読むのも遅ければ、書くのも遅い。

 

 

どの小説も社会、つまり現実を描いていると言える。それでも小説を読むとなると、身構えてしまう。今、Annie Ernauxの « Une femme »(邦題『ある女』)を読んでいる。
 
 
家で読書する習慣がないから対面レッスンがある日に電車の中で、そしてスポーツジムでスタジオレッスンの待ち時間に読んでいる。
 
ジムは何だか場違いだし、車内では結局ブログを書くことが多い。いつも通り貸出期間を延長。昨日は美容室に持参したものの、面白い雑誌を見つけてしまい、本は開かず。
 
今朝、ソファに座って少し読み進めた。こういう生活に憧れるけれど、せっかちな私は次の用事を考えて、小説の世界に浸れない。それに少しずつ味わいたいという気持ちもある。
 
さすがノーベル文学賞受賞作家だけあって文体も内容も読み応えがある。でも、来月、現地で原作を購入するかというと、たぶんしないと思う。
 
前回書いたように同著者のエッセイ、« Journal du dehors »(邦題『戸外の日記』)のほうが自分に合っている。仏語の小説は過去に読もうとして挫折している。
 

パソコンの横に置いてあるこの本を前回開いたのは、いつだったか。有吉佐和子の『恍惚の人』は日本語レッスンの生徒(20ほど年上の人生の先輩)が薦めてくれた。
 
原作を読んだのは2021年の暮れだった。推薦者のMさんが「手を取られて、すっと昭子の世界に連れて行かれる」ような文章だと言うのを聞いて、訳書も読んでみたいと思った。
 

236/366ページで止まっている。
 
ところで、この « Le crépuscule de Shigezo » は今までに日本語レッスンで3回も話題に上った。そして、この帯を見せると、皆、共通の笑いを見せる。
 
 « La Simone de Beauvoir du Japon
 
「あなたも分かるのね」という共犯者のような笑い。私たち何も悪いことをしていないのに。特に#Me tooの運動が広がってからは逆に公言しづらくなったのは皮肉だと思う。
 
フランスのアンケート調査によれば、若い男性が女性を蔑視する傾向が強まっているとのこと。日本はそもそも女性の社会進出が遅れているけれど、中高年だけでなく、今後、若者が同様の反応を示すかもしれない。
 
で、その心理を全く理解できないわけではない。今まで人口の半分だけで競争していたところに残り半分が参戦してくるのだから。弱虫ほど力づくで押さえつけようとする。
 
戦いに巻き込まれるのは御免だ。真っ向から戦わない方法もある。Annie Ernauxや有吉佐和子のように。文才のない私は日本語レッスンを通じて「地下活動(笑)」を行っている。
 
明後日レッスンする相手からこんなメールが届くと、困惑する一方で嬉しくなる。
 
トピックなんですけど、近況報告とフェミニズムの話の続きだけでレッスンがあっという間に終わると思う!

 

このVさんは上手く隠していた一人。やっぱりと合点したのは前回のレッスンでお薦めのポッドキャストを紹介してくれた時。Un podcast à soi(自分のポッドキャスト)。
 
何とでも取れるタイトル。どんな内容か尋ねると、「フェミニズムとか…」と私の様子を窺いながら答えたVさん。レッスンの後、確認すると、完全なるフェミニズムのポッドキャスト。

 

第1回目のエピソードでは世の中にありふれていて看過されがちだけど、深刻な性差別を具体的な体験談とともに取り上げている。

 

最初のほうに出てきた問いかけ。
 
Pourquoi êtes-vous devenue feminisite ? 
なぜフェミニストになったのですか。
 
Est-ce qu'il y a un déclic ?
引き金となったものはありましたか。
 
これをそのまま(日本語レッスンなのでもちろん日本語で)Vさんに投げかけたいと思っている。答えは分かっているのだけれど、話し合うことで新しい発見があるかもしれない。
 
とりあえず、途中まで書いた。これで明日は電車の中でブログを書くことなく、小説を読むことができる。