2日目の朝。ホテルの屋根に雨が落ちる音で目が覚めた。

 

 

今日は買い物に時間を費やす唯一の日。ポツポツ、時々、ザーザー降るあいにくの雨の中、街に出た。ホテルの従業員も店の店員も口々に「まさにブルターニュの天気ね。」と憂うつそうに言う。

 

行政区画ではブルターニュではないものの、Nantes(ナント)は歴史上ブルターニュの首都の時期もあった。先月、息子の高校で面談があった時、担任の先生に「パリに行くんですか。」と聞かれ、「ナントという街なんですけど、ご存じですか。」と質問すると

 

「ナントですか~。」と返ってきて、「えっ、ご存じなんですか。」と驚いて確認すると、「一応、社会が専門なので。」と言われ、ハッとした。私がこの街の名前を知ったのも歴史で習ったナントの勅令だった。

 

ちょうど400年後の1998年にここに留学した。今では、お喋りな義父の家に行く前に一息つく街。そして買い物をするのにちょうどいい大きさの街。夫に出会った街でもあるけれど、特に思い入れがないのは、毎回、立ち寄るからだと思う。

 

しとしと雨が降る中、まず近くのスーパーで日本に持ち帰る食料品の下調べをした。荷物になるから実際には義父の住んでいる地域のスーパーでまとめ買いする。続いて向かったのは、ここ。

 

 

日本のスーパーでも時々目にする菓子ブランド、LUはナント生まれで、元の工場は今でも文化施設として使用されている。有塩バターをたっぷり使ったビスケット等が揃っている店、La Friande

 

今回の土産は全てここで買うことにした。夫、息子、私、それぞれ渡す相手を頭に思い浮かべて、どんどん大きな買い物カゴに入れていくと、2つ分が一杯になった。

 

記録的な円安であることを差し引いても、ここ数年の原料費高騰で前回に比べて全体的に値上がりしている。夫の口座にあるユーロで購入し、念のため日本円に換算すると、たかがお菓子に4万以上。

 

 

荷物を置きにホテルへ戻り、続いて古本屋へ向かった。案の定、私が持参したリストの本はなかった。息子は絵の勉強になりそうな本を見つけ、夫はひたすらリストと本棚を見比べている。

 

結局、欲しかった本は大型量販店で購入することにした。

この2冊についてはブログに記した:読む習慣を⑤ 

 

先月80歳で亡くなったフランソワーズ・アルディの代表作Comment te dire adieuを含むCD。我が家のコレクションに加わった↓

Françoise Hardyについては、ここで少しだけ触れた:日曜午後の会話 

 

本もCDも普段ノロノロしている夫が驚くべき速さで探し出してくれた。というのも、私の分をさっさと済ませて、自分の分を探すのに集中したかったのだ。久しぶりの母国。その気持ちは理解できる。

 

それぞれの物欲は満たされた。次の活動に移るため、時差ボケで食欲がない胃に野菜中心の昼食を流し込む。ホテルに預けていたスーツケースを持って次の目的地へ。

 

 

このPassage Pommeraye(パッサージュ・ポムレ)は19世紀に作られ、フランスで最もよく保存されているアーケードの一つ。日本の商店街と同じく、雨降りの日は助かる。

 

スーツケースを引いて、路面電車に乗って、待ち合わせ場所のカフェに到着すると、懐かしい面々が笑顔で迎えてくれた。学生時代から変わらぬ友人たち、そして成長した子供たち。

 

夫の友人の中で日本に来たことがあるのはこの2人だけ。海外からの観光客が増えているとはいえ、日本までわざわざ足を運ぶ人はごく一部ということがよく分かる。

 

この2人は若い頃、世界各地を旅し、子供たちには日本と中国の名前を付けた。時々、外国に数か月滞在して本国に戻るという生活をしている。おかげで17歳の娘も7歳の息子も流暢に英語を話す。

 

アヌックは仏英の字幕翻訳家。ラファエルはフリーランスのグラフィックデザイナー。子供たちは外国に滞在中、学校で英語を学ぶ。親としての教育方針と昔からの放浪好きを合わせた生き方。なかなか真似できない。

 

ただし、AIの影響を受けて翻訳の依頼は減ってきているらしく、他の働き方を模索していると言うアヌック。ラファエルは仕事で自分を売り込むことに対して躊躇している。どちらも他人事ではない。

 

出会った時は20代前半から半ばだった私たち。40代、50代の働き盛りの今、それぞれ悩みを抱えている。隠すことなく、その心の内を正直に話してくれた。

 

雨が上がり、曇り空から少しずつ青空が覗いてきた。子供たちは既に長い夏休みに入っている。下の子は祖父母の家へ。上の子は友達と遊びに行った。私たちは城の周りを散歩した。

 

 

 

 

私が留学していた頃、パッとしない中堅都市だったナント。パリからさほど遠くなく、住みやすい街としても文化や芸術の街としても再開発された分、地価も上昇しているらしい。

 

ここに住んでいる友人はほとんどいない。外部に魅力を発信すればするほど、中身は空洞になっていく。人も街も同じか。ただ、変化していく一方で、雨が似合う街であるのは今も昔も変わらない。

 

冒頭の「まさにブルターニュの天気ね。」と皮肉を込めて話すところに、この街に住み続ける人の愛着が感じられた。さて、雨は上がった。雨は雨でも湿気を含まない冷たい雨。

 

7月にしては冷えている。蒸し暑い日本からやってきて、まさか上着を買うことになるとは思わなかった。ローカル線に乗ること30分。義父の待つ家に辿り着いた。数日間はここでお世話になる。