有吉佐和子の『恍惚の人』を読んだのは1年前。日本語学習者から薦められて、図書館で借りたのだった。その後、ひょんなことから仏訳を手に入れた。どうしても読みたい箇所があったのだ。ようやくその箇所に辿り着いた。

 

 
その日本語学習者の表現を借りるなら「読者に衝撃を与えることなく、ごく普通のこととして現実が描かれている」。その現実は50年後の今も頷いて読めるものだと思う。
 
普段、読書習慣のない私が訳書を読んでみたいと思ったのは、この読書好きの方が「手を取られて、すっと昭子の世界に連れて行かれる」ような文章だと言っていたから。
 
去年の秋、別の日本語学習者とのレッスンでも、この小説が話題に上った。しかも、私が訳書を画面に見せると、相手は原書を見せてくれた。
 
 
同時期に同じ小説をフランス人が日本語で、日本人がフランス語で読んでいたのだ。仏訳されている和書が限られているのかもしれないが、その偶然を二人で笑い合った。
 
この方は和書を読み終えただろうか。一人目の方と同様、多読、速読できる人。日本語の語彙は本から吸収するそうだ。惜しくも来年には帰国する予定。
 
冬休みが終わったら是非言ってみたい。「日仏の翻訳家になってください。いつか○○さんが翻訳した本を読んでみたいです。」と。相手がどんな反応を示すか楽しみだ。