじっとしてそこにいる。

 

 

厳しい修業の中で親鸞は、自分もあの

 

石ころのようにこだわらず、とらわれず

 

生きようと悟ったのでした。

 

 

私はこの言葉が大好きで、苦しい時や

 

辛いときに自分の信条としています。

 

 

皆さんも思い切って、こだわりを捨ててみては

 

いかがでしょうか!

 

 

 

2024年7月17日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

毎日ぐずついた天気が続いています。

 

 

今朝は6時半ごろに愛犬だんごの散歩に出たんですが、

 

雨はまだ降っていませんでしたが、今はぱらぱらと

 

小雨が降っています。

 

 

こういうお天気は主婦の皆さんは大変ですよね。

 

洗濯物が乾きにくくて、溜まってしまうこともあります。

 

 

今週末には梅雨明けもありそうですので、

 

あと少しの辛抱ですね。

 

 

 

 

今日のお話は、

 

「一日一話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」から、

 

夜間中学校校長の松崎運之介さんの

 

”誕生日は、産んでくれた母に感謝する日”をお伝えします。

 

 

 

誕生日は、産んでくれた母に感謝する日

 

 

夜間学校に通う生徒たちに、「父」と「母」という

 

漢字を教えて差し上げた時のことです。

 

 

「父」は斜めに線を引っぱって下にバッテンを

 

書くだけだけど、「母」は「く」と「く」の

 

 

さかさまうを組み合わせ、不安定に傾いて、

 

中に点々まである。

 

 

 

父は簡単だけど母は難しいというのが、

 

皆さんの一致した意見でした。

 

 

「先生、点々は略しちゃいけないの?

 

一本の線でいいじゃない」

 

 

「点々はお母さんのおっぱいを表しているから、

 

簡単には変えられません」と答えると、

 

 

「ええ、おっぱい出していいの?」

 

「やっぱり棒線で消したほうがいい」と大騒ぎ。

 

 

 

そうこうしているうち、ある生徒さんが

 

「先生、悪いけど私にはあれがお母さんの

 

おっぱいには見えません」と言い出しました。

 

 

困ったと思っていると、その方は、

 

「私にはお母さんの涙に見える」

 

とおっしゃいました。

 

 

すると他の生徒たちも、

 

「そうだ。あれはお母さんの涙だ。

 

お母さんの涙は大事にしなくちゃな・・・」

 

 

と頷き、それぞれが苦労の多かった

 

お母さんの話をし始めました。

 

 

若い頃、母の心など知らずどれだけ反抗したか。

 

逆らったか。

 

 

溢れ出る涙をそのままに皆さんが語りだした。

 

 

年が違おうと国籍が違おうと、父がいて母がいて、

 

今日まで多くの方々に支えられて

 

生きてきたことは変わらない。

 

 

それは私も同じです。

 

私もクラスの仲間として、皆さんに母の話をしました。

 

 

私は両親が満州から引き揚げてくる混乱の

 

中で生まれました。

 

 

小さかった兄は、私が母のお腹にいる時、

 

逃避行を続ける最中で息絶えたといいます。

 

 

 

失意のどん底に叩きつけられた母は、泣き明かした後、

 

 

「いま息づいているこの命だけは

 

何があっても産みだそう」と誓い、

 

私を産んでくれたのです。

 

 

 

私は誕生日が来る度に、母からこの話を

 

聞かされました。

 

 

「あんたが生まれたのはこういうところで、

 

その時、小さなこどもたちがたくさん死んでいった。

 

 

そのこどもたちはおやつも口にしたことがない、

 

おもちゃを手にしたこともないんだよ。

 

 

あんたはその子たちのお余りをもらって、

 

やっと生き延びられたんだ。

 

 

あんたの命の後ろには、無念の思いで

 

死んでいった人たちのたくさんの命が繋がっている。

 

そのことは決して忘れちゃいけないよ」

 

 

 

私は生まれてこのかた、母に誕生日プレゼントを

 

もらったことはなかったし、欲しいと思った

 

こともありません。

 

 

私のとって誕生日は、産んでくれた母に

 

感謝をする日でした。

 

 

 

「親孝行したいときには親はなし」

 

と言います。

 

 

私は学生時代の4年間、下宿していました。

 

毎月3万円の仕送りで、家賃が1万5千円でした。

 

 

母から仕送りが届くと時々手紙が入っていました。

 

 

不漁で家計が苦しいので、節約してアルバイトして

 

欲しいという内容でした。

 

 

しかし、私、バイト代は遊びや酒盛りで

 

全部使っていました。

 

 

「親の心子知らず」でしたね。

 

 

大学を卒業してやっと自活できましたが、

 

正月休みは会社の先輩たちとスキーに行き、

 

母が待っている自宅には帰りませんでした。

 

 

自分の人生は自分のものと、遊びほうけていましたね。

 

 

26歳で結婚して、これから親孝行しようと

 

思った時、母の身体はがんに侵されていました。

 

 

肺がんの末期でした。余命1年。

 

その時やっと母の大切さを思い知らされました。

 

 

58歳で母は亡くなりました。

 

何も親孝行していません。

 

 

まさに「母」という文字の点々は、母の涙でした。

 

 

皆さんにも御両親がおみえだと思います。

 

どうかご存命のうちに親孝行してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年7月16日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今日も雨降りですね。

 

日本の各地で大雨が降り、マックスの警戒警報が

 

出されています。

 

 

長雨は土砂に水が溜まり、関を切ると土砂災害が

 

起こります。

 

 

親戚の家の裏に急斜面があります。

 

ですが、引っ越すわけにもいきません。

 

 

自然は時に厳しい試練を与えることがありますが、

 

それでも生きていかねばなりませんね。

 

 

皆さんも十分お気をつけ下さい。

 

 

 

今日のお話は、「人を惹きつける習慣」(井上裕之著)から、

 

”好かれる人、人望を集める人のシンプルな習慣とは?”

 

をお伝えします。

 

 

 

好かれる人、人望を集める人のシンプルな習慣とは?

 

 

「この人の言う事ことなら、信じていい」

 

「この人が言うなら、やってみよう」

 

「この人のためなら、協力しよう」

 

 

人の心をつかみ、影響力を持つ人がいます。

 

人の心を惹きつけると、人が集まってきます。

 

 

人から支持され、好かれ、愛されます。

 

そして、応援、協力されます。

 

 

 

つまり、人の心をつかめれば、人生は思いのままです。

 

 

人も、仕事も、お金も、情報も集まってきます。

 

人も動いてくれます。

 

 

では、人の心をつかむ人と、そうでない人は、

 

何が違うのでしょうか。

 

 

それは、人間関係における習慣です。

 

誰にでもできる小さな習慣ですが、

 

やるとやらないでは大きな差が生まれます。

 

 

 

なぜか、人から、好かれる人がいます。

 

なぜか、人から慕われる人がいます。

 

 

こういう人たちは、意識的にも無意識的にも

 

次の5つの習慣を行っています。

 

 

 

1 人を安心させる習慣

 

2 人から信頼される習慣

 

3 価値ある自分をつくる習慣

 

4 人に与える習慣

 

5 相手に存在価値を感じさせてあげる習慣

 

 

 

安心感を与えれれる人は、人から受け入れられます。

 

拒絶されることなく、距離をとられることがありません。

 

短期間で親密な関係になれます。

 

 

信頼される人は、言葉の説得力が増します。

 

話を聞き入れてもらえますし、言葉の力で

 

人を動かすことができるようになります。

 

 

価値ある人には人が集まってきます。

 

魅力ある人とは、皆がつながりたいと思うものです。

 

 

 

人に与える人は、すべてを手に入れます。

 

人は与えられると、お返ししたくなるとう原理があります。

 

 

与えれば与えるほど、人、仕事、お金、

 

情報が集まってきます。

 

 

 

相手に存在価値を感じさせられる人は、

 

相手の心をわしづかみにして、放しません。

 

 

「自分に価値がある」と言ってくれる味方を

 

誰もが欲しいのです。

 

 

相手にとってあなたは絶対に必要な人間になります。

 

きずなが強まります。

 

 

 

人心掌握のコツを知れば、仕事とプライベートで

 

大きな成果が得られます。

 

 

人の心を惹きつけると、人が動いてくれます。

 

人が動いてくれると、成果が得られます。

 

 

人の心をつかみ、人望を集め、人を動かす

 

影響力を得てください。

 

 

 

 

誰もがいい人生を送りたいと思っています。

 

地位や名誉やお金もたくさん欲しいと思いますよね。

 

 

でもいい人生はもっと簡単に手に入ると思うのです。

 

今日のタイトルのように「好かれる人」になることです。

 

 

結果的にそれが人望となり徳を積み、

 

いい人生へとつながります。

 

 

 

ここで紹介されている5つの習慣は素晴らしいですね。

 

でもなかなか全部は難つかしいですよね。

 

 

これらの習慣に近づくには1つ大切なことがあります。

 

自分を1番に考えないことです。

 

 

お相手や周りの人々を常に1番に考えることが大切です。

 

 

その結果、自分が損しちゃうこともありでしょう。

 

でもそれは徳を積ませて頂いたと考えてください。

 

 

 

以前愛妻の京子さんと、回転寿司に行った時の話です。

 

 

その日の天気予報では午後から雨の予報でしたが、

 

入店時は雨は降っていませんでした。

 

 

私たちは用心してそれぞれ傘を持って入店しました。

 

 

1時間ほどして店を出ようよした時、

 

雨はざあざあ降りでした。

 

 

その時、出口には75~80歳くらいのご夫婦が

 

傘がなく、途方にくれていました。

 

 

それを見つけて、愛妻の京子さん、

 

「これどうぞ!」と自分の傘を二人に手渡しました。

 

 

「返していただかなくていいですよ!」と

 

一言つけくわえました。

 

 

これ、傘1本損したように思うかもしれませんが、

 

傘の値段以上に私たち夫婦は、満足感で

 

いっぱいになり、心も穏やかで温かい気持ちに

 

なれたんです。

 

 

 

好かれるとか人望とか難しいですが、

 

自分以外の人のことを考えて行動すれば

 

いいのではないでしょうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年7月15日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝はやや寝不足です。

 

 

今朝の3時ごろからヨーロッパサッカーの

 

ユーロの決勝が行われ、録画しておいたので、

 

5時頃から起きて観ていました。

 

 

スペイン対イングランドの決勝でしたが、

 

2体でスペインが優勝しました。

 

 

前回のワールドカップで日本はこのスペインに

 

勝ったんですが、夢のような勝利でしたね。

 

 

 

今日のお話は、昨日本屋さんで買ってきた渋沢栄一の

 

「超訳 論語と算盤」から、

 

”できるかできないかよりもやりたいことを貫く”

 

をお伝えします。

 

 

 

できるかできないかよりもやりたいことを貫く

 

 

世の中では、水に波動のあるごとく、

 

何が起こるかわからない。

 

 

ただし順境と逆境には、それぞれ

 

「人為的」「自然的」の二つがある。

 

 

私も逆境の中で生きてきた一人であるが、

 

維新のような社会の変革、

 

 

政体の革新のごとき大波瀾は、

 

相当の人物だとしても、順境逆境に陥る。

 

 

このように個々の人や能力ではいかんとも

 

しがたい変革を「自然的」順境・逆境という。

 

 

 

自然的逆境は偉大な人物の試金石である。

 

とはいえそれに対する特別の秘訣はない。

 

 

ただ、その逆境が、自己の本分であると

 

自覚するのが唯一の策だろう。

 

 

いいかえれば「あきらめること」だ。

 

 

足るを知って分を守り、いかに焦っても

 

天命だから仕方がないと思えば、

 

心は安らかになるに違いない。

 

 

自然的逆境にある場合、天命に甘んじて、

 

来るべき運命を待ちつつ、たゆまぬ

 

勉強をすることだ。

 

 

 

一方の人為的逆境に陥った場合、

 

自分を省みて悪い点をあらためるよりほかない。

 

 

世の中の多くのことは、みずから招いたことで、

 

自分からこうしたい、ああしたいと奮励すれば、

 

大概は意のままになるものだ。

 

 

 

しかし多くの人はみずから幸福になる

 

運命を招こうとせず、かえってみずから

 

逆境を招くようなことをしている。

 

 

それでは順境に立ちたいと思ったところで、

 

かなえられるはずがないではないか。

 

 

 

 

人生には誰にでも必ずといっていいくらい

 

逆境というものがやってきます。

 

 

それは天災であったり人災、また病など

 

様々な原因で起こります。

 

 

必ず来るなら、今日のお話のように

 

開き直って「あきらめる」のも立ち直るための

 

一つの方法です。

 

 

嵐の時は、背中を丸めて、嵐が止むのを

 

待つしかありません。

 

 

嵐が過ぎ去った後には、必ず綺麗な青空は

見えるはずです。

 

 

5年も経てば、「ああ、あの時は苦しかったなぁ」と

 

思える日は必ずやってきます。

 

 

逆境はそれを乗り越える力をつけさせてくれます。

 

 

その力は、次への土台となり、成功に導いて

 

くれることでしょう。