夜明けを待つ 佐々涼子 | なほの読書記録

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NHKニュース「おはよう日本」で、佐々涼子さんが悪性の脳腫瘍に罹患し、余命が長くないという宣告を受けられたことを知り、早速読んでみました。

https://m.youtube.com/watch?v=7v3lEYowJCk


生と死の境を見つめ続け、ノンフィクション作品『エンド・オブ・ライフ』を執筆された佐々涼子さんによる、この10年間に書き溜めてきた中から厳選された「エッセイ」33作と「ルポルタージュ」9作が収録された作品集。


本書は佐々さんがどのような家庭で育ち、どのような青春時代を送り、どのような子育てをし、どのような職歴を経てノンフィクション作家となられたのかが、エッセイから伝わってきました。

そして作家となり、書くべきテーマに悩み、人に会い、旅に出かけ、出会った人々に共感あるいは反発し、世の中の矛盾や不公平に憤り、書くことでそれを表現してきたことなど、佐々さんの半生を凝縮して記されていました。


生きていく上で、とても力になる「希望の書」ですので、一人でも多くの方々に手に取って読んでもらいたいと思いました。


「あとがき」を読んで、「次作を待っているので医者の見立てを遥かに乗り越えていってほしい」、心からそう祈らずにはいられませんでした。


【​印象に残ったフレーズ】

「第1章 エッセイ」

「『死』が教えてくれること」

私たちは10年という長い年月を、とことん「死」に向き合って生きてきた。
しかし、その果てにつかみとったのは、「死」の実相ではない。
見えたのは、ただ「生きていくこと」の意味だ。
親は死してまで、子に大切なことを教えてくれる。


「諦念のあと」

依存症からの回復とは何だろう。

「こちらが無理やり治そうとするとたいてい失敗しますね。医者が治すんじゃないんです。まず本人が今のままではだめだと自覚しないと」


亡くなりゆく人は、怒り、否認、取引、抑うつを経験しながら、やがて諦念のあとに死の受容に至る。


「献身」
母が読み聞かせをしてくれた児童文学。
数々の名作は空で言えたほど。
「母の教え」が作家としての原点にある。

やなせたかしさんの初期の「あんぱんまん」
「泣いた赤おに」

「幸福の王子」

「ああ無情」
「赤毛のアン」

母蜘蛛が、生まれてきた子供の体を食べられる話。


2章「ルポルタージュ」

「ダブルリミット② 看取りのことば」

【大原日本語学院の公聴、吉岡久博の言葉】

「中国人を例にとれば、主張が強くてわがままと言われます。しかし、素顔は何ら日本人と変わらない。育った社会が違うだけです。言葉というのは、思考や文化という土台があり、それによって制限される。ところが外国人は表面の記号としての言葉を勉強するだけで、中身が変わっていない。単に心の中にあるものを日本語としての記号に置き換えて言っているだけです。すると、たとえどんなに敬語を使っても、何となく気持ちが悪いだけで気持ちが伝わらない。日本人は相手の立場に立って考える傾向が強い。そして人に迷惑をかけてはいけない。社会に貢献できる人になれ。我々はそう教育されて育っていると思います。だから、わざわざ自己主張をしないし、分かり切ったことを話さない。日本人のコミュニケーションとはそういうものなんだよ、ということを、場面に応じて、彼ら(中国から来た研修生)に理解させることが大事です。一方で彼らの育った環境は、ストレートにどんどん自己主張をしていかなければ、自分の権益が守れない。日本人だって向こうで暮らしていけばそういう話し方になる。日本語を教える場合、その言葉の裏側にあるものまで含めて教えていけば、外国人ももっとスムーズに日本社会に溶け込める。我々もまた、それぞれの国のコミュニケーションの裏にあるマインドを知り、彼らのコミュニケーションはそういうものなのだ、と知って教えていくことが必要となってくるでしょう」


「オウム以外の人々」

自分が正しい、自分は間違わない、そう信じて疑わない人が間違いを犯してしまう。騙されやすい。

信頼している人に相談することが大切。

閉じ込められたものは何でも腐る。空気も、水も、人の集団も。


「あとがき」

平均余命14か月といわれている悪性の脳腫瘍「グリオーマ」に罹っている。

昨年11月に発病して、あと数か月で認知機能などが衰え、意識が喪失する。


『エンド・オブ・ライフ』で在宅の看取りをテーマに訪問看護師の故・森山文則さんの終末期を書いたが、今度はご自身が終末期の当事者となってしまった。


風の吹く日には、ずっと近く、彼のことを間近に感じる時がある。


友達からは「行っちゃう方も悲しいけど、残る方も寂しいよ」と言われた。


遺された人たちには、その限りある幸せを思う存分、かみしめてほしいのだ。


横浜のこどもホスピス「うみとそらのおうち」は、重篤な病などを患っている子供たちに、命輝く時間を提供する場、とでもいったらいいだろうか。

子供たちは、キラキラと輝き、遊び、うれしそうにしている。

先日、代表理事の田川尚登さんがこんなことを語ってくれた。

「寿命の短い子供は、大人よりはるかに、何が起きているか、物事がわかっています。だから、『もっとやりたい』とか、『次はいつ遊ぶ?』と、わがままを言ったりしないんです。ただ、その日、その瞬間のことを『あー、楽しかった』とだけ言って別れるのです」

ああ、「楽しかった」と......


なんと素敵な生き方だろう。
私もこうだったらいい。
だから、今日は私も次の約束をせず、こう言って別れることにしよう。

「ああ、楽しかった」と。


20239月に執筆


《「夜明けを待つ」佐々涼子 著 集英社 刊より一部引用》