土産は持って行くのも持ち帰るのも最小限にしたい。と思いつつ旅行直前または旅行中に結局買ってしまう。でも、昔のように土産を探しにわざわざ遠出することはなくなった。
日曜に食料品を買い出しに行くショッピングモールで事足りる。普段なら素通りする売り場で外国人目線で品定めするのは、それはそれで発想の転換になって面白い。
ショッピングカートを押しながら夫と「現地で会う人たちの顔が思い浮かんで、ようやく旅が具体的になってきたね。」と話す。5年半ぶりの懐かしさだけではなく、怖さもある。
先日の欧州議会選挙の結果を見ると、会う人たちの中に「敵」が潜んでいてもおかしくないから。それで、ここ2週間は社会問題よりも政治問題を扱っている番組を聴いている。
取っつきにくい政治問題も身近なこととして感じられる。現地に住んでいるわけではないので理解できない部分もある。でも、外からのほうがよく見えることもある。
午前中の土産物探しと先日から聴いているポッドキャストが交差して、日曜の午後、食卓の話題は、どちらかと言えば、あの人は左か右かという話題になった。
こんなこと昔は考えもしなかった。夫が怪しんでいる夫婦一組を除いて、たぶん皆こちら側だろうという結論に落ち着いた、というか、落ち着かせた。もっと怪しいのは夫の父親。
「まさか自分の親が・・・」という話は、先日の日本語レッスンでも聞いた。「移民や難民に一体何をされたというの?私は何もされたことはないよ。」という強い言葉が印象に残っている。
日常の不満を吐き出すためにbouc émissaire(スケープゴート)を見つける。そこにSNSが乗っかかっている。社会の分断は誰のためにもならないし、自分たちにも返ってくるのに。
自分の不満は自分で始末しろよ!と言いたくなる。
対岸の火事ではなくて、日本でも起こっている。だからこそ社会の分断化が日本より進んでいる国で肌で感じるものがあるかどうか確かめたいと思っている。
今回はパリを通らないし、目で感じる変化はないかもしれない。旅をしても何も感じない人もいるだろう。やっぱり私は言葉を交わして初めてその国の一面が見えると思う。
今回の主な目的はパーティーに参加すること。そんな洒落たものではなく、ど田舎に皆テント持ち込みで総勢50名ほどが集まる。夫の友人たちの50歳を祝うパーティー。
で、きっと政治が話題に上る。その頃には総選挙の結果は出ているから話さないわけがない。パーティーは夕方から始まり深夜まで続くはず。私が一番弱い時間帯だ。
アンテナを張って聴解力を試そう。機会があれば日本を引き合いに出して自分の意見も言おう。そして、昔とすっかり変わってしまって残念に思っていることも伝えよう。
党名は変わったものの、あの党の当時の党首がテレビに映し出された時、友人が憤慨していたのをよく覚えている。1997年の語学研修中の話。それがここまで勢力を伸ばすとは。
1998年に再び戻ってきた時には語学力がほんの少し伸び、さらに夫やその友人や家族との交流を通じて、この国にあって日本にないものを感じるようになった。逆も然り。
特にこの年の夏は芸大出身の夫のお陰で美術や音楽に疎い私も文化的なものに触れることができた。その一つがフレンチポップス。当時、夫はFrançoise Hardyをよく聴いていた。
主に1960年代に活躍した歌手だけれど、私にとっては1998年の夏の思い出。先日、80歳でお亡くなりになった時、夫にFrançoise Hardy est morte.と言われ、素っ気なく返事した。
ラジオ番組を聴いていると、彼女の訃報が取り上げられ、生前のインタビューが流れた。安定感のある低い声も話し方も素敵だと思い、まるで初めて声を聞いたかのように思った。
それで、久しぶりに歌声が聞きたくなり、夫のCDラックを探してみたものの、どこにあるか分からない。その晩、夫に頼んで取り出してもらったのが6枚のCDと1本のカセットテープ。
当時は珍しかった女性シンガーソングライター。右下の2枚は夫が私にくれたもの。夫と私とでは生まれ育った国が違うから共有できないものもある。
でも、1990年代後半に大学生だった夫と留学生だった私はこの歌手によって各々懐かしさを分かち合える。同様に私は私なりにこの国の今後を案じている。
そして自分の国の今後を想像して不安を募らせるのではなく、自分にできる範囲でここに暮らしている外国人に関わっていきたいと思っている。
「敵」がどこに潜んでいるか分からないから言葉を選ばなければならないなんて。前回(2019年)の旅では現地で話したことをブログにこう記した。
話したい時に発言し、耳に蓋をしたい時には席を外す。前日に感じたことを日本語でブログに綴るほうが楽しい時もある。
いつまでも苦手意識のある英語と違い、フランス語は完璧には程遠いものの既に道具の一つになっていると思う。
フランスで話すことも、日本で友人を相手に話す内容とほとんど変わらない。違いは、日本では話す相手を選ぶけれど、ここでは気兼ねなく誰にでも思ったことを伝えられる点。
必ず話題に上るのはGilets jaunes(黄色いベスト)によるデモ。パリのど真ん中で働く店員も、地方に住む退職者も、会社員も、教員も、職人も、年齢、性別、職業を問わず一定の理解を示していた。
それが、移民、難民問題になると温度差があるように感じる。夫の友人や知人に会うと、大概、仕事について聞かれる。フランスでは、femme au foyer(主婦)という言葉は、ほぼ聞かれなくなっているから。
よし来たとばかりに、自分なりの働き方改革を披露する。その過程で、どうしても「移民」について話す必要が出てくるのだ。
出発まで残り2週間を切った。