旧姓、帰化前の氏名、ミドルネーム。私にはどれもない。生まれた時から常に同じ氏名を名乗ってきた。苗字は少し発音しにくいし、父から一字もらった名前は古風。

 

画数も多く、学生時代は試験開始と同時に書くのがストレスだったし、今でも店頭で記名を求められる時、カタカナで書きたくなる。まあ50年近くの付き合いだから愛着もある。

 

5年前『名前に秘められた文化』と大げさな題をつけて、夫や友人の氏名の秘密を知った時のことを書いてみた。当時、私は日本語教育の試験勉強真っ最中だった。

 

あれから人数は多くないものの、自分と異なる文化で育った方々にお会いするたびに○○人が○○さんに変化してきた。この言動は文化に基づくのか、それとも個性かと考えてみる。

 

去年、知り合って4年目にして、Tさんの別名を知った。「素玲」。ネットで調べると、よくある名前のようなのでブログに書いても相手が特定されることはないだろう。

 

カタカナで「スーリン」と書いてくれたが、Tさんも私も正確な発音は分からない。「意味も音もいいですね。」と言うと、普段、秘密主義の相手はどことなく誇らしげだった。

 

子供の頃、家庭の言語は英語だったそうだが、ご両親は3人の子供たちに漢字名を、末っ子であるTさんにだけは海外で通用する英語名も付けてくれたらしい。

 

東南アジアに生まれたTさんは、ご両親の願い通り、多感な時期を外国(オーストラリアとイギリス)で過ごした。親元を離れて異文化に飛び込んだ15歳は何を感じたのか。

 

それは本人にしか分からないだろうけど、これまで受けてきた教育との違いに最初は相当苦労したようで、3週間前のレッスンでは「批判的思考」に絡めて話してくれた。

 

 

西洋文化の影響を受け、自分も変わったけれど、西洋人の旦那さんに比べると、まだまだ批判的思考ができていないと伏し目がちに言うのを聞いて、違和感を持った。

 

このレッスンでは、別の表現も教えてくれた。"think out of the box" 。既存の考えに囚われずに考えるといった意味らしい。今回のタイトル「規格外」にも通じるか。

 

「箱から出て考える」ということは井の中の蛙になるな、という意味にもとれる。Tさんは出た。私も少し出た。私たちだけではなく、西洋人にも箱から出てほしいと思う。

 

Tさんの旦那さん(日本語能力試験 N1に一発合格)、私の夫(昨日、3度目の不合格通知が届いたものの、日本語運用能力はどこに出しても恥ずかしくない・・・慰め)のように。

 

混ざっている人。見かけ倒しではなく、あくまでも中身の問題。そういう人は様々な立場で考えるから、ますます自己主張できなくなり、言葉を選び、躊躇するのでは。

 

常に問い続けていく、簡単に判断を下さないのが本当の意味での批判的思考だと思う。なんて偉そうなことを書けるのは去年、西洋言語の一つである仏語で考えに考えたから。

 

日本語レッスンでは、仏語圏の初級者には媒介語を使っている。文法や語彙を仏語で説明する時、私は自分の生まれ育った文化を披露するチャンスだと思っている。

 

ただし、押し付けるのではなく、時には苦笑いしつつ「私たちはこう考えるんですよ。」と伝え、恐る恐る相手の反応を見る。理解してもらえた時の嬉しさを考え、準備している。

 

文法や語彙にしろ、世界情勢にしろ、異なるものを拒否するのではなく、笑いを浮かべて眺めるくらいの余裕を持てるようになりたいし、相手にも持ってほしいと思う。

 

大海で溺れかけた井の中の蛙がここに一匹いる。西洋言語から日本語に戻ってくると、周囲も自分も前よりはよく見えるようになると思う。自分の考えの背景を探る楽しさを知った。

 

こんな人生後半が待っているとは5年前は思いもしなかった。季節は巡り、関心も移り変わりつつある。