日本語レッスンは時には戦場となる。言語や文化が正面衝突することもあれば、相手の徹底抗戦に対してあの手この手の対処が求められることもある。記憶に新しいところでは、

オノマトペ抵抗戦線(2023.2)

 ↑奇襲攻撃が功を奏した!

 

同様に私も考え方を押し付けられる時、抵抗したくなる。40年ほど鵜呑みにしてきた反動だろう。まず疑ってみるのだ。正否が問題ではなく、飽くまでも偏りに気付くのが目的。

 

例えば、前回書いたように、欧米の教育を受けた人たちが日本語レッスンで "critical thinking" や ≪ esprit critique ≫ と得意げに教えてくれる時、私は苦笑いをする。

 

数日間、頭の片隅に置いておき、ある文章を思い出し、探した。以下は「日本語は変」とレッスンで言われた後、本屋に立ち寄り、見つけた一節。5年前の苦い記憶が蘇る。

 

『新・はじめての日本語教育2』より

率直な話し方、ロジカルな論理構成、相手をやり込めるディベート技術などが「交渉の技術」と考えられている言語もありますが、これをそのまま日本語の交渉に持ち込んできても、成功は難しいでしょう。論理的に相手を屈服させても反感を抱かれてしまっては、何もなりません。

 

 

あれから少しは経験を積み、人を見る目も養い、相手を選ぶようになった。今週も何とか制御できたか。上級者向けビジネス日本語のレッスンも佳境に入り、残すところ2課。

 

あるレッスンで抱いた疑問に他のレッスンが答えてくれる場合もある。まさに今回がそうだった。このテキストの第10課「議論する」ではこんな交渉術を学ぶ。

 

『人を動かす!実戦ビジネス日本語会話【上級】』より

ビジネスの場での議論の目的は、強い言葉や言い方で相手を言い負かすことではありません。たとえ意見が違っても、相手を尊重しながら否定的な言葉を使わずに自分の考えを述べることが大切です。この課では意見をサポートする言い方を含めた効果的な表現や戦略を学習します。

 

報復として敵地を爆撃するのは短絡的な戦略だろう。もっと穏やかな戦略もあるのだ。紛争や戦争だけではく、言葉も同じ。第一、言葉が争いの元になるのは古今東西よくある。

 

ズレた話を元に戻そう。

特にビジネスの場面では交渉術が必要とされる。

 

日本に数年駐在した元同僚の発言を思い出す。「日本人は何を考えているか分からない。見切り発車であっても物事を進めながら修正して行くほうがいい。」と。なるほど。

 

私も自分の頭の中で議論をすることなく、見切り発車で修正を繰り返しながらブログを書いている。遠回りした "critical thinking"  ≪ esprit critique ≫「批判的思考」。

 

その定義は「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」 。最近、Wikipediaからペタペタ貼り付けることが多い。

 

 

知識が薄っぺらいと言われようが、読み進めているうちに興味深い箇所が見つかることもある。「国の文化的背景と批判的思考」と題した箇所より引用。

 

道田泰司によれば、実際の社会においては批判的思考ではないタイプの思考が存在するし、そのような批判的思考ではないタイプの思考との間に単純な優劣をつけることは難しい。

 

以下に日本をはじめとする研究をはじめ、批判的思考ではないタイプの思考の事例を概説するが、論理という独裁的なものだけで納得できない場合には、このような批判的思考ではないタイプの思考を用いて、権威や競争なしに共感をもった思考の過程によって解決が図られることも教育学では模索されている。

 

また一方の文化が他方の文化よりも劣ると仮定すれば、それを教育によって変えることは正当とされるが、他方の文化からすると文化の侵略とみなされることもあるため、必ずしも批判的思考を正当なものとせずに、自民族中心主義ではないような、互いの文化を理解するような思考方法も研究されている。

 

日本では「協調型批判的思考」というモデルも研究されている。


判断を下すことなく、曖昧なまま次に続く。

 

『人を動かす!実戦ビジネス日本語会話【上級】』にも、こう書かれてある。