一線の湖 砥上裕將 | なほの読書記録

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水墨画家であり小説家でもある砥上裕將さんの著作「線は、僕を描く」の続編で、主人公の青山霜介が未来を描いていく成長ストーリー。

水墨画の描写がとても丁寧に書かれているので、息づかいが感じられ、情景などが浮かびやすかったです。その反面、水墨画とは違って文章に余白が少なく、読み進めるのにやや時間がかかりました。

湖山先生と霜介や門下生との師弟関係がすばらしく、湖山先生は理想とする師(上司)のような方だと感じました。余計なことは言わず、具体的なことも教えず、正解も示さない。可能性を信じて本人に気付かせ、自分なりの答えを導きださせていくという湖山先生のスタンスが素晴らしかったです。

スランプに陥った主人公が悩み、迷いながらも、亡き母が教師をしていた小学校で子供たちに水墨画を教えることを通して、子供たちが人を元気にさせる絵を描いていることや、遊びながら学び描いていることなど、子供のもつ想像力や生き生きとした生命力、自然に心を遊ばせ、無限に変化し続けるゆらめき、未来につながる可能性を感じ取り、逆に子供たちから、描きたいから自由に楽しく描くことのよさを教えられます。

併せて、小学校教員時代の母の姿や人柄など、これまで知らなかった一面を知り、湖山先生や他の門下生が掛けてくれる言葉から、描くことを恐れていた自分の内面を見つめ直し、少しずつ成長していく姿と、水墨画を描くことの意味を見いだしていく過程が、美しい言葉で丁寧に描かれていました。

そして、澄んだ湖のようにさわやかなラストに向け、湖山会のメンバーによる共同作業で水墨画を描くという、美しい輝きの世界が広がっていました。

また、余白の美を生かした筆者の描く前付(見出し)と奥付の水墨画「指墨沢蟹図」や「翡翠図」「霓裳蘭図」の口絵が彩りを添えていました。

私自身、昨日、水墨画の展示と実演を鑑賞してきましたが、墨の濃淡と筆遣いで多彩に表現されており、その場で竹や人物をささっと描かれる技に感銘を受けました。


心に残ったフレーズ

【西濱湖峰の言葉】

「今は最後の仕上げのために墨を磨っています。仕上げの前には、なるべくこうやってゆっくりした時間をつくるようにしています。すぐに終わらせられるけれど、ちょっと待つ。不思議なもので、完成の前にこの『ちょっと』を持っているとうまくいくことが多いです。休むことが大事な意味を持つときもあるんです」


【小学校の教師をしていた亡き母の言葉】

「誰かのすごく良いところは、実は欠点のように見えるものの中に隠れてる。大きな可能性は、簡単に見てとれるようなところには隠れていない。それは子供たちの中では大きすぎるから」


「誰かにダメって言われても、自分が素敵だと思ったものを信じなさい。そこにあなたの宝物が見つかるから。あなたにしか見えない宝物がこの世界にはたくさんあるから」


母は自分が生きた一瞬や自分自身のために、力を尽くしていたのではない。人を育て、自分自身さえ見ることはないかもしれない遥かな未来に向けて、線を描いていたのだ。子供たちの宝物を見つめ、思いを託すことで、線を送った。時を超える線を、母は描いていたのだ。人は命よりも永く線を描くことができる。


【篠田湖山 先生の言葉】

「拙さが巧みさに劣るわけではないんだよ」


「請われるままに絵を描き、私のわがままで描き続けるのは簡単なことですが、それでは私を守るために別のものが失われていくことに気づきました。花も盛りが終われば散っていくのが定めです。そして、花は咲き続けるばかりが仕事ではなく、地に落ちた後、地にかえるのも大事な役目です。そうしなければ種も実を結びません」

「そう思った時、今の私がすべきこと、私が後世に残したいと思うものは、おびただしい数の作品や幾ばくかの技法ではなく、もっと形のないものだと思うようになりました。それはこの瞬間であり、言葉にしようもないものです。形のないものは人に託し、委ねるしかありません。委ねた成果は、先ほど皆さんにご覧いただいた通りです。西濱湖嶺をはじめ、斉藤湖栖、私の孫の篠田千瑛、そして、最後の弟子の青山霜介も、私の技とそれを見事に継承しました。彼らは私が残す余白、私の可能性そのものです。そして『これから』であり、水墨画や脈々と受け継がれてきた文化の未来そのものでもあります」


【青山霜介の言葉】

何も描かなければ、白の上に失敗はない。けれども、もし何も描かなければ、白もまた、本当の白にはなれない。白の美、究極の余白の美もまた、描かないことではなく、描くことによって生み出されるのだ。間違いを犯し、挑み、様々な変化を得る。生きることは無限な変化の連続であり、それに出会う旅だ。そして、それを包む白もまた、階調の変化によって変化する。現象の変化と同時に、その背後にもう一つ、ともに動いている影がある。何かを生み出すことによって、何かを生み出す原理そのものに触れることができるのだ。

《「一線の湖」砥上裕將 著 講談社 刊より一部引用》