最近の楽しみの一つは、「今日は何が届くか」と待つことです。短文が2つの時もあれば、写真が添えられている時もあります。


これは前回、送ると約束してくれた写真。レッスンの10分前に「ゆき です」というタイトルとともに送られてきました。

 

 

旦那さんは酪農国ならではの仕事に従事されています。早い時は朝の2時半に家を出るんだとか。途中で野生動物を見かけることもあるそうです。

 

 

Mさんと私の間には、8時間の時差だけでなく、季節のズレもあります。紅葉している街の様子を写真に撮って、日本語の文を添えて送ると提案してくれたのは10月の半ばでした。

 

今年は秋の訪れが遅く、その頃、私はまだ半袖だったはず。その後、2週間の出張期間を挟んで、11月の初めに「よみます」というタイトルの文章が届きました。

 

 

 

12月の今、それと同じ本が私の手元にあります。本の状態は決してよくありませんが、出版されて50年経っても読み継がれている証拠ですね。裏表紙に書かれているのは

 

文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果たして幸福か? 日本の老人福祉政策はこれでよいのか?

老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない《老い》

の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。

 

もちろん著者の名前は知っています。高校時代の友達に下の名前が漢字まで同じ子がいて、「作家の有吉佐和子から名付けられた」と言っていたのを覚えています。

 

「志津子」が付く小説家もいますが、私の名前は父の「志郎」から漢字をもらいました。話が逸れましたが、いずれにしても私はベストセラーを数年後、または数十年後に手にすることが多いのです。

 

夏の終わり(現地は秋の初め)にMさんが旅先の古本屋で見つけた本を私がコタツの中で読んでいます。過去のレッスンを遡って、9月末のやり取りを見つけました。

 

わたしは うみ に いきました。
ラ・ボール(La Baule) で じてんしゃ を かりました。
ふるほんや で この ほん を かいました。

 

私は図書館で借りて、読み始めたばかりなのですが、先週のレッスンで相手に伝わるように感想を平仮名で分かち書きしました。

 

ありよし さわこ の ほん です。

としょかん で かりました。

とても いい ほん です。

きれいな にほんご です。

おもしろい はなし です。

1970ねんだい の はなしですが、ふるくないです。

いまも わかります。
わたし は この ほん が すきです。

 

Mさんの表現を借りるなら「手を取られて、すっと昭子の世界に連れて行かれる」ような文章。きっと素晴らしい翻訳なんでしょうね。いつか機会があれば訳書も読んでみたいものです。

 

そして「読者に衝撃を与えることなく、ごく普通のこととして『老い』の現実が描かれているのは著者の文章力による」というのが看護師として医療の現場を目の当たりにしてきたMさんの感想です。

 

この小説では社会や家族における女性の立場についても描かれています。Mさんも「女性は昔も今も自分の場所(sa place)を探している」とも言っていました。まさにその通りだと思います。

 

以下、ご本人の了承を得て、感想文を載せておきます。2時間かけて書いたという文章。活用、助詞、語順など間違いがたくさんあります。一つずつ直すのに30分かかりました。

 

同時に、伝えたいという強い気持ちが感じられる文章だと思います。紹介文のお陰で私はこの本に興味を持ちました。季節と距離を越えた出合いに不思議な巡り合わせを感じます。

 

そして、初級レベルの人が相手でも工夫次第で有意義な情報や意見の交換ができるというのを実感しています。