14年ぶりに日本へやって来て、昔を思い出し、カルチャーショックを再認識したか。それとも日本や日本人の変わりぶりに印象が打ち壊されてしまったか。
もちろん喜怒哀楽の「喜」や「楽」のひとときもあったはず。レストランや電車内や散歩道でいろいろと話した。特に日本の街や人の変化ついての指摘は興味深かった。
ただ、友人の「怒」、それに必死に隠そうとしているものの隠しきれない「哀」の源は別のところにあるような気がする。それは来日前に連絡を取っている時から感じていた。
≪ c'est une belle proposition (mais) ≫
≪ J'avoue que c'est un peu dommage, j'aime beaucoup l'idée (mais) ≫
この辺りに友人の申し訳なさが伝わってきた。そして、その環境を考えてみた。管理職で小学生の子供が2人いて、日本に来るのはたぶん10年ぶりぐらい。もちろん彼女の発案。
私たちは同じ歳だけれど、環境が違う。私の働き方は自由だし、息子はもう高校生。夫も家事や仕事に協力的。自分がその環境に持っていったのだけど、精神的に恵まれている。
そして、私が外部(職場や学校)からのプレッシャーで苦しんでいた30代に友人が教えてくれた言葉を思い出した。≪ charge mentale ≫ 直訳は「精神的負担・重荷」。
その頃、私は日本の外に答えを探そうと、夫の協力のもとフランス語のアンケートを作り、フランス人女性のライフスタイルを知ろうとしていた。
それを知った友人は仕事が忙しい中、質問内容にアドバイスをくれたり、自身の友人や知人にアンケートを転送するなど何かと協力してくれた。
自分も渦中にいて、苦しんでいたんだと思う。私は働き方を変え、抜け出すことができたけれど、友人はおそらく大黒柱で、そう簡単に環境を変えられないのだと思う。
私の提案を断る時、まず子供たちを持ち出したのはまるで日本人女性みたいで、そこに苛立ちを感じた。いつまで経っても、どこにいても変わらないことに対して。
3か月後には日本にやって来る。友人は何を思うんだろう。日本に留学していた頃の自由な生活か。
そう、これを書いた3か月後、実際に会って、どこからどう見てもフランス人である友人の中に日本人的な一面を見つけてしまった。カルチャーショックを受けたのは私のほうだ。
友人とその国に出会った27年前。あの5週間は不可解の連続だった。言語や文化というより、そこに暮らす人間に苛立ちながらも好奇心を見つけてしまった。
人間ほど不可解なものはないと思う。友人が日本に惹かれる理由も私にとっては大きな謎の一つ。日本的な景色や模様や小物なんて単純なものではないと思う。
とまあ、外国人の友人や知人、それに日本語レッスンの生徒たちを観察するのが私の趣味なのだ。その言動は言語や文化の影響を受けているのか、それとも単に性格によるのか。
その塩梅が人によって違うから飽きることはない。裏返せば、日本人同士であっても「同一」ではないということ。これ、日本社会で必要とされる考え方だと思う。
結局、外国を見ているようで自分の生まれ育った国を見ている。他者を観察しているようで自分を観察している。不可解な点を何とか理解しようとするのは自分のため。
姫路城近くの好古園。雨が上がった後、急ぎ足で散歩した。肌寒く、閉園間際だったにもかかわらず、楽しい時間を共有できたのはこの景色のお陰だと思う。
さて、今日は晴天。いつも家に引きこもっている私にしては珍しく4月下旬から生徒や友人たちに会って、少しくたびれた。溜まった用事を片付けて、再び日常に戻ろう。
と書いたものの一つだけ。最後の晩、仕事で店に来られなかった夫が携帯で友人と話した時、直接謝ることなく、暗に謝ってきたという。同じ母語を話す者同士、気を許せるのだろう。
初めての子連れ日本旅行で、5人のうち日本語が分かるのは自分だけという状況は辛かったと思う。自分の非を認めないと同時に弱音も吐かない人であるだけに。
若い頃、数年住んだ国を子どもたちに見せたことが思い出の1ページになる…のではなく、自分のために来日すべきだったというのは本人が一番良く分かっているだろう。
6年前、友人が教えてくれた概念に自身ががんじがらめになっているのかもしれない。そこから解放されるには自分が変わるしかない。
以上、「フランス人の中のフランス人」である友人の中に「日本人」的な一面を確認して考えたこと。個人の問題でありながら社会の問題でもあると思う。