異国への憧れ。私の場合、世界名作劇場の赤毛のアンが始まりだったと記憶しています。それにキャンディキャンディ。

 

姉とのチャンネル争い。秘密戦隊ゴレンジャーに成りきり、テレビの前で変身を真似ていましたが、心の中ではキャンディが暮らす見知らぬ国にも憧れがありました。

 

白馬の王子様に憧れながら、自分でも白馬を乗りこなしたい、という欲張りな願望です。

 

Disney on Ice

 

おとぎ話とアイススケート。現実逃避するには、最高の組み合わせですが、家族には受けが悪く、見に行ったのは一度きりです。

 

フィギュアスケート。大会が放送されれば、テスト勉強そっちのけで画面に釘付けになっていた高校時代。20代の頃には何度か会場へ足を運んだこともあります。

 

子どもが生まれる前、近所のスケートリンクに何度か行ってみて分かりました。ペアを組むにしても、まずは自分で立つ必要があるということ。

 

アイススケートの経験のない夫が、後ろから服を引っ張るのです。身長差のある私たちですが、ペアスケーティングどころか、あわや共倒れ。

 

一緒に住んでいても、自立することが大切なのです。夫より長生きすると仮定して、ぼんやり思い描いている老後があります。こんな人たちに囲まれて過ごせたらいいなあと。

 

例えば、去年、勤務先で出会った留学生たち。そのうち二人とは細々とした付き合いが続いています。ともに30代前半です。

 

地球の裏側から先週、届いたメールには、日常の忙しさに紛れて、真の関係を築くことが難しくなっているといった内容が書かれていました。


彼女と私の共通語は英語です。便利ですが、1つの言語に淘汰されるのもどうかと。世界にたくさんの言語が存在するのは不便ではなく、財産だと思っています。

 

関心が移り変わり、外国語から日本語へ。おとぎの国から現実の世界へ。日本に暮らす外国人へ。もちろん、お互いの文化や言語を尊重するのが前提です。

 

と、前置きが長くなりました。本当は、ある表情をブログに残したかったのです。つい遠回りしてしまいました。

 

私は毎日一人で昼ご飯を食べています。一人ランチ歴は3年です。以前は、オフィスから別の建物の15階まで移動するのに5分ほど要しました。目の前に広がっていたのは河川敷。

 

今では5秒でテレビの前。テレビっ子にとってパソコンとテレビの画面は別物です。画面を通して伝わってくるものが現実ではなくても、「これは」と迫ってくる時もあります。

 

内情をよく知らない国々。この三人の表情をぜひブログに残しておきたいと思い、画像を拝借します。

 

 

町の花屋で働く男性。店には、宗教によって異なる花々が並んでいます。人も花も共存。

 

男性自身も、幼いころ、中国人の家で、その後、イスラム教徒の家で暮らしたこともあるそうです。

 

中国人は豚を食べるけど、イスラム教の人は絶対に食べない。一緒に住むと、文化が違っても尊重し合えるようになる。

 

言葉と笑顔に真実味がありました。

 

 
続いて、仲間内で一番サッカーの上手い少年。褒められたのに喜ぶどころか、笑顔が消えました。
 
プロのサッカー選手になって、ワールドカップに出たい。国のため、貧しい子供たちや女性を助けるため。
 
どんな大統領や首相の演説よりも心に響く言葉でした。
 
内情を知らない国のことは同情しません。笑顔を見れば分かることもありますから。
 

 

3つ目は、子どもたちとベンチに座っている男性。歩道沿いの壁には一面に顔写真が貼られています。

 

 

溜息をついてから重たい口を開きました。男性も元兵士。亡くなった友人を見つめる姿は悲しげです。

 

 

子どもに向けるまなざしは優しく、温かみがあります。この男性だけでなく、この街の人たちは柔和さと辛辣さを兼ね備えているという印象を受けました。地理と歴史が作り上げたものでしょうか。

 

 

ところで、元留学生には、まだ返事していません。そこがメールの良いところ。日常の中で、ふと立ち止まり、相手のことを考えることが、ひいては自分に戻ってきます。

 

便利なものに囲まれて、繋がっていると錯覚する時代。そんな中で、少し長めのメールやブログは、私にとって自分を見つめ直す手段、そして、ぽっかり空いた休日を穴埋めする手段です。

 

9月に入って暑さがぶり返し、つい最近まで半袖一枚でしたが、気がつけば、もうすぐ10月も終わり。季節の移ろいとともに、関心もますます変化していきそうな予感がします。

 

 

テレビの画像は、『世界ふれあい街歩き』、マレーシア・ペナン、ボリビア・ラパス、ウクライナ・キエフ(キーウ)からお借りしました。