生徒とは一線を越えないようにしている。こんなメッセージが送られてきたとしても…

 

志津子さんは○○(本人の名前)が少しでも恋しくないですか。写真で十分だっていうことですか? 悲しくなった、急に。。

 

今回が初めてじゃない。以前にも同じ人から「志津子さんのレッスンが恋しいです。」というメッセージをもらったことがある。お互いに夫がいる身なのに。

 

あの時、相手の想いに応えるべく用意したテーマは「恋」と対極にある「人工知能」だった。ちょうど当時、Chat何やらが話題になっていて、単に意見を聞いてみたかったから。

 

当日のレッスンでは

 

Q:日常生活で人工知能のお世話になっているか。例えば、家電は?

A:基本的な機能があればいい。機械に任せるのではなく、自分で家事をしたい。時間がないからAIに頼ることになる。でも、そもそもなぜ時間がないのか。

 

Q:漢字を勉強する時は?

A:アプリを使うけれど、辞書代わり。外国語学習で機械に任せたり、コントロールされたりするのは嫌い。自分で考えて、学習したい。(結果、独学でJLPT N1に見事合格!)

 

Q:生成AIが書いた小説を読みたいか。

A:生成AIが登場する前から、既に小説の文体や表現は似てきていた。だから最近の小説は読まない。

 

 

この方は自称、本の虫で、日英仏の3か国語で本を読むそうだ。私も影響を受けて、読書をしてみるのだけれど、長続きしない。憧れの気持ちを伝えるべく、告白してみた。

 

「日仏の翻訳者になってほしい。○○さんが翻訳した本を読んでみたい。」本人には「レッスンが恋しいです。」に匹敵するような威力のある言葉だったはず。反応を待ってみた。

 

相手の返事は「実は考えていたこと。でも、人工知能が発達すると、難しくなるから諦めた。」あれから1年近く経ち、私も仕事で先月から生成AIのお世話になっている。

 

語学好きの人が恐れる質問も投げかけてみた。「翻訳者、通訳者、外国語教師はいなくなるか。」8か月も前のレッスンについて記しているので、相手の返事は覚えいていない。

 

私が相手に伝えた意見はこうだった。「AIの時代だからこそ『この人にお願いしたい。』という存在になればいい。反動として、人間と接したいと思う人は必ずいるから。」

 

その後、レッスンは相手の関心事である、人間同士のつながりについて話が展開していった。マンションの隣人を知らないこと。八百屋さんなど近くの店を利用するようにしていること。

 

そして、言葉を探したのか、それとも、少しためらったのか、間を置いて出てきた言葉が「愛を注ぎたい」。この方とのレッスンは、どんなテーマでも同じところに辿り着く。

 

さて、明日のレッスンは一体、どんなテーマで話すのか。

 

「志津子さんと話したいトピックがあります。聞きたいこともいろいろありますので、よかったら来週説明させてくださいね。」
 

私はフリートークのレッスンはしない。料金をいただくのが申し訳ないから。そこで、「事前に調べておきたいので、説明しにくい、または、説明しづらい内容でなければ」

 

と前置きして、トピックを尋ねてみたのだけれど、それきり返事がない。焦らされている。私は相談に乗るのも、相談するのも苦手。ちなみに前々回は、こんな相談を持ちかけられた。
 

 

再び、生徒と教師の関係らしからぬメッセージ:

 

志津子さんは○○(本人の名前)が少しでも恋しくないですか。写真で十分だっていうことですか? 悲しくなった、急に。。

 

補足説明しておくと、「レッスンで旦那さんから旅行の写真を見せてもらったので、久しぶりという感じはしないです。」と書いた後に届いた返事だった。

 

いつか4人で会ってみたいと思っている。うちの夫も含めると、四角関係か。きっと話も馬も合うはず。ますます複雑な関係になりそうだ。対面が主流だった頃が懐かしい。

 

5年ほど前の体験レッスンを思い出す。当時、駆け出しだった。「私は夫を愛していますから。」と静かなカフェで初対面の相手から言われたのだ。

 

恋とか愛とか。思わずニタッとする、複雑で単純なものか。