龍虎相討つ!川中島!◆躑躅ヶ崎館◆ | 仁王(旧)Official Blog 仁王軍本陣

龍虎相討つ!川中島!◆躑躅ヶ崎館◆


みなさま、こんにちばん!!
です!(^O^)人(^_^)

今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、がめぐる歴史ゆかりの地。

しばらくは甲斐の虎・武田信玄公越後の龍・上杉謙信公
川中島コンビ(?)をめぐります!(・∀・)

今回は、甲斐の虎・武田信玄(たけだ しんげん)の父・信虎(のぶとら)によって築かれた
武田氏の本拠地『躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)』(武田氏館跡)です。

躑躅ヶ崎17   躑躅ヶ崎7

甲斐統一を果たした信虎は、
1519年(永正16年)に府中(現在の甲府)に、
武田氏の本拠地として『躑躅ヶ崎館』(武田氏館)を築きました。


躑躅ヶ崎20   躑躅ヶ崎13 躑躅ヶ崎19   躑躅ヶ崎8

「館」とはいえ、当時は石垣や堀を使用し、
居館と家臣団の屋敷地や城下町が一体となった
平城のようなものだったそうです。

躑躅ヶ崎28   躑躅ヶ崎18  
躑躅ヶ崎27    躑躅ヶ崎10

信虎、信玄、勝頼(かつより)の3代にわたって武田氏の本拠地として機能していた
『躑躅ヶ崎館』は、武田氏滅亡後も甲府の政治や経済の中心地として栄え、
現在の甲府市の原型となったそうです。

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躑躅ヶ崎25
館だった場所は現在、
1919年に創建された『武田神社』となっています。

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躑躅ヶ崎2

躑躅ヶ崎16


もちろん、参道の名前も『武田通り』。

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至る所に!!
※むくが持ってる軍旗は、家から持参した物です!

躑躅ヶ崎24  躑躅ヶ崎3

至る所に武田菱!!◇◆◇◆


躑躅ヶ崎6  躑躅ヶ崎29
躑躅ヶ崎11   躑躅ヶ崎12

まさに、武田一色です(*´∇`*)

躑躅ヶ崎4   躑躅ヶ崎5

『三葉の松』
躑躅ヶ崎15

信玄公が信仰されていた高野山から、
信玄公を慕ってこの地に種が飛来し、
根を張り育った松の木なのだそうです。
…え?高野山からはるばる飛んできたの??(゚д゚)そうとう距離あるよなー


『姫の井戸』
躑躅ヶ崎31   躑躅ヶ崎30
信玄公
の娘が誕生した時に産湯として使用したので
「姫の井戸」だそうです。
また「茶の湯の井戸」とも言われ、
お茶を点てる時にもここの水を使用したそうです。

なんとこのお水、今でも飲む事が出来るんです! (`・ω・´)
ので、一口飲んできました!!
信玄公が飲んでいたお水を、
時を超えて今、自分が飲んでいるんだなぁ…
と、歴史ロマンというものに浸ってしまいました(*´ー`*)

ちなみに信玄公は、
『躑躅ヶ崎館』の背後を守るために築かれた
『要害山城』で生誕されたといいます。

武田氏の甲斐統一こそ、父・信虎によるものでしたが、
信玄公は、その後の武田領の拡大に尽力されました。

信玄公「お館様(おやかたさま)と呼ばれるのは、
城を築かず、大きな館に住んでいたからだそうです。

「人は城、人は石垣、人は掘…」

言葉の通り、城を築く必要もなかったほどですから、
『躑躅ヶ崎館』は、機能的にも優れていたのでしょう。

ちなみに厠は水洗で、更には厠内で書き物が出来るように、
机がしつらえてあったりと、厠にこだわりがあったそうです。

しかしあの時代に水洗トイレとは、さすがですお館様!

躑躅ヶ崎1   躑躅ヶ崎22

さて、次回は上杉謙信公の居城『春日山城』です☆




躑躅ヶ崎21
※今回はワケあって番組(文化放送 超!A&G+「秋葉原アンテナ・ファクトリーチャンネル!」)で一緒の田中聖奈ちゃんも、巻き添え喰らってます☆



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