本書は36歳から74歳まで12人の、未婚、既婚、離婚経験者の大人の女性たちに、実際にご自身に起きた恋愛のエピソードを語ってもらった内容に唯川恵さんの考察を加え、まとめられた書籍でした。
不倫もあれば、恋はもうこりごりという話もあり、計算し尽くした末の恋愛もあれば、戸惑うほどピュアな恋愛もある。また、手酷い仕打ちに会う女性もいれば、情に溺れる女性もおり、居場所をなくしてしまった女性もいる。
「不倫はすることより、バレてからが本番」「大人の恋には大人の事情があり、責任がある」「恋愛は、成功と失敗があるんじゃない。成功と教訓があるだけだ」など、冷徹さの中にも愛が潜む唯川さんの辛辣な言葉は、人知れず悩みを抱えている大人の心に真っすぐに突き刺さるものばかりでした。
そして、多様な恋愛の危うさを厳しく断じられていました。
恋に浮かれる人、不倫の愛に悩む人、人生を狂わされた人など、女性のみならず男性にとっても赤裸々に語る彼女たちの奥底にある本心が伝わってくる内容でした。
興味をもたれた方は、お時間のあるときに、以下の内容も読まれてみてください。
【印象に残ったフレーズ】
〔はじめに〕
別に恋愛がなくても生きていくことができる。けれど、人は誰かを想う気持ちを抑えることができない生き物である。人生から切り離せない。なぜ人は恋をしてしまうのか。そんなシンプルな疑問から始まって、恋愛についてそれなりに考えてきたつもりだったが、正直なところ、答えは見つけられないままである。わかったのは「答えなどない」というもっともな結論だけだ。
世の中には100組のカップルがいたら、100の形があると言われる。しかし実際には女と男、200の形がある。それが大人になるに従って、様々な人を巻き込んで、無限大の形に広がっていく。大人の恋には、大人の事情というものがあり、責任があり、それなりの心の準備や意識の持ち方、ルールも必要だ。
〔第1話〕不倫はするよりバレてからが本番――不妊治療後にセックスに目覚めた47歳
〔第2話〕恋愛体質の女に近づいてはいけない――「他人の男」を奪い続けて20年の44歳
世の中が決して公平ではないということは、とうに分かる年齢になった。どんなに努力しても、誠実に生きても、結果が伴うとは限らない。やり切れないことではあるが、人生は不平等で成り立っている。だからこそ、「今自分の手の中にある幸福を大切にしよう」「誰かと自分を比べるのはやめよう」「人は人、私は私である」と、賢明な考え方を身に付けたはずである。
〔第3話〕恋愛関係の基本は人間関係である――仕事はできるが恋には幼稚な40歳
相手は人間である。感情もあるし性格もある。育った環境も全く違う。最初から自分にぴったり合う相手などいるはずがないのに、それが受け入れられない。探しているのが恋愛相手ではなく、結婚相手というなら尚更だ。
長い人生を、相手とどうすればうまく擦り合わせて暮らしていけるのか、という発想も必要とされるはずだ。
何より、彼女は減点式をとっていて、条件が満たされたところでは100点なのだが「ここが気に入らない」「期待していたのとは違う」と、どんどん減点していき、最後は0点になってしまう。
いっそ、加点式に変えてみたらどうだろう。少しくらい条件は悪くても、とにかく付き合ってみて、「こんないいところがある」「これなら楽しく暮らせるかもしれない」と、少しずつ点を加えて行く。
恋愛関係もまた、基本は人間関係なのである。
マッチングアプリを使えば、確かにそれなりの候補は上がってくるかもしれない。しかしその分「次にもっといい相手と出会えるかもしれない」と、期待が捨てられなくて、同じことを繰り返してしまう。妥協する必要はないが、ないものねだりはせず、妥当な線で手を打つくらいの気持ちがないと、永遠に相手は見つからないように思える。
自分に自信がある女性ほど、カップルが成立しにくい。
〔第4話〕生身の男より虚像がいいこともある――女の幸せより自分の幸せを選んだ53歳
「禍福は糾える縄の如し」。
結婚して幸せに生きている女性も知っているし、結婚して不幸と嘆いている女性も知っている。独身で幸せに暮らしている女性も知っているし、独身を不幸と嘆息する女性も知っている。結局、どちらを選ぼうと、幸も不幸もついて回るものなのだ。
彼女は、世の中でいう人並みの人生ではなく、自分の人生を選んだ。女の幸せではなく、自分の幸せを選んだ。彼女がいいならそれでいい。誰にもとやかく言われる筋合いはない。
〔第5話〕「相手と対等」をお金で測る危険性――経済力重視で三度離婚した38歳
ずいぶん前、ある大物ミュージシャンがこう言っていた。
「お金持ちになって、初めてお金で買えないものがあることを知った」。
〔第6話〕恋に伴うのは情熱、愛が背負うのは忍耐――長い不倫の末に現実に気づいた43歳
夫が格好良くいられるのは、妻が身の回りを整えているからであり、外でバリバリ働けるのも、子育てや家事など生活の多くを妻が担っていたからである。
「あんな恋愛をした私はなんてバカだったのだろう」と、唇を噛むか、
「あの恋愛があったからこそ今の自分がある」と、納得できるか。
この恋の本当の意味を知るのは、きっとこれからだ。
〔第7話〕彼女を救ったのは自分の城だった――男を信じられなくなった36歳
恋愛は諸刃の剣である。守ってくれる時もあれば、深く傷つけられることもある。
恋愛は楽しいことばかりじゃない。傷つくことがたくさんある。好きだからこそ痛手は深い。
恋愛は最高の幸福をもたらすこともあれば、不幸のどん底に突き落とすこともある。とはいえ、恋愛そのものを見限り、背を向けてしまうのは寂しすぎる。
恋愛は、成功と失敗があるんじゃない。成功と教訓があるだけだ。
〔第8話〕「女としてこうあるべき」がはらむ危うさ――夫の浮気癖にも筋を通す元ヤン妻44歳
女と男の間には、長くて深い川が流れている。
〔第9話〕始まりはふたりの意志、終わりは片方の意志――何不自由ないのにPTA不倫におちた51歳
男女の関係は、始まりは2人の意志が必要だが、終わりは片方の意志だけで決まる。それまでどんなに愛し合っていようと、どちらかの心が変われば終わりなのである。
恋愛が理不尽なものだということぐらい、大人の彼女が知らないはずはないのに、恋愛はここまで人を幼稚にしてしまう。
〔第10話〕愛は失くしてはじめて気づくもの――何気なく夫をディスり続けた45歳
世の中に「夫を愛しているか?」と尋ねられて「はい」と即答する妻はどれくらいいるだろう。「もう愛とか恋とかの関係じゃない」と、困ったような顔を返されるのがほとんどだ。そしてその後、迷いながらこう答える。「でも情はある」。
愛は姿を変える。恋人の頃は恋が愛を支え、夫婦になれば情が愛を支える。とても自然な在り方である。
言った方は忘れても、言われた方は忘れない。言葉は凶器にもなる。
〔第11話〕恋愛の奥底には負の感情が渦巻いている――余命1年、夫と友人の不倫を知った74歳
非常に陰湿な手口である。が、女にはそういうところがあることも否定できない。執念深いとゆうか逆恨みというか、憎む相手がいることで自分を奮い立たせようとする。
若い人からしたら、「いい年をした大人が」と、呆れるだろう。それも自分の親世代の恋愛がらみの揉め事など、聞きたくもないと感じる方も多いはずだ。けれど、いつか、その年齢になればわかる。大人になっても、いや、なったからこそ、人知れず、けれども確実に、恋愛はそこここで繰り広げられている。
恋愛を前にすると、そこにいるのはただ心を拗らせた少女と少年でしかないのである。
双方ともに還暦を過ぎた位の年齢で恋愛中のカップルがいる。互いに独り身。それぞれの家を行き来し、食事に出かけたり、ときには旅行したりと、後半の人生を楽しんでいる。
「もう嫁も妻も母親も卒業したんだもの、籍も入れないし同居もしない。一緒に暮らせばいろいろ摩擦があるのはわかっている。もう命の限りも見えているんだし、喧嘩なんかに時間を使うのはもったいないじゃない。本来、恋愛は楽しむもの。人生の総仕上げを目前にして、ようやく本当の恋愛ができている気がする」
好きという気持ちだけでいい、他に何もいらない。恋愛とは、この一瞬のために永遠を捨てても構わない、と思えること。そう思えるのは、老いてからの恋しかないのかもしれない。
〔第12話〕魅力と魔力、依存と洗脳、危険は常にある――それでも「恋愛はいいもの」と語る56歳
恋には宗教的な要素も含まれる。光輝く太陽だけを見つめていると、あまりの眩しさに他のすべては真っ白になり、何も見えなくなってしまう。それと同じで、恋愛は常に盲信という危険を孕んでいる。
本人にとっては「人生最高の恋」でも、他人からすれば「人生最悪の恋」に見える場合もある。「やっと目が覚めた」と、大恋愛は黒歴史に姿を変えるのである。
ある程度の年代に入ると、恋愛と距離を取ろうとする女性が増えてくるのも確かである。
「恋愛なんてもう卒業」「あんな面倒くさいこと二度としたくない」「恋愛より楽しいことなんてたくさんある」等々。
そうつぶやく女性は多いし、実際、そうだと思う。
恋愛がなくても困るわけではないし、むしろ穏やかな気持ちで過ごせるし、何人かの気の合う女友達がいればそれで十分。
時折、何が根拠か知らないが、女性に対してこんな当て擦りをする男がいる。
「あいつはもう女じゃないから」
それを耳にするたび、呆れてしまう。全く何もわかっちゃいない。それは女が、ではなく、あなたが男じゃないからである。女は、自分が女であることを自ら出すのではなく、相手によって引き出される。だからもう男でない男に対して、大人の女は、決して女を出さないのである。
男たちは知らないと思うが、女は、ある種の男に対して、もう女を捨てていると思われる方がずっと楽に生きられる、という知恵を既に身に付けている。そんなこともわからず、セクハラ的な言葉を口にすることで、上に立ったような優越感に浸る男たちになど、何を言われようと女は気にしないのである。むしろ、そう思ってくれていたほうが助かる、くらいの気持ちでいる。
なぜなら、恋愛に関して、女は男よりずっと多くのことを学んできたからだ。そして、女は恋愛を諦めたのではなく、そういった男に期待するのを諦めたのである。
もし、もう一度恋をするチャンスと巡り会ったら。あなたはその時、どうするだろう。何を思い、何を選ぶだろう。先に待っているのは何だろう。手に入れられるもの、失うものは何だろう。恋愛がままならぬものと分かっていても、してしまうのが恋愛。それこそが人生の醍醐味に違いない。
〔おわりに〕
人は、いちど自転車に乗れると一生乗れるという。身体が覚えてしまうからだ。それなのに、恋は何度経験しても身に付かない。
大人と呼ばれる世代になり、ある程度分別というものが備わって、世間的には賢く振る舞えるようになっても、恋を前にすると平静さを失ってしまう。時に、湧き上がる感情につき動かされて思いがけない行動に走ってしまう。
恋をするということは、ある意味、自分に裏切られるということでもある。
正直なところ、恋は失敗から学ぶことの方が断然多い。そもそも正解があるわけではないのだから。
恋愛とは何か。それは永遠の謎である。謎に向かっていくのは冒険である。そして冒険に怪我はつきものだ。どんなに痛め付けられようと、それでも冒険に向かっていくのか、それとも引き返すのか、決めるのはいつだって自分自身なのだ。
《「男と女 恋愛の落とし前」唯川恵 著 新潮新書 刊より一部引用》