スラバヤ~ジョグジャカルタ~ジャカルタ800km列車旅(10/29~11/3)Indonesia | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

スラバヤ(Surabaya)からジャカルタ(Jakarta)へバックパックで列車旅(10/29~11/3)約800km

 

スラバヤ(Surabaya)からジャワ(Java)島西部の首都ジャカルタ(Jakarta)まで約800kmの距離がある。移動距離が長いため、インドネシア国鉄の列車旅に切り替えた。

 

スラバヤ・グベング駅(Surabaya Gubeng)を午前9時発の特急電車に乗りスラバヤから約300km西のジャワ島中央部に位置する古都ジョゴジャカルタ(Yokoyakarta)へ向かった。

 

当方は日本のJRのグリーン車に相当するエグゼクティブクラスの車両に乗車した。運賃は275,000ルピア(約2,700円)。スラバヤを定刻に出発してから約4時間後、定刻通りにジョゴジャカルタに到着する。時速約100kmで走行するディーゼル機関車が約8両ぐらいの車両を引っ張る。

 

この車両は全て座席指定だった。当方は切符の座席を示す印字がかすれていたため誤った座席に腰を沈めた。しばらくして他の男が来て、当方に何か言うがインドネシア語なので判らず、そのままにした。男は当方の隣の座席に座った。 しばらくして列車が動き出して車掌が検札にやって来た。

 

車掌は当方の前で止まり、何か言っている。当方が間違った座席に座っていることが判った。隣に座った男の座席に当方はずっと座り続けていたのである。インドネシア人の隣の男は、当初何か言っただけで当方がその男の座席に座り続けていても、その後は何も言わなかった。当方が好きな座席に乗れば良いとのインドネシア人の気遣いがあったのだろう。 

 

 

足元が日本のグリーン車両のように広く、革張りの座席は清潔で乗り心地が良かった。座席にはスマホやPC用に電源が備わっている。

 

列車はスラバヤ市内の家並みが続く人口密集地帯を通るが、市街へ出れば広い農耕地が続く平野を走る。ジャワ島は火山島なので、日本のようにいたるところに山がある風景を想像していたが、広い平地が続く光景はむしろ大陸のイメージだ。

 

稲を刈り取った後の水田あり、これから田植えをする水田、既に稲穂を付けた水田があったりと季節が判らなくなるような風景だ。またトウモロコシ等のような野菜を栽培している農耕地もある。

 

ひとつひとつの水田はあぜで小さく区分けされている。耕作者あるいは地主が異なるなるのであろう。広い平野でも、水田ひとつひとつの耕作面積が小さい。せっかく広大な農耕地があるのに小規模農業では生産性が低いままだろう。

(列車の車窓からの景色・広い平野が広がる)

(列車の車窓からの景色・トウモロコシ畑)

(車窓からの景色・水田は小さく区分けされている)


(インドネシア・ジャワ島地図。 点線の部分が列車旅のルート。スラバヤはジャワ島東部(地図右側)でマーカーで印をつけた位置。ジャワ島中央部分がジョグジャカルタ。 ジャワ島西部=地図左側が首都のジャカルタ)

 

ジョグジャカルタ(Yogyakarta

 

かってのジャワ島の歴代王朝があったとうい古都と観光ガイドブックには紹介されている。ブロドブール(Borodubur)を始めとする7世紀~8世紀ごろの巨大仏教遺跡群が近くにあったり、ヒンズー教が栄えた当時の巨大寺院パランバナ寺院(Pranbanan)がある。

 

現在のインドネシアは人口の9割がイスラム教徒だが、歴史的にみると仏教=>ヒンズー教=>イスラム教へと信仰が移り変わったことが巨大遺跡群で判る。

 

ジョグジャカルタの中心部は小さかった。駅から外へ出て、バイクが無いので宿探しには苦労するかなと思った。レンタルバイクの店を探そうと駅前の通りから小路に入ると、その小路には二十数軒の民宿や小型ホテルが軒を連ねていた。

 

宿泊の事前予約は全く不要だ。宿泊施設の相場を知るため、民宿やホテル3軒ぐらいを回り、価格をチェック後、既に宿泊している外国人旅行者と思われる人が更に奥の小路に入って民宿に入った。

 

当方はその外人旅行者の後について行き、その宿の主人と部屋代の価格交渉をした。その宿は大手宿泊予約サイトでは評判が良い民宿だと後で判ったが、その大手宿泊予約サイトでは一泊270,000ルピア(約2,700円)で売り出していた。

 

当方は交渉の末、2~3泊の条件で175,000ルピア(約1,750円)で泊めてもらうことにした。

 

この宿の主人は英語は現在形も、過去形も無いブロークンイングリッシュだったが、とにかく世話好きで、しかもまめで人が良い。

 

当方は同民宿でバイクもレンタルして、巨大仏教遺跡ボロドブールまでツーリングしたが、景色が良いルートや他の見どころを丁寧に教えてくれる。

 

また、当方がチェックアウトする前夜には、その主人が他の顧客をオプショナルツアーへ連れていくため、当日当方を見送れないことを詫びるためにわざわざ部屋に訪ねてきた。

 

同民宿の大手宿泊予約サイトでの評価が高くいのも頷ける。

(駅前通りから小路をはいると多くの民宿やホテルが軒を並べていた)

(投宿した民宿の主人)

(ジョゴジャカルタの目抜き通りJalan Malioboro。東京の原宿のように並木がある広い歩道があった)

(インドネシア各地から来る観光客で賑わうジョゴジャカルタの目抜き通りのJalan Malioboro)

(当方が気に入った肉団子スープ=BOKSO Soup 16,000ルピア=約160円)

 

ボロドブール(Borodubur)仏教巨大遺跡

 

ジャワ島での観光名所の一押しだろう。底辺約126m四方,高さ36mのピラミッドのような形をした巨大仏教遺跡が7世紀から8世紀ごろ造られ、12世紀~14世紀ごろまではその姿がみられたようだが、その後19世紀に土の中に埋もれた状態で発掘されるまで歴史から忘れ去られていたと言う。

 

ユネスコの世界遺産に登録されている。しかし残念なことにコロナ禍のため、巨大遺跡は外から眺めるだけになっている。本来なら遺跡の中の外回廊を頂上までに登り、遺跡の壁に刻まれたブッタの生誕から悟りまでの生涯、人の欲望への戒め、地獄絵、悟りの境地等複数の彫刻が観れるはずだったが。

 

遺跡のへの外国人の入場料は387,500ルピア(約3,800円)と現地人(50,000ルピア=500円)の8倍した。新興国では観光施設のへの外国人入場料が現地人より割高にに設定されている場合が多いが、現地人入場料の約8倍とは高すぎるのではないだろうか。現地では日本の2万円~3万円程度の価値がある価格だ。

 

しかも遺跡を外から見るだけで、この価格では不満が残る。 競争が無く、顧客満足度を考えない国営施設がなせる業だろう。

(ボロドブール遺跡全体。このように遺跡の外からしか眺められなかった)

(ボロドブール遺跡の基盤の一角のレリーフ。色が変わった部分は補修した)


(ボロドブール遺跡の近くの他の仏教遺跡=Mendut Temple。敷地内の熱帯の巨木が立派だった)

 

ボロドブール遺跡はジョグジャカルタから北西約40kmに位置する。ジョグジャカルタからはほぼ一本道の舗装面が良好な道路だった。直線道路で物足りなさを感じるが、渋滞も無くストレスなく走行可能だ。

 

宿の主人はボロドブールに通じる景色が良いルートがあると言っていたが、結局よくわからず主要道路での往復だった。片道約1時間20分ぐらい、往復で約90km位の距離でスクターでちょうどよい距離だ。ジョゴジャカルタには3日間滞在。

(ジョグジャカルタ~ボロドブール遺跡間の道路風景)

 

ジョグジャカルタから首都らジャカルタ(Jakarta)まで約500kmを6時間かけて特急列車をに乗る。8:50定刻通りに発車する。前日駅でエクゼクチブクラスの切符を575,000ルピア(約5,700円)で買うが、現金払いしか受け付けなかった。

 

スラバヤ駅でジョゴジャカルタまでの切符を買う際にはクレジットカード払いが可能だったが。デジタル化対応が地域ごとで異なるようだ。

 

スラバヤからジョゴジャカルタ間での列車では食い入るように車窓の景色を見ていたが、景色に飽きたせいか、時々眺める程度になった。 ジャワ島は本州の半分程度に約1億5千万人が住むインドネシアで一番人口密度が高い島だ。 

 

鉄道沿線には家並みが途切れることが無いような日本の東海道沿線の景色を思い描いていたが、ジャカルタ近郊や途中の都市部以外は広くてゆったりとした平野部を列車が走る。人口密度が高く、多の人々が住む島とは感じさせない光景だった。

 

首都ジャカルタ(Jakarta) 経済関係の真面目な話

 

人口1千万人を超す大都会だ。第二の都市スラバヤとは比較にならないくらいの規模と高層ビルが立ち並ぶ近代都市だ。

 

ジャカルタ中心部はインドネシアにしてインドネシアではない東京都心部のような装いだった。高級ホテル、高級商業モール、商業ビル、高層のオフィースビル群、インドネシア唯一の地下鉄等、今まで見てきた地方都市とはあまりにも違う。

 

都心部には建設中の高層ビルや地下鉄の新駅等が目立った。さながら建設ラッシュのようだ。建設を請け負っているのは中国系の建設会社の名がやはり目立つ。

 

ジャカルタ訪問の目的は経済関係の情報収集と証券取引所への訪問だった。

 

ジェトロ・ジャカルタ事務所を訪ねた。当方との面談を快く対応していただき、インドネシアの経済の状況及び日系企業のインドネシア進出状況について教えてもらった。インドネシアへは製造業を中心とした約1,500社の日系企業が進出している。

 

インドネシアはコロナ禍期間を除けば、過去10年に経済が年率5%で伸びている高度成長国だ。さらに、インドネシアは経済共同体でるアセアン諸国全体人口の半分をしめる巨大な市場だ。

 

しかも人口動態で言えば、30歳以下の若い世代が多い。若い世代が労働市場に出て、お金を稼ぐようになれば、産業の生産が上昇する。また、稼いだお金を使い、材やサービスを消費すれば経済が大きくなる好循環だ。

 

以前は日本でも衣料品を中心とした多くの消費材がインドネシア製だったが、最近ではベトナム製やミャンマー製も多くみられるようになった。

 

インドネシアが製造拠点として競争力が落ちているのかなと当方は考えていたが、そうでも無いらしい。

 

政府はインドネシアの巨大消費マーケットを背景に外国資本の直接投資にこびを売らなくなったと言う。外国資本の直接投資に対して特別なインセンティブは無いようだ。それでも外国資本は巨大な消費マーケットに魅力を感じて投資を継続させている。

 

外国資本にこびを売らなくなった一例として、輸入規制の強化がある。従来はエアコン完成品をを自由に輸入して現地販売が出来た。しかし、完成品の輸入に規制が導入され、ダイキンやシャープ等のエアコンメーカーは現地生産にかじを切ったと言う。 政府にとって重要なのはやはり自国の産業の育成と国民へ職を与えることだ。

 

日本からの直接投資はシンガポールや米国等に比較するとベースダウンしているようだ。外国資本は電気自動車で使用されるバッテリーの材料となるニッケル鉱山の開発等の資源開発関連の分野に投資が目立つと言う。

 

インドネシア経済の強みを言えば、巨大で若い人口を抱え、原油、石炭やニッケル等の資源が豊富であることであろう。課題はインフラ投資の推進と教育水準のかさ上げだろう。大卒者の比率は同世代の10%程度だと言う。

 

現在インドネシアの一人当たりのGDP(一人当たりの年収と考えてよい)は約4,200米ドル(約60万円)だ。日本に当てはめると米ドルとの為替レートが360円に固定されていた1960年代の水準だろう。

 

日本ではカラーテレビ、クーラーと自家用車が三種の神器と呼ばれていた時代だ。その後の日本の経済発展は周知の通りだ。

ただ、その時は自由貿易を標榜していたアメリカが日本から物を大量に買ってくれた。

 

当方が株式を保有したことがあった大手建設機械メーカーの小松製作所は投資家向けの説明会でインドネシアは同社の鉱山関連大型重機には有望マーケットとしていた。また、大手商社の三菱商事は投資家向けの決算説明用の冊子でインドネシアのスマートシティーへの出資を取り上げていた。

 

(ジャカルタのビジネス街Senayan)

(商業地区Isotoraのビル街)

(Isotoraの高級商業モール)

(日本の円借款で建設されたジャカルタの地下鉄。一路線しかないが安全ドアが装備されている)

(ジャカルタの地下鉄車両内。始発駅のため乗客はまばらだった)

(民家が軒を並べる一角で高層ビルの建設がある)

(人類の進化においてジャワ島で推定70万年~80年万前がジャワ原人=Homo Erecutsの骨発見された。

写真の上段一番右側が人類の進化過程におけるジャワ原人の位置づけだ。

上段右から二番目がアフリカのケニアで発見された道具を扱う人類の祖先=Homo Habils=200万年前と考えられている。

現代人の祖先であるホモ・サピエンスは写真下段の一番左)

(ジャカルタの国立博物館内のジャワ原人の想像モデル)

 

インドネシア証券取引所訪問

 

2日前に証券取引所とのアポイントをメールで入れておいたが、全く返事が無い。

広報等の窓口と思われる部署に電話コンタクトを図るが、英語が通じにくいため、たらいまわしでアポイントの進展が無いの状況だった。そのため、ダメもとで証券取引所を直接訪問した。

 

個室には通されなかったものの、英語が話せる若いスタッフ2人が対応してくれた。時価インドネシア証券取引所の時価総額は約6300億ドル(約80兆円)。約800社強の企業が上場されている。

 

外国人機関投資家が証券取引所のメインプレーヤー(日本では日々商いの50%~60%が外国人投資家の取引が占める)だと思ったが、インドネシアの個人投資が主役だいう。

 

取引所では若い世代の投資教育に力を入れてきて、その成果が表れつつあると言う。

 

証券取引所スタッフもインドネシア経済のの強みとして、若い人口動態と国民性として消費性向が高いことと、そして資源があることを挙げていた。インドネシア人は貯金を好まず、持っているお金は消費に回してしまう傾向が強いとそのスタッフは強調する。

 

約30日間のインドネシアのレンタルバイクと列車使うバックパックの旅もジャカルタで終了して、ジャカルタから自分のバイクが置いてあるクアラルンプールで空路戻る。

 

インドネシアで一番印象に残ったのは人々の優しくさと笑顔がだった。当方がにっこり挨拶すれば、笑顔で返事をかえしてくれる。

(インドネシア証券取引所入居ビルの前には雄牛=Bullの像があった。Bullとは上昇相場の

ことで縁起が良い)

 

ジャカルタでインドネシアのアライバルビザ(VOA)の30日間の期限を迎える頃となり、ジャカルタから当方のオートバイを保管してあるクアラルンプールへ戻る。

 

以上