社長ブログ

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社長 笹原のちょっとイイ話!

2020年10月1日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今日から10月です。

 

空は綺麗に澄み渡り、気持ちのいい朝となりました。

 

今夜は綺麗な中秋の名月がみられそうですね。

 

 

私が歩く遊歩道の彼岸花もほぼ満開で、

 

これから秋が深まりいい季節になっていきます。

 

 

10月からは、ゴーツーキャンペーンに東京も含まれるということで、

 

多くの人が移動し、動けばコロナの確率が上がります。

 

 

緩めたりしめたりしながら経済を回し、

 

コロナと上手に付き合っていかなければなりませんね。

 

 

 

今日のお話は、渡辺和子さんの「幸せはあなたの心が決める」から、

 

”心は顔に表れる”をお伝えします。

 

 

 

心は顔に表れる

 

 

イタリアはミラノ市に、サンタ・マリア・デル・グラチエ

 

と呼ばれる比較的小さな教会があって、

 

ダ・ビンチの描いた「最後の晩餐」の絵で有名です。

 

 

この絵を描くにあたってダ・ビンチは、

 

まず絵の中央に位置するキリストの姿から

 

着手したと言われます。

 

 

その後、次々に十一人の弟子を描き終え、

 

最後に食卓の端にいて、やがてキリストを

 

裏切るユダを描くところまで描き進みました。

 

 

 

いつもの通り、モデルとなる男を求めて

 

往来を物色するうちに、ユダのイメージに

 

ぴったりの人物を見つけました。

 

 

ダ・ビンチとしても頼みにくかったでしょう。

 

それでも理由を話し、モデルを依頼すると、

 

その男は急にハラハラと涙を流し、

 

 

「お見忘れですか。 かくいう私は以前、

 

同じあなたに頼まれて、キリストのモデルになった者です。

 

 

ここしばらく自分の生活が乱れ、

 

人をだまし、裏切り、悪事を重ねて来ましたが、

 

まさか今、ユダのモデルを頼まれるとは・・・・・」

 

 

と言って絶句したというのです。

 

 

 

話の真意は別として、他人事と思えないものが

 

このエピソードには含まれているようです。

 

 

くり返して言いますが、心と顔、

 

生活態度と表情は決して無関係ではないのです。

 

 

 

 

なるほどですね。

 

私も思い当たるところがあります。

 

 

リーマンショクで悲惨な時期には、

 

ひどい顔をしていたように思います。

 

 

夫婦ゲンカなんかめったにしないんですが、

 

きっと鬼のような顔をして、愛妻の京子さんに

 

対峙していたんですね。

 

 

仏教の用語で、「無財の七布施」というものがあります。

 

 

眼施・・・・優しい眼で人に接する

 

和顔悦識施・・・・柔和な顔と喜びの顔を施す

 

心施・・・・細やかな心使いをする

 

 

これらは、すべて心の表れ方次第で施しができ、

 

その時の顔は、穏やかで優しいことでしょう。

 

 

私も普段から心掛けているんですが、

 

なかなか思うようにいきませんね。

 

 

ときどき鏡を見た方がいいですね!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年9月30日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

9月も今日でおしまいですね。

 

朝方はかなり涼しく、愛犬のだんごの散歩も

 

半袖では寒いくらいです。

 

 

 

昨日、壊れた携帯を新しいこのに買換えました。

 

 

ソフトバンクのアイホンなんですが、

 

買換えにはかなりの時間がかかり、

 

説明や手順も複雑で、アドレスやパスワードを入力するんですが、

 

 

娘のゆっちゃんについていってもらって、

 

仕様やギガの大きさなど、私にはチンプンカンプン

 

でしたので、すべてやってもらいました。

 

 

私のデータを空に飛ばして、新規の携帯に取り込むというのですが、

 

意味がよく理解できませんでしたが、

 

無事、新しい携帯を手にすることができました。

 

 

 

今日のお話は、松下幸之助さんの「続・道をひらく」から、

 

”自分と他人”をお伝えします。

 

 

 

自分と他人

 

 

もみじの手に澄んだひとみのかわいいわが子。

 

そのかわいいところはみんな自分に似ているように思えて、

 

 

わが子が笑えば自分も笑い、舌を出せば舌を出し、

 

顔をしかめれば思わずこちらもヒョトコ面。

 

 

まさにわが分身。  時のたつのも忘れてしまう。

 

 

 

それもやがては成長する。

 

そして、一人の人間としての芽生えの中で、

 

親の意にそぐわぬふるまいがはじまってくる。

 

 

何とまあ聞きわけのないこの子と

 

憎らしくもすら思うけれども、よく考えてみれば、

 

 

そのガンコなところもみんな自分に

 

似ているように思えて、文句を言いながらも、

 

そこにわが影を見る。

 

 

 

親だけではない。 他人とても同じこと。

 

他人も人間。 神でもなければ鬼でもない。

 

 

同じ人間ならば、他人もわが分身、わが影。

 

そのすぐれたところはわが内にもあり、

 

その劣れるところはまたわが内にある。

 

 

 

時に口ゲンカをしながらも、

 

親子に切って切れぬ愛情があるように、

 

 

時にきびしくその非を責めつつも、

 

切って切れぬ人間としての愛情を

 

自他のなかで抱きつづけたい。

 

 

他人は他人ではない。 他人も自分である。

 

 

 

私の持論なんですが、

 

「子どもは6歳までに親孝行をすべてしてくれる」

 

と思っています。

 

 

つまり、小学校に上がるまで。

 

なぜ?

 

 

思い出してください。

 

生まれたばかりのわが子は、

 

純真無垢で、これが自分の分身なのかと、

 

感動しました。

 

 

這えば立て立てば歩めの親心と言いますが、

 

そのときどきに子供の成長に感動していました。

 

 

言葉がしゃべれるようになると、

 

また、可愛い。 

 

「この子はどの子よりも可愛い、いい顔してる」と

 

親バカにしてくれます。

 

 

仕事で疲れて帰ってきても、

 

子どもが「パパ、おかえり~!」と抱き着いて来ると、

 

その日の嫌なことはすべて忘れることができました。

 

 

幼稚園に入った時、

 

あの甘えん坊だったわが子が、

 

先生の一言できちっと席に座り、

 

挨拶ができるようになっちゃうんです。

 

 

感動でした。 わが子の成長が。

 

 

そんな思いは、私たちの親も同じでしたね。

 

自分が親になって初めて、親の心を知る。

 

 

これが面々と受け継がれていくのが人生。

 

 

どの人も同じですね。 親がいて、子がいて。

 

人付き合いは難しところもありますが、

 

皆自分と同じです。

 

 

嫌なところもあれば、いいところもあります。

 

人付き合いは、まずは相手を尊重していきましょう!

 

 

 

 

 

 

2020年 9月29日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

私の携帯は相変わらずなおっていませんので、

 

今朝も私の代わりに、過去のだんご君の写真をアップします。

 

 

昨日、ショップに行ってきたのですが、

 

購入してから2年、一度もアップデートしてなかったので、

 

そのせいかもしれないということで、

 

パソコンからアップデートしたのですが、

 

 

ラインはつながるんですが、

 

相変わらず圏外の表示は消えずです。

 

 

あきらめて、午後からショップにいって

 

買い換えることにしました。

 

 

いつも当たり前にあるものが使えないと、

 

何かと不便で、不安になります。

 

 

おかしなものです。

 

昔は携帯なんかなかったし、

 

不便も感じませんでした。

 

 

人間はわがままですね。

 

 

 

 

今日のお話は、「心配事の9割は起こらない」(枡野俊明著)から、

 

”「いい加減」を心得る”をお伝えします。

 

 

 

「いい加減」を心得る

 

 

みなさんは、「いい加減」という言葉を

 

どんなイメージでとらえていますか?

 

 

おそらく、いいイメージを持っている人は

 

少ないのではないでしょうか。

 

 

実際に、「あいつはいい加減だ」

 

「こんないい加減な仕事しかできない」

 

といった使われ方をすることがほとんど。

 

 

「中途半端」「手抜き」などどほぼ

 

同じ意味だと受け取られています。

 

 

 

しかし、その一方でこんな使い方をする

 

ことも思い出してください。

 

 

絶妙な(塩)加減の料理、ちょうどいい(湯)加減・・・・。

 

こちらはずいぶんニュアンスが違います。

 

 

このように、いい意味にも、悪い意味にも、

 

とらえられる言葉ですが、

 

私は「いい加減」を肯定的に考えています。

 

 

 

たとえば、仕事をするうえで自分の「力量」を

 

知っておくということはきわめて大切です。

 

 

しかし、案外、それがわかっていない人が多い

 

というのが実情でしょう。

 

 

仕事のオファーがあれば、自分の力量と相談することなく、

 

なんでも引き受けてしまったりするものです。

 

 

しかし、人間は力量に見合ったことしかできないのですから、

 

仕事がそれを超えるものだった場合、

 

 

対応しきれずに、あるいは結果を出せず、

 

相手に多大な迷惑をかけることにもなります。

 

 

 

自分自身も「できない」ことへのあせりや

 

苛立ち、悔しさや情けなさにさいなまれる、

 

ということにもなるはずです。

 

 

もう、おわかりでしょう。

 

「いい加減」とは自分の持っている「力量」のこと、

 

 

そして、「いい加減」を知るとは、つまりは、

 

自分の力量を的確に把握している、ということなのです。

 

 

 

「いい加減」を知る人は、仕事はもちろん、

 

すべてのものごとを堅実にこなします。

 

これが信頼につながるのです。

 

 

意識する、しないにかかわらず、

 

「大ボラ」を吹いたり、「大風呂敷」を

 

広げたりすることがありませんから、

 

周囲から信頼を得られます。

 

 

 

「いい加減」、とても難しいですね。

 

「ほどよいところ」というのは、ごくわずかですね。

 

 

私たちはどうしてもやり過ぎてしまいます。

 

会社は高いノルマをもうけて、社員を引っぱります。

 

 

もちろんそれは悪いことではありません。

 

そうすることで、各人の実力を引き延ばすこともできます。

 

 

また、低い目標では、会社も個人も成長するのは難しいですね。

 

 

この「いい加減」とは、自分の心の持ち方だと思うのです。

 

 

頑張ったが、それほどうまくいかなかったとき、

 

「まあ、いいか。 よくがんばった!」と、

 

心の中で折り合いをつけて、次に進むことが大切です。

 

 

仕事も人生も、一発勝負ではありません。

 

マラソンのように長く走り続けなければいけません。

 

 

そこに、この「いい(よい)加減」が必要だと思うのです。

 

頑張っている皆さん、「いい加減」で仕事をしていきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年9月28日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝は携帯のメールが調子が悪く、

 

自画像が送信できませんでしたので、

 

おととい撮った我が家の花を載せてみました。

 

 

今朝も清々しい朝となりました。

 

今朝方は、夏布団では寒くて、目がさめたほどでした。

 

 

風邪、インフルエンザ、コロナ、

 

どれも熱の出具合は同じですから、

 

これから十分気をつけないといけませんね。

 

 

今日のお話は、先週買ってきた本ですが、

 

瀬戸内寂聴さんの「寂聴 九十七歳の遺言」から、

 

”愛することは許すこと”をお伝えします。

 

 

 

愛することは許すこと

 

 

この年になってようやくわかりましたが、

 

愛することは許すことです。

 

本当に愛したら、何でも許せます。

 

 

愛とは、自分以外の人の心を想像し、

 

その願いや望みを叶えてあげたいという

 

やさしさ、思いやりです。

 

 

 

だから愛する人が何をしても許す。

 

泥棒だとか詐欺だとか、そんなことをしたからといって、

 

ほんとうに愛したら憎みきれません。

 

 

人間は甘いのです。

 

恋人が面と向かってやさしい顔をしていたら、

 

陰でどんな悪いことをしていても、

 

それが分かっていても、許すでしょう。

 

 

実際には、人の道に反することは許せない、

 

世間に申し訳が立たないといって、

 

見捨てる人の方が多いかもしれない。

 

 

でもそれは、ほんとうに愛していないでしょう。

 

ほんとうに愛していたら、もう仕方がないと思って、

 

すべて許すはずです。

 

 

愛がなくなった時に、人間は許せなくなる。

 

 

たとえば、死刑宣告を受けて刑務所に

 

長く入っている人がいます。

 

 

そういう人のお母さんは、

 

わが子が生きている間、ずっと見舞いつづけますよ。

 

世間に対しては肩身が狭いでしょう。

 

 

それでも死刑を宣告されたわが子を、

 

ずっと支えるのです。

 

 

 

ある死刑囚が、そんなふうに自分を支えてくれた

 

お母さんにあてて詠んだ感謝の句を

 

見せてもらったことがあります。

 

 

とても素敵な句でした。

 

お母さんがいなかったら、その人は

 

もちこたえられなかったと思います。

 

 

世間からどんなに責められても、

 

子を愛する親になればこそ、すべて許せる。

 

これは、いわば無償の愛です。

 

 

死刑囚のわが子を見舞ったところで

 

何も返ってこない。 それこそ世間の

 

非難しか返ってこないかもしれません。

 

 

でも、見舞わずにはいられない。

 

これがほんとうの愛情なのです。

 

 

こうした母の愛は、すべての人間を許す

 

仏さまや神さまの愛、「慈悲」や「アガベー」に

 

近いものです。

 

 

たしかにその人は死刑になるほどの罪を

 

犯しました。 けれどもその結果、

 

お母さんから本当の愛情を注がれました。

 

 

それはひょっとすると、娑婆に生きる

 

私たちよりも幸せなことなのかもしれません。

 

 

 

キリスト教でも、「汝の敵を愛せよ」という

 

言葉があように、信じればすべてが許される

 

というものです。

 

 

親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」と唱え、

 

仏にすがれば、悪人でも救われると説いています。

 

 

これらは、今日のお話のように

 

母親の愛ににたもののように思います。

 

 

愛とは見返りを求めないもので、

 

愛する人の幸せだけを思い行動し、

 

それが自分の幸せとなるもののようです。

 

 

幸せになりたかったら、大きな愛でなくてもいいですから、

 

隣にいる人の幸せを願って、今日一日を過ごしましょう!

 

 

 

 

2020年9月25日

 

皆さん、お早う御座います。

 

 

今朝の北名古屋市は小雨が降っていて、

 

かなり涼しく感じます。

 

 

つい1か月前には猛暑だったことを忘れてしまいます。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れると言いますが、

 

「忘れる」ということも、一つの能力ですね。

 

 

いやなことはサッと忘れて、次に進むことも大切ですね。

 

 

今日のお話は、日本講演新聞(みやざき中央新聞)から、

 

水谷謹人さんの、”エア・ジョーダンの裏話”をお伝えします。

 

 

 

エア・ジョーダンの裏話

 

 

マーケティングの話を聞いた。

 

かつてアメリカのプロバスケットボールの世界で

 

スーパースターだったマイケル・ジョーダンの話である。

 

 

ナイキの営業担当者はこんなことを考えていた。

 

 

「あのマイケルがうちのシューズを履いて

 

プレーをしたら世界中の若者が真似したくなるはずだ」

 

 

早速、マイケルジョーダンにコンタクトを取った。

 

「今度から試合に出るとき、うちのシューズを履いてくれないか?」

 

 

マイケルは「チームの決まりでそれは出来ない」と断った。

 

 

当時、彼が所属していた「シカゴ・ブルズ」は、

 

チームとして別のスポーツシューズメーカーと

 

専属契約を結んでいいた。

 

 

プレーするときは全員そのシューズを履かなければならなかった。

 

それを聞いて担当者はがっかりした。

 

 

しかし、マイケルの次の一言に飛び上がって喜んだ。

 

「この契約に違反したら5000ドルの違約金を

 

払わなけらばならないんだ」

 

 

 

ナイキが勝利を掴んだ瞬間だった。

 

「1試合で5000ドルだって?

 

10試合でも5万ドル、20試合で10万ドルか。

 

その違約金はうちが払うよ、マイケル」

 

 

その違約金のおかげで、ナイキはこんなコマーシャルまで出来た。

 

 

「マイケル・ジョーダンは違約金を払ってまで

 

ナイキのシューズを履いている」

 

 

さらにナイキはマイケルに履いてもらうシューズの

 

ネーミングまで変えた。  「エア・ジョーダン」と。

 

 

たちまち「アエ・ジョーダン」はバスケットボールのファンだけでなく、

 

世界中の若者たちが欲しがるスポーツシューズになった。

 

 

 

よく考えると、ナイキにとって1試合5000ドルの違約金は

 

一回の広告宣伝費より安かった。

 

 

シカゴ・ブルズと専属契約していた

 

シューズメーカーはナイキから莫大な違約金を

 

手にしたが、ナイキはその100倍以上もの売上を上げた。

 

 

そして、「ナイキ」は揺るぎないブランドになった。

 

 

これがマーケティングだ。

 

そのシューズメーカーより、ナイキのほうが

 

ちょっと賢かっただけ。

 

 

 

すごい話ですね。

 

 

「契約」 「違約金」 「チームの決まり」。

 

こんな言葉が出て来た瞬間で、

 

普通はあきらめますよね。

 

 

5000ドルの違約金は永遠に払い続けるわけですから、

 

ナイキのシューズが売れなかったら大変なことだと

 

普通は思うのですが。

 

 

この営業マンの目線の先には、

 

マイケルジョーダンがエア・ジョーダンを履いて、

 

空中を飛んでいる姿が浮かんでいたんですね。

 

 

当時は、中古品でも何万もしていました。

 

アメリカまで買い付けに行った日本人の話を、

 

テレビが特集を組んで放映していたほどでした。

 

 

マーケティングとは、目先だけを見ていては

 

うまくいかないんですね。

 

 

ものの見方の方向を変える発想も必要なようです。

 

表があれば必ず裏もあるということです。

 

 

ものごと一喜一憂せずに、まずは落ち付いて考えましょう!