ガーナ首都アクラ滞在~トーゴ入国~ベナン入国 2019/6/22~6/30 420km | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

2019/6/22(土)~6/27(木)アンゴラビザ取得のためアビジャン連泊 

 

宿をMaple Leaf Hotelへ変更してから3日間、シャワーを浴びようとするとお湯が出ない。初日はお湯が出る部屋へ替わり、2日目は30分~40分かけて何とかお湯が出るようにしてもらった。3日目には修理不能となり、冷水で我慢した。当方が「お湯が出るシャワーの部屋へ替わりたい」と言うと「満室で空き部屋が無い」返答される。冷水シャワーで我慢した替わりに翌朝の朝食は無料で出してもらった。

 

温水のボイラーを同じ階の3つの部屋でシェアーしているため、どこかの部屋で温水の元栓を閉めたりすると他の部屋で温水が出ないようになるようだ。 温水がシャワーから出ないので、お茶やコーヒー用に熱湯を沸かすための電気式ポットをホテルのボーイが用意してくれたが、熱湯と冷水を混ぜてシャワー用の適温にするのかの解答は用意して来なかった。 

 

ホテルの部屋には洗面器も、洗面台やバスタブに水をためる栓が無いのだ。 インターネット接続のWiFiも通じたり、通じなかったり。 朝食の内容も前日あったソーセージやサラダは今日は無いというように常時同じサービスが無く、日々時々変わる。

 

ホテル近所の道路脇の木の下の屋台で果物を売っている中年女性がいた。スイカを切ってもらいその場で食べたりしているとガーナの人たちが意外とオープンだということに気が付いた。 会った初日から当方がカメラで屋台と一緒に写真を撮って良いかと尋ねると、自分は奇麗じゃないので写真には向かないと控えめだった。  控えめで正直な人柄だと思った。

 

それ以降、連日同屋台で、カットスイカを食べたり、マンゴ、パイナップル、パパイヤ等の果物を買った。

(果物屋の屋台とおばさん。カットスイカの価格は1セディ=約20円、マンゴーは2~3セディ=40円~60円)

 

食事が一番の問題だろう。屋台や地元の食堂は多いが、香辛料をふんだんに使い激辛だ。

典型的な食事内容は、おかずとなる激辛スープの中に入った煮魚や鶏肉とごはん(炊いた米)やキャッサバと言う木の根をゆでて日本のもちのように杵でついたものだ。

 

辛さの程度は調整できないので、全て激辛だ。 価格は10セディー程度(約200円)~15セディ(約300円)だが、毎日同じような味では飽きてしまう。

(写真左のもちのような食べ物はキャッサバという木の根を茹で上げた上、プランテンというバナナのような果物と一緒に杵でつく右側は煮た川魚と激辛スープソース)

(キャッサバを杵でついてもち状にする)

 

昼食を買い求めて近所の食堂に行くと、ラップトップパソコンをたたいている若い男がいた。 食堂のオーナーであることがわかった。隣国コートジボアールから英語とIT(情報技術)を勉強するため来たという。 ガーナは西アフリカ諸国内ではIT先進国であり、インターネットを駆使して自分が手掛ける食品の販売を拡大したいと夢を語る。 また英語ができれば母国に帰ったらIT技術者としても引っ張りだこだという。

(コートジボアールからIT技術を学ぶために来た若者フェリックス氏)

 

月曜日になり、アンゴラビザの申請のためアンゴラ大使館へ行った。 前週に相談にのってくれたスタッフとは異なる女性がビザ担当だった。 当方が用意したポルトガル語の理由書(何故アンゴラへ行きたいのか、どの国境から入国してどこの国境から出国等を記載する)では受け付けられないというのだ。 知人の日系ブラジル人にポルトガル語へ翻訳してもらった内容なので、ポルトガル語には問題ないはずだ。

 

大使館ではポルトガルやブラジル等のポルトガル語ネイティブの国籍者以外の外国人からのビザ申請時の理由書は、必ずアクラ市内にある外語学校(Ghana Institute of Languages)で翻訳され、同学校のレターヘッドを使用して作成されなければいけない規則になっているとのことだった。 例外はないので、その規則に従って、外語学校を訪れた。 

同外語学校での理由書のポルトガル語翻訳は150セディー(約3千円強)かかった。

(ポルトガル語翻訳を行ったガーナ外語学校=Ghana Institute of Languages)
 

シングルエントリーのビザを前提に理由書を作成していたが、 大使館でマルチビザの発給も可能と言うことが判り、急遽マルチビザ申請のための理由書に作り変え、またアンゴラ再入国時のホテルの予約も行う等書類を整えて、 最後に大使館指定のStanbic Bankでビザ代金の支払いを済ませ、15時すこし過ぎに再度アンゴラ大使館へ赴いた。 

 

大使館のビザ担当者は当日の16時までに来館すればビザ申請の受付をしてくれると言っていたが、15時には大使館にはいなかった。翌日出直しすることなった。 翌日(火曜日)には申請が受理され、2日後(木曜日)午後にマルチビザを受領した。

 

以下アンゴラ大使館でのビザ申請書類:

 

  • パスポート原本

  • パスポートの本人顔写真ページのカラーコピー1

  • 顔写真(5x4cm)サイズ 2

  • 理由書(Ghana Institute of Languagesのレターヘッドを使用したポルトガル語のみ受領)

  • 自由形式でアンゴラでの旅行日程(当方はエクセルシートで簡単にどこへ泊まり、何をするか記述して、グーグル翻訳を利用してポルトガル語で表示した)

  • 銀行残高証明書(英文で可)

  • クレジットカードのコピー

  • アンゴラでの宿泊ホテルの予約確認書のコピー

  • イエローカード(黄熱病予防接種の証明書)のコピー

 

申請は月曜日から水曜日の9:0013:00

マルチビザの代金は通常の受け取り(5営業日~8営業日)の場合は210米ドル。

特急(Express)の場合は申請から2営業日目受け取りで262.5米ドルとなっている。 

 

アンゴラ大使館指定のStanbic Bank(最寄りの支店は大使館から4km5km離れた巨大商業施設であるAccra Mallにある)で米ドルで支払う(大使館の米ドル口座への振り込み)

 

観光名所があまりない中、日本人なら野口英世博士の記念館は必須の訪問地だろう。

千円札に顔が描かれた野口英世博士を知らない日本人はいないだろう。 同博士は活動の拠点としていた米国のロックフェラー財団の研究員として黄熱病の研究のためアクラを訪れ、不幸にして同地で黄熱病のため19285月(昭和3年)帰らぬ人となった。

 

同博士が研究をした場所は現在病院になっているが、博士を記念した病院の小部屋に当時の写真や妻あての手紙が保存されている。また、敷地内には日本政府が寄贈した野口英世博士記念日本庭園(Dr. Noguchi Memorial Japanese Garden)があり、園内には同博士の胸像が建てられている。

(野口英世博士記念館が置かれている病院)

 

(野口英世博士の死亡を報道する1928年5月22日付けの米国新聞ニューヨークタイムズ)

 

(野口英世博士記念日本庭園の一角に建つ同博士の胸像)

 

滞在中のホテルの目と鼻の先に私立の学校があったので見学させてもらった。Vilac International schoolと言うナイジェリア系の資金で創立した保育園から高校までの一貫教育の学校だった。ガーナ人の他にもインド人、レバノン人、パキスタン人も通うという。一クラス20名程度と少ない。

 

私立だけあって設備は良い。小学部にも課外活動として音楽部があり、エレキギターやドラム類の楽器を演奏するという。 IT教室にはパソコンが完備しており、小学生からパソコンの授業もおこなっている。

学費は1学期2,800セディ(約6万円弱)、年間なら8,400セディ(18万円弱)と現地の物価では高い。日本でいえば年間100万円程度に匹敵する授業料だろう。

(訪れた私立学校)

(私立学校のIT教室)

 

2019/6/28(金)アクラ~トーゴ入国~首都ロメ(Lome) 219km

 

 

アクラに9連泊後に東側の隣国トーゴの首都ロメ(Lome)を目指して今にも雨が降りそうな空模様の中を雨具を着用して午前8時にホテルを出発。

 

この時間帯は通勤ラッシュのため主要幹線道路は渋滞するが、市内から郊外方向へ向かうため大きな渋滞は無かった。 

出発して30分もしない内に雨が降ってきた。 道路工事のため未舗装の土の道路区間では前を走る車や対向車がかき上げる泥水のため頭から足まで泥だらけとなる。

 

アクラからトーゴは山が無い平野だった。 幹線道路周囲は緑が多いが何故か荒地が多い。 田畑にできる土地だと思われるが、荒地のまま放置するのは耕作地が足りているためかと不思議に思う。

(アクラからトーゴへ向かう道路周辺は広い平野だった)

 

広い水田地帯もあるが、水田なのか沼地の荒地なのか区別がつかないほど雑然としている。 日本の水田は区画整理が進んで箱庭のように見えるが、アフリカは水田までワイルドだ。

(ガーナの水田地帯)

 

朝食にバナナを食べた。一部熟れすぎたところもあったが、無視して食べたのが悪かったのかお腹の調子が悪い。 こんな時はバイクを運転する場合ではない。

 

どこかで用を足さなければと思っても適当が場所が無い。 途中見つけた警察署でトイレを借りたがやはり紙が置いていない。ツーリング中はトイレットトペーパーをいつも取り出せるように持ち運ばなけらばならない。

 

2回目にトイレを借りたガソリンスタンドでは店員が「お尻をどのように奇麗にするんだ」と事前に警告してくれた。 当方は「紙は持っているから大丈夫だ」と言ってトイレを借りた。 トイレはポーランドのドイツナチス時代のアウシュビッツ収容所で見たような穴が開いたコンクリートの便座に座るようなものだった。

 

 

(昼食休憩をした食堂の娘)

 

(小豆のような味の煮豆。 甘くすればあんこのようだ。)

 

目的地のトーゴの首都ロメ市はガーナ国境とは目と鼻の先だった。

ガーナ出国時には国境管理事務所や税関の場所へと案内するガーナ人がいた。 後でお金を要求する国境通過お助け業者かと警戒したが、お金は請求してこなかった。

 

以下ガーナ出国の手順:

 

・出国ゲート手前の国境管理事務所でパスポートに出国印を押してもらう。

 

・少しわかりにくい奥まったところに税関がある。建物が多くて税関の場所を見つけるのは難しいので聞いた方が良い。 カルネを使用して入国したため、税関でカルネの出国印をを押してもらう。

 

・その足で別棟の税関の事務所で車両検査用の簡単なメモ書きのような紙をもらう。

 

・車両検査(Vehicle examination)の表示がある事務所(パスポートに押印してもらうイミグレーションオフィースの広場を挟んだ隣)にて、前の事務所でもらったメモ書きのような書類を渡して、新たなメモ書きのような書類を作成してもらう。

 

・出国ゲートを通過する前に、最後にもらったメモ書きのような書類を係官へて手渡して終了。

 

トーゴ入国は以下の通り:

 

国境にトーゴのイミグレーション・オフィースがある(道路を隔ててガーナ側のイミグレーションオフィースの正面にある)。

 

・ 国境のイミグレーション・オフィースで有効期間7日のビザが取得できる。ビザ代金は10,000CFA(約2千円)。

 

・ イミグレーション・オフィースから約100m進んだ道路左側の貨物コンテナーを利用した事務所が税関になる。この建物(コンテナー)の窓口で通行許可証(Laisez-Passer)を作成してもらう。

 

・ 通行許可証の作成料金は7,000CFA(約1,400円)。 領収書が発行される。 通行許可証を発行する際、国際運転免許証とオートバイの保険(ブラウンカード)の提示が求められる。尚、トーゴ入国ではカルネは使用しない。

(トーゴ入国直後。 写真奥がガーナ領)

 

投宿はHotel Marie Antoinette。エアコン付き、敷地内駐車場あり 素泊まり12,000CFA(2,400円)

ドイツ人経営故、清掃は行き届いていた。WiFiも通じる(予約なしで、i Overlanderの情報を頼って探す)

(ロメの宿 Motel Marie Antoinette)

 

2019/6/29(土) ロメ(トーゴ)~ベナン入国~コトヌー(Cotonou)200km

 

ロメは海岸に面した都市だ。 広い浜辺の海岸には椰子の林になっていてちょっとした南国のリゾート地の雰囲気がある。

(ロメ市の海岸通り)

 

海岸に沿った幹線道路を隣国ベナン共和国の最大都市コトヌー(Cotonou)を目指して進む。

 

この地域は人口密集地帯だ。 日本のように沿道に町や集落が続くので、走り易い道路では無い。 ロメから60km程度進むとベナンとの国境になる。

 

トーゴの出国はイミグレーション・オフィースでパスポートに出国スタンプを押してもらうだけで終了する。

イミグレーションオフィースは軒を並べて3つある平屋の小さな建物のうち、一番奥まった場所にある建物。

 

税関では何もやることは無い。税関は素通りで可能だ。(発給してもらった通行許可証の返却義務もない)

 

そしてベナン入国だ。 入国ゲートの右側の建物がイミグレーション・オフィースだ。

アビジャン滞在中にインターネット経由で取得した1ヶ月有効のE-ビザ(50ユーロ)のコピーを見せ、パスポートに入国スタンプを押印してもらう。

 

更に100m程先に進んだ道路左側の貨物コンテナーを利用した建物が税関(Douanes)だ。

ここでも通行許可証を作成してもらう。料金は6,000CFA(1,200円)。カルネは利用しない。

(ベナンの税関では国際運転免許証とオートバイ保険の提示要求は無かった)

 

ベナン入国手続きが終了してもまだ午前の11:30だった(この時はベナンとトーゴ間に1時間の時差があることに気が付いていいなかった。ベナンはトーゴより1時間進んでいる)。ベナンまで100km強の距離しかない。

 

 

(ベナンの有料道路では料金所手前にバイクが迂回する道路入口=写真右側がある。料金所を越えたあたりで有料道路に入る。料金所を通過しないので無料だ)

 

急げば15時までコトヌーに到着可能だ。 15時までにコトヌー所在のコンゴ共和国領事館に到着すれば、ビザ申請が可能だということを同大使館とへのEメールでの問い合わせで知っていた。

 

コトヌーへと先を急いだ。 到着したのは14:00ちょっと過ぎだったが、コトヌーのコンゴ共和国の領事館の扉が閉まっていた。 領事館の扉に掲載されてあった携帯電話へ電話をすると、ビザ担当官の女性だった。既に当日の業務は終了して自宅に戻ったとのことだった。

 

当方の勘違いで14時だと思っていたのは、ベナンでは既に15時だったのだ。それでもこの時はまだ気が付かずに、「14時に到着したのに領事館が閉まっていてビザの申請が出来ない」と訴えその女性へ話すと、その女性は翌日(日曜日だが)午後4時に領事館でビザを発給してくれると言う。

 

日曜日に本当に業務をしてくれるのだろうかと半信半疑で翌日を待つことにした。

 

投宿はGuesthouse Haie Viveの別館(600mほど離れた場所にある)。別館と言ってもオーナーが同じゲストハウス。 料金はエアコン、シャワー付き個室で素泊まり10,000CFA(約2千円)。敷地内に駐車スペースあり。 WiFiも通じる。

(コトヌーで投宿中のGuesthouse Haie Viveの別館。本館とは600m位離れた場所にある)

(宿の部屋には蚊帳付きのベット)