マレーシアからタイ入国~首都バンコク(2022/11/14~11/20) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

マレーシアからタイ入国~首都バンコクまで約1,400km(2022年11/14~11/20)

 

マレーシア東北部のコタ・バル(Kota Bharu)に近いランタウ・パンジャン(Rantau Panjang)国境からタイ側のスンガイ・コロク(Su-ngai Kolok)国境へと陸路でタイに入国後、一週間かけてタイ領マレー半島を首都バンコクまで走行した。

 

スンガイ・コロク(Su-ngai Kolok)国境からタイ入国~パッターニー(Pattani)~ナコン・シ・タマラート(Nakhon Si Thammarat)~スラー・ターニー(Surat Thani)~チュムポーン(Chumphon)~フア・ヒン(Hua Hin)~バンコク(Bangkok)の順のルート。

 

(タイの地図。地図の下部がマレーシア。赤線がタイ入国からバンコクまでの走行ルート)

 

イスラム圏から仏教圏へ

 

タイ入国から最初の宿泊地であったパッターニーはタイ最南部であり、イスラム色が強い地域だった。モスクが多く、人々もイスラム教徒の服装をまとっていたが、ナーコン・シ・タマラートまで北上するとモスクが仏教寺院にとって代わり、仏教国タイに入国した実感がした。

 

道路沿いには立派な仏教寺院や仏塔が目につくようになり、いかにタイの人々が仏教を大事にしているか感じることができた。詳細は調べていないが、鶏を祀った寺院が多いことに驚いた。

 

道路沿いに高さ2m~3m位の鶏の像が10m間隔で複数立っていた。近くに養鶏場があるのかなと思い、鶏の像に導かれるように幹線道路から横道に入り込むと、そこには大きな鶏の像が寺院の正面に仁王像のように立っていた。 

(高さ5mほどの鶏の像が立つ寺院)

 

(高さ15m位ある巨大な鶏の像もある。車の大きさから像の大きさが判る)

 

タイの幹線道路状況

 

タイの幹線道路は立派である。余裕を持った車道幅がある片側2車線道路で、制限速度は時速90kmと高速道路並みである。

 

ただし、幹線道路は道路沿いの家並みや生活道路ともつながっているため、突然横道から車が幹線道路に入ってくるとドッキとする。道路沿いの道路や家にも注意を払いつつ高速走行する必要がある分、神経を使う。

 

平地が多いためか直線的な道路が多い。効率的な道路ではあるが、景色の変化に乏しいため、オートバイでのツーリングとして面白みに欠ける。

(直線的な主要幹線道路は高速道路並みだ。中央分離帯は幅15m位の溝になっている。)

 

有料高速道路(Toll Express Road)はオートバイ乗り入れ禁止

 

タイの有料高速道路はオートバイの乗り入れが禁止されている。もっとも有料の高速道路はバンコク首都圏以外には無い。

 

当方はバンコク到着初日に危うく有料高速道路に入りかけた。料金所手前でUターンして有料高速道路に入らなかった。現場にいた警察官が当方を呼び止め、運転免許証を提示を求めてきた。

 

同警察官は当方に反則金のチケットを切ろうとするが、当方の国外運転免許証を見てめんどくさく思ったのか、あるいは当方が世界ツーリング中であるといろいろ説明したことが奏功したのか不明だが、無罪放免となった。

 

しかし、その翌日、当方が夜間にカーナビが誘導するままにバンコク郊外からバンコク市内へ入る道路に入ったら、東京の首都高速道路のような高架の高速道路となっていた。その高架道路を10km程度走行後に料金所が現れた。高架の道路から一般道に降りる道は見当たらない。料金所の係の通報を受けて、警察官がどこからともなくスクーターで来た。その警察官に反則金を支払った。 同警察官は当方に運転免許証の提示を求めず、単に反則金チケットの裏表紙に1,000(約4千円)バーツの文字を書き込んで<払え>と言う。

 

当方が<そんな大きな現金は持っていない>と小銭用の財布の中身をみせると、警察官は当方の小銭入れにはいっていた400バーツ(約1,600円)を受け取り、ポケットに入れる。私的に流用するのだろう。警察官が先導するスクーターの後に続き、下道へ降りた。警察官の顔には微笑みがあった。

(高速道路の料金所付近で警察官を待つ)

 

雨季から乾季への変わり目

 

マレー半島部のマレーシアでは乾季から雨季へと季節が変わろうとしていた。タイ領マレー半島部分では

半島の西側(インド洋側)と東側(タイ湾=南シナ海)では雨季と乾季の時期がが異なるようだ。当方が走行した半島東側(タイ湾側)は、まだ雨季の最中であった。しかし雨季と言っても昼間と夜間にスコールのような雨がそれぞれ1~2時間降る程度であり、ツーリングには大きな問題は無かった。1時間ほど雨宿りしたり、短い距離を雨具を着て走行する程度だった。

 

マレーシア出国からタイ入国~パッターニ(Pattani)220km

 

国境通過

 

マレーシアの北東部の主要都市コタ・バル(Kota Bharu)から約50km弱の走行でマレーシア側の国境の町ランタウ・パンジャン(Rantau Panjang)に着く。国境手前のガソリンスタンドで手持ちのマレーシア・リンギット(マレーシア通貨)を利用して、オートバイのガソリンタンクを満タンにしてから出国手続きをとる。パスポートチェックはオートバイに乗ったままオートバイ専用レーンで行う。いたって簡単だ。

 

しかしながら、オートバイをカルネ(Carnet de Passage en douane)を使ってマレーシアへ輸入したため、関税係官に同カルネに出国押印と署名してもらう必要があった。係官はカルネの扱いに慣れていないため、手続きを終了するのに30分程度時間がかかった。

 

タイへの入国手続きが上手くいくか気になった。2019年ごろからタイでは近隣諸国以外の外国籍車両をタイに持ち込む場合には地元のガイド同伴が義務化される規制が導入されたからである。ただし国境によって、その規制の運用が緩い。

 

スンガイ・コロク(Su-ngai Kolok)国境は規制が緩い国境のひとつだと聞いていた。フェースブックで知ったタイのパタヤで外人オーバーランダー(自ら運転する車両で旅をする人)向けの宿を経営するイギリス人にタイのバイク保険や車両での入国書類(TM2の名称の書類形式)を事前に整えてもらいタイへの入国を試みる。

 

果たしてうまくいくだろうか?と少し心配した。パスポートの入国審査は簡単だった。果たして税関で外国籍オートバイを問題なく通してくれるだろうか。税関係官はせっかちな男だった。

 

当方が<このような短期輸入許可書(Temporal Import Permit)を作成してほしい>と上述のイギリス人からもらった見本書類(他の外国人あてに過去に発行された短期輸入許可書のコピー)を同係官へ見せると、係官はその見本を当方の手から奪い取り、<この書類は出国時に税関に返却せねばならいのに、なぜ当方がもっているのか>と非難するように問いただす。

 

当方は、<見本はコピーであり、オリジナル書類は返却されたはずだ>と言っても、同係官はなかなか納得しない。最後まで当方の説明をよく聞かないからだ。同係官が当方の説明に納得するのに時間がかかった。当方は余分な書類は見本であっても係官に見せるべきでは無かったと反省する。

 

一時間半ぐらい時間がかかったが、何とかタイへオートバイと共に入国することが出来た。スンガイ・コロクは国境の町しては寂寥感がなく小ぎれいで活気ある町だった。ここで地元の銀行ATMでタイパーツをクレジットカードを使用してキャッシングする。

 

また、手持ちのマレーシア紙幣も両替商でタイ通貨に両替する。同時にタイの携帯電話用シムカード(SIM)も買う。30日間データー回線及び国内通話使い放題で250バーツだ(約1,000円)。使い放題のデーター回線SIMがあると行先々の宿でWiFiがあるかどうか気にせずに済む。

 

マレーシア国境に近いタイ南部ではイスラム教徒が多数派だ。過去に政治問題を起しているらしい。その為、ガイドブックでは治安が悪い地域とのレッテルが貼られている。

 

この地の幹線道路では約30kmごとに武装警察官が通行車両を検問していることから治安が良いとは言えないだろうが、当方のような旅行者には判らない。 

 

イスラム色が強い投宿したパッターニー(Pattani)の町では治安が悪いとは感じかなった。町では人々が普段の生活をしていた。投宿ホテルでも治安状況については一切の言及は無かった。

(マレーシア側の国境検問所ランタウ・パンジャン)

 

(タイ側のスンガイ・コロク(Su-ngai Kolok)国境検問所)

 

(パッタニー=Pattaniの市内中心部へ入る手前の門)

 

(パッターニ=Pattani市内中心部の時計台はモスクのミナレット=尖塔に似る)

 

パッターニー(Pattani)~ナコン・シ・タマラート(Nakhon Si Thammarat)290km

 

日中に雨が降るようになった。マレーシアでは夕方から夜間にかけてスコールがあったが、この辺りでは降雨の時間帯が異なる。300km近く走行すると、走行途中には雨の地域もあるが、大体は1時間程度のスコールだ。ただし降雨量が多いため、道路が乾くのを待つと更に一時間程度雨宿りすることになる。

 

タイ国境から200km~300km北のこの辺りになると、仏塔や仏教寺院が沿道沿いに目立ち始める。モスクは見かけないし、道行く人もイスラム教徒の服装ではない。仏教国タイへ来たと実感する。また、道路上の検問所も無くなる。

(道路沿いには巨大な仏像がある無名な寺院もあった。)

 

(ヤシの実ジュースを飲んだ後に、ココナッツミルクの原料となるヤシの実の白い部分を食べる。ヤシの実はひとつ40バーツ=約160円)

 

ナコン・シ・タマラート~スラー・タニー(Surat Thani)155km

 

ナコン・シ・タマラートにこの地域では二番目に大きい高さ50m強の仏塔がある有名寺院(Wat Phra Mahathat)を見学するため、本日の移動距離を短くする。

 

オートバイのエンジンオイル交換のタイミングが来ている。エンジンオイルを交換するため、オートバイ修理工場等を探す時間も欲しい。スラー・タニーのホテルに午後の早い時間に到着したおかげで、ホテル近くのオートバイ修理工場でヤマハ純正のエンジンオイルに交換する。料金は工賃を含め600バーツ(約2,400円)

 

投宿したホテルの外観は立派だが、宿泊客がほとんどいない。全室60あると言うが、数名程度の宿泊客しかいないのではと思う。この地域は外国人観光客はほどんど来ないのだろう。コロナ禍から宿泊業の回復は感じられない。

(ナコン・シ・タマラートの高さ50m強の巨大仏塔)

 

(宿泊客が非常に少なかったスラー・タニーのホテル)

 

(スラー・タニーのホテル近くの雑貨店ではアンパンが20バーツ=約40円で販売されていた。)

 

スラー・タニー~チャムポーン(Chamuphon)240km

 

驚いた(感激した)ことが一つあった。走行開始して100kmも経ない内に、連日の移動で疲れてきた。とにかく休憩したかったので、幹線道路を逸れて、小さな町へ入った。

 

最初に目に入った食堂で<休憩させてくれ>と頼んだ。まだ昼食前の時間だった。少しお腹がすいてきたが、昼食をとると眠くなるので、あえて昼食は取らないようにしている。

 

暖かいスープを頼んだ。当方は半分の飲みかけのコカ・コーラのペットボトルを手にしていた。顔が穏やかなそのこ女将は当方の飲みかけコカコーラのために氷とコップを用意してくれた。

スープ代金の支払いを頼むと、<お金は不要です>と言うのではないか。

 

当方がお金がないように哀れに見えたのか、余程疲れた顔をしていたのか知らないが、見も知らずの外国人に無料でサービスを提供してくれる態度に感動した。

 

チャムポーンの最初の投宿候補の宿では管理人と思われる目つき悪い年配の女性が宿の設備を説明するも、一方的にまくし立てて、当方の話を聞かない。当方の話と言ってもグーグル翻訳を使っての文章だが。

 

このような接客態度の宿では適切なサービスは受けらないと判断して、他の宿を探すことにした。

 

投宿を決めたゲストハウスはオーナーの良い人柄を反映して、期待通りのリーズナブルな価格、良好な設備とサービスがあった。

 

チャムポーンはタイ領マレー半島で最小の幅(60km強)に立地している。過去、この場所に運河を作って南シナ海とインド洋を運河でつなぐ構想が出たと記憶している。

(無料でスープを出してくれた食堂)

 

マレー半島で幅が一番狭い位置に立地するチョムポーン)

 

(チョムポーンの夜店通りで見つけたあんこを販売する甘党の屋台)

 

チャムポーン~フア・ヒン(Hua Hin)300km

 

前泊した民宿は広大なヤシ林の中にあるコッテージ風の宿であった。ヤシ林を散策出来きる。敷地内の池のほとりにある別棟のコッテージは趣味が良く作られていた。長期滞在にはもってこいの民宿(Guest House)だった。

 

フア・ヒンへ向かう途中に2カ所で雨に遭遇。一回目は雨宿りしたが、2回目の降雨時は雨宿りをせずに雨具を着て走行。宿探しもあるので早く目的地へ到着したかった。

 

ホア・ヒンに到着したのは16時ごろだった。しかし、普段のルーティンでは行わないことを行ってしまったため、2時間以上の時間ロスで、投宿ホテルのチェックインが20時ごろとなってしまった。

 

宿泊候補のホテルの受付でオートバイで旅をしているドイツ人と意気投合した。そのドイツ人も本日の宿を探していたため、一緒に宿探しの行動をとった。単独行動を基本とする当方は他人と同伴行動をとるべきではなかった。

 

そのドイツ人が見つけた宿泊候補地をオートバイで一緒に2カ所回っているうちに夜になってしまった。結局そのドイツ人と分かれ、当方が納得いくホテルを探して投宿した。

 

フア・ヒンは国王の別荘がある落ち着いた保養地としてタイ国民の間でも人気がある町だ。

バンコクの南約200kmに立地するタイ湾に面した町だ。バンコクから自動車での交通の便も良い。

 

日本の関東地区で言えば、三浦半島の逗子・葉山だろう。

 

連日の疲れをいやすため、当方はフア・ヒンに2泊した。この町にはインドネシアのバリ島のように欧米の外国観光客の姿が多い。

(チョムポーン=Chomuphonで投宿したゲストハウスAriya Garden House 敷地内のヤシの林)

(敷地内の池にほとりに立つAriya  Green Houseの別棟)

 

(落ち着いたフア・ヒン=Hua Hinの住宅地)

 

(丘の上の展望台から見たフア・ヒン=Hua Hinの海岸線。高層のホテルが目立つ)

 


(フア・ヒンの丘の上の展望台には多くの野生サルがたむろしていた。当方が目を離したすきにオートバイのハンドルに

付けていたボトル・ホールダーからコカ・コーラのベットボトルに入れていた水を野生の

サルに持ち去られてしまった。)

 

フア・ヒン(Hua Hin)~首都バンコク(Bangkok) 220km

 

バンコク首都圏へ向かう道路の交通量は多い。片側3車線の高速専用レーンの他にも2車線の側道がある。つまり合計片側5車線があると言うことだ。ルート上に渋滞している箇所はないものの、十分な車間距離が取れないぐらい近距離で前後の車が走行している。 オートバイでは走行したくない道路だ。

 

インターネット上でバンコクの日本人宿についての記述を見つけた。バンコクの中心部にある割には部屋料金が安いので、電話で日本人宿に問い合わせた。

 

一番の老舗の日本人宿は廃業していた。コロナ禍のせいだろう。2つ目の日本人宿へは現場までオートバイで行ったが、オーナーやスタッフが不在で敷地内に入れず。門柱に書いてあった連絡先へ電話しても誰も電話には出ず、タイ語で留守録が流れるのみ。

 

翌日、インターネット上の同ゲストハウスへの問い合わせ書式を使って、下見が可能かどうか問い合わせすると、<60歳以上の男性の宿泊はお断り>との返事が来た。

 

当方は郊外のインターネット予約サイトで評判が良いゲストハウスに投宿することにした。<12/14 Home Studio>と言う名のゲストハウスだった。

 

オーナーは英語が堪能な30代のタイ人兄弟。当方がオートバイで世界ツーリング中であり、宿泊費用を少しでも安く抑えたいと今までのツーリングの説明を説明すると、気前よく部屋料金を800バーツ(約3,200円)から500バーツ(約2,000円)へと割り引いてくれた。

(主要幹線道路沿いで目立った日系トラックメーカーの販売店。タイでの販売シェアはトヨタに次ぐと言う)

(バンコク市内の幹線道路は慢性的な渋滞だ。オートバイでの車と車の間のすり抜けも難しい)

(バンコクで投宿したゲストハウス 12/14 Home Studio)

 

次回はバンコク滞在記から