コトヌー(ベナン共和国)滞在~ナイジェリア入国~首都アブージャ(2019/6/30~7/6) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

2019/6/30(日)ウイーダの不帰の門(奴隷記念碑)見学とコンゴ共和国のビザ申請

 

雨期の期間だが、昨日と今日は快晴である。この晴れ間を利用してコトヌーから約西40km程に位置するOuidah(ウイーダ)の海岸へ行くことにした。

 

ウイーダは18世紀~19世紀にアフリカから原住民を奴隷として英国、フランス、スペイン等の植民地であった南米、北米、カリブ海の島々へと送り出した一大拠点だった。 ウイーダの海岸からは1700年~1860年の間に数百万人の人達が同じアフリカ人の手で欧州の商人へと商品として売られ、この海岸から連れていかれた。

 

当時は部族間同士が争いをして、争いに負けて部族が奴隷となっていたようだ。アフリカのみならず、他の地域でも戦争で敗れた方を捕虜として奴隷とすることは幅広く行われていた。

 

「ドン・キホーテ」(Don Quijote)を書いた16世紀~17世紀のスペインの文豪ミゲール・デ・セルバンテス(Miguel de Servantes)もレパントの海戦(トルコとの戦争)で捕虜となりその後北アフリカへ奴隷として売られて不幸な時代を過ごしたことがあったぐらいだ。

 

当時欧州強国は三角貿易を行っていた。欧州から船でアフリカで売る商品を積み、アフリカからは奴隷として買い入れた人々をカリブ諸国や北米の植民地へ運び、カリブ海や北米からは植民地でとれた砂糖、酒、綿製品を欧州へと運んだ。

 

ウイーダの海岸にはその過去の不幸な事実を忘れないように「不帰の門」(フランス語でPorte du Retour/Porte du Non-retour)と言う記念碑が建てられている。 その記念碑はユネスコの世界遺産として登録されている。

(ウイーダの海岸の不帰の門。ちょうどミサが行われていた)

 

(ウイーダの海岸。波が高く引き潮が速いので海水浴には向かないようだ)

 

(ウイーダの海岸通りはヤシの木が多い深い砂の道だった)

 

日曜日であったが、前日の約束通りにコンゴ共和国(首都ブラザビル)の領事館へビザの申請のため訪れた。パスポートと写真一枚を手渡すとビザ担当官の女性が10分~15分後に15日間有効のトランジットビザを発給してくれた。 ビザ発給の女性へビザの手数料の3万セファーフラン(約6千円)を支払い、謝意を伝えた。

 

2019/7/1(月)コトヌー3泊目 ガボンのビザ取得。 コンゴ民主共和国(Kinshasa)のビザは取得できず。

 

午前9時少し過ぎにガボンの領事館をビザ申請のため訪れた。事前の情報でビザの即日発給が可能な旨を知っていた。 パスポート、パスポート用の写真2枚、オートバイの登録証(Certificate of Registration)をビザ担当の女性へ手渡して、30分後には1ヶ月有効のシングルビザを発給してもらった。 即日発給のビザ料金は65,000セイファーフラン(約13,000円)。

 

日本のガボン大使館でビザを申請したら、往復の航空券、現地のホテルの予約確認書、予定表等複数の書類を要求されるが、コトヌーのガボン領事館の場合は手続きが簡単でしかも迅速だ。

 

ガボンビザを取得後、コンゴ民主共和国の大使館へと徒歩で向かった。徒歩で15分程度の場所だ。

今年の5月初旬に日本人のバックパック旅行者がここの大使館でビザの発給を受けたことを知っていたので、簡単にビザを取得できるだろうと期待していた。しかしながら、そうではなかった。

 

コトヌーの大使館ではベナン周辺諸国のアフリカの人達へはビザを発給するが、その他の外国人向けのビザの発給は国境で入国に問題があるので 1ヶ月前に(6月)停止したと告げられた。 この大使館で発給されるトランジットビザでは国境にて同国への入国を拒まれたとうわさをフェースブックで聞いていたが、事実だったらしい。 

 

困った。 コンゴ民主共和国(DRC)のビザが無くては、アンゴラのマルチビザを取得した意味がない。早速宿に戻り、これから通過する予定のナイジェリア、カメルーン及びガボンにあるコンゴ民主共和国へEメールで非居住者外国人によるビザ申請の可否を問い合わせた。

 

しかしながら、全てのメールは宛先不詳で届かず。在ナイジェリアのコンゴ民主共和国大使館へは電話連絡も試みるが、電話が不通となっている。

 

Eメール、電話で連絡が取れないからには、実際にそれぞれの国で同国大使館を訪れて確認するしか手段が無いだろう。

(コトヌーの歩道で衣料品を販売する業者。木の枝をうまく利用して目立つように商品を並べていた)

 

(コトヌーはバイクが多いのでバイクの専用道がある=写真右端)

 

2019/7/2(火)コトヌー4泊目、 水上集落ガンビエ(Gambie)観光

 

コトヌーは浜名湖ほどの面積のノコウエ湖(Lake Nokoue)に面している。 この湖の北西にあるガンビエと言う水上集落が観光名所となっている。奴隷狩りを恐れた人たちが、水上に隠れ住んだのが集落の始まりだと言う。

 

ガンビエの水上集落へは湖の西側にあるAbomey-Calaviの町から小型の観光船が出ている。 観光船が出る船溜まりまでは自分のオートバイで行き、観光船のオペレーターと交渉した。

(ガンビエ行の観光船が出る船溜まり)

 

乗船料金は通常往復8,000セイファーフラン(約1,600円)と現地物価では高い。しかも簡単に値引きしない。 船溜まりの他の船頭もほぼ同一料金で持ち掛けてくる。

 

当方は7,000セイファーフランしか入っていない財布の中身を見せて、これ以上のお金の持ち合わせは無いと言うと、最後は相手も7,000セイファーフラン(約1,400円)で手を打った。 規定外の料金なので、領収書は発行しないという。

 

 

他に観光客がいない中、当方だけが小さな木造船に乗船して約8km先のガンビエの水上集落へ向かった。 小型船は小走り程度の遅いスピードしか出ない。

(小型の観光船)

 

(ガンビエの人たちが利用する小型の帆船。追い風の時は帆を揚げて帆走する)

 

 湖面では2人乗りの手漕ぎの小型船で漁をする漁師、船上で商品を販売する女性、単に移動するために船を漕ぐ人達を見かけた。 

 

「ガンビエはベナンのベニスだ」と説明したインターネット記事があったが、ベニスのように立派な建物や運河があるわけではない。東南アジア諸国の川べりにある高床式の家が集まった集落だった。 観光客で賑わっていると思ったが、3名程度のグループの白人観光客しか見かけなかった。 

 

水上ホテル2軒に立ち止まり、狭い運河を通り抜けガンビエの集落を船上から眺めたが、外国人を見る地元の人たちの目は冷ややかに見えた。 観光客が落とすお金に無縁な住人には日常生活を壊す観光客は迷惑な存在なんだろう。

(ガンビエの集落内の水路)

(船上で商品を販売する)

 

投宿している宿から600m程離れた場所にある本館(Guesthouse Haie Vive)に車とバイクで旅行している客が昨夜投宿したとオーナーのジャーン氏(ジュネーブ出身の中年スイス人)が教えてくれた。 

 

カナダ人の男性は四駆のランドローバーで南アフリカから西アフリカ経由で欧州へ向う途中だった。

そのカナダ人は当方がアフリカ西側ルートで一番の難所と考えていたコンゴは既に乾期だったので問題なく通過出来たという。

 

コンゴ民主共和国(DRC)のビザがアンゴラの首都ルアンダの大使館では取得できず、その後コンゴ民主共和国(DRC)との国境まで進んだが、国境にはアライバルビザ(Visa on Arrival)が無く,入国を拒まれた。 仕方が無いので、 ナミビアの首都ウインドホーク(Windhoek))まで2,500km戻ってビザを取得したとか。

 

また、 ナイジェリアのビザが事前に取得出来なかったため、反政府勢力による誘拐やテロ脅威のため危険とされるカメルーンのManfeからナイジェリアのEkok国境へ至る道路を経て、ナイジェリア国境で7日間有効のトランジットビザを発給してもらった等の情報を得た。 

 

ただし、 このトランジットビザはナイジェリア国内の検問では問題視され難儀したようだ。同氏はカメルーン側から来たのでEkok国境(ナイジェリア)が通過出来たとのことで、やはり、ナイジェリア側からカメルーン側へは出国できないと教えてもらった。 

(南アフリカから四駆車で欧州まで進む途中のカナダ人)

 

2019/7/3(水) コトヌー~ナイジェリア入国~アベオクタ(Abeokuta) 270km

 

(西アフリカ諸国の地図。 赤印は宿泊地点を示す。 ナイジェリアの首都アブージャ(Abuja)は青色の矢印マークの位置)

 

午前9時前にコトヌーを出発してまずは国境手前のKetouの町を目指した。

前日情報交換した四駆で旅行中のカナダ人もKetou付近のイララ国境(Illara)経由ナイジェリアからベナンへ入国したと言っていたので、3つの通過国境候補からKetou経由ナイジェリアへ入国することにした。

 

途中の道路では舗装道路張り替え等の工事区間が多く、土埃が半端ではない。マリのダート道での経験から土埃対策としてマスクを着用にて走行するようにした。 

 

(道路の先=写真奥は土埃がすごい)

 

国境手前の町で両替商を探した。 ビザ代やコトヌーの滞在が長期化することを考えて多めの現金を用意していたのが裏目にでた。セイファーフランの現金が余り過ぎたのだ。 この先にはセファーフランを使用する国は無い。

(Ketouへ向かう道路)

 

手持ちのセファーフランのうち1/3程度をナイジェリアの通貨ナイラ(Naira)へ両替した。 為替レートを途中の通過する町でチェックしながら徐々に両替するつもりだった。国境でもKetouと同じく、為替レートが良くないため両替を見送り、ナイジェリアで両替することにした。(国境が遠ざかると両替用の為替レートは悪くなるので、本来はここで全額ナイジェリア通貨へ交換しておくべきだったが)

 

ベナンの出国時のイミグレーション・オフィースは国境ゲートの左側道路脇にあった。国境警察はコンテナー程度の小さな事務所に待機しているので見過ごしてしまうほどだ。パスポートに出国印を押してもらい出国手続きは5分~10分程度で終了する。

オートバイの手続きはトーゴ出国の場合と同様で一切無し。

 

ベナン側の国境に通じる道路はしっかり舗装されていたが、ナイジェリア側の国境の町は未舗装のままだった。ナイジェリアのイミグレーション・オフィースの場所が判りにくかった。 Maps.MeGPSアプリには表示されていない道路上にあった。

(ナイジェリア領の国境の町イララ=Illara)

 

ナイジェリア入国ゲートの横に警察の詰め所がある。

Policeとの表示も無く、また警察官も民間人同様の私服姿のため、警察官とは判別できないが、国境を通過した際に付近の人たちが教えてくれた。

 

ただし、イミグレーション・オフィース(Nigeria Immigration Service)は国境ゲートから200m進んだT字交差点を左折後、最初のロータリーを左折して500m600m進んだ道路の行き止まりにあった。周囲の建物とは異なり立派な建物だった。

 

当方が東京の在日ナイジェリア大使館で取得したビザは何故かシングルのビジネスビザであった。

そのため、「観光目的では入国できない」と堅そうな顔つきの入国審査官に言われ、パスポートへの

入国印を拒まれた。

 

同入国審査官から「ビジネスならシングルでは無くマルチビザになるはずだ」とも指摘され、更に「ビジネスの許可証を持っているか」とも質問されたが、当方はそんなものは持っていない。 

 

当方のビザがビジネスビザだったことに気が付かなかった。

 

国境で1泊~2泊せざるを得ないことを覚悟して、当方は在日ナイジェリア大使館へ確かめるため、スマホでビザの写真を撮ったり、ノートパソコンを取り出してメールでの問い合わせ作業を開始してしばらくするとその審査官が、「入国印を押してあげるから、在日ナイジェリア大使館への問い合わせ作業をしなくて良い」と言う。 賄賂の要求があるのかなと警戒したが、そのような言動は一切なかった。

 

パスポートへの入国印には90日の滞在許可が記載されていた。 在日ナイジェリア大使館でビザ発給を受けた際に、滞在日数については入国審査官の判断で決められると説明受けていたので、90日の滞在許可とは意外であった。 堅物だが、なかなか良い入国審査官ではないかとの印象をもった。

 

イミグレーション・オフィースから約20m離れた場所に税関の建物(Nigeria Customs Service)があった。税関長と思われる男の机の前の椅子に丁重に通され、その男から当方が何の目的でナイジェリアへ来たか等の説明を求められた。

 

観光を兼ねながら株式投資の機会も調査していると当方が説明し、また訪問した国についてインターネット上のブログにも投稿していると言うと、税関長は当方のツーリング目的に賛同をして歓迎してくれた。その上、ミネラルウオーターを持って行けとペットボトルを4本手渡された。 4本は多すぎるので2本頂くことにした。 

 

同税関長からはナイジェリアの教育制度、ナイジェリアが直面する問題等真面目な話を1時間程度聞いた。 クイーンズイングリッシュ(英国上流階級の英語)を話す税関長だったので、しっかりした人物なのだろう。

(税関の人達。左から2番目が税関長)

 

聞いていた通り、道路上での検問は多かった。 検問所とは気が付かずに通り過ぎた場所もあったが、100km区間に約10カ所あった。 多くは小銃を片手に民間人と同じ服装の人たちがいるだけの検問所であった。

 

外国人ライダーはほとんど通らないルートのため、検問所では警察官から写真を一緒に取らせてほしいと映画スターのような歓迎を受けた。

 

国境から100km進んだAbeokutaまでの舗装道路の状態が悪かったので、走行に時間がかかり、Abeokuta市内へ入ったのは日没後になっていた。 

(でこぼこ道と水たまりでのろのろ走行になる区間)

 

原油生産国なのに市内の街灯は燈っておらず、雨上がりの闇の中だった。目星をつけていた宿がGPSの示す場所に無い。 複数の人たちに宿の場所をたずねたが、闇の中良くわからない。最後には小型バイクに乗る地元の人に先導してもらい宿に到着した。

 

投宿はRichton Hotel & Suites (一泊素泊まり9,000ネイラ=約2,700円) WiFi,敷地内駐車場あり。

 

2019/7/4(木)アベオクタ~ベニン・シティー(Benin City) 323km

 

前泊のホテルの受付嬢は気が利く女性だった。 宿泊代と夕食代の合計11,000ナイラのところを10,000ナイラにしてくれたり、 夕食にはミネラルウオーターのペットボトルも無料で付けてくれた。

 

当方は手持ちの現金が少ないので、銀行ATMでキャッシングするか、両替商を見つけて手持ちのセファーフランを両替するかどうかせねばならない。 この朝帰宅途中であった受付嬢は、 バイクタクシーに乗り、当方を銀行まで案内してくれた。 

(気が利いたRichiton Hotel & Suites の受付女性)

 

アベオクタからベニン・シティーまで約300km強の距離がある。 雲行が怪しいため雨具を着用して走行した。最初の100kmは高速道路ながら舗装面に穴があったり、舗装がはがれたりしている。高速走行は難しい。それでも地元のドライバーはガンガン車を飛ばす。 残りの200kmは路面がきれいに舗装され走り易かった。

 

この区間でも検問が10カ所以上と多いため、検問所の手前では必ず渋滞が生じる。小型バイクの強みで渋滞時には車と車の間のすり抜け、また路肩も走行して渋滞している車を尻目に前進した。 しかし、ドライバーの運転が強引だ。 渋滞区間では多く車が我先にと無理な割り込みをする。 当方が走行している真横に車を押し付けて割り込ん来るのでバイクと接触してしまう。 このような粗い運転には当方も怒り、思わず「バカヤロー」と大声で罵声を浴びせるが、運転手はすまし顔だ。 

 

(Benin Cityまで135km地点の高速道路)

 

ナイジェリアではバイクが多くない。高速道路を走行しているバイクはあまり見かけない。たまに見かけても路肩や路側帯を申し訳ないように走行している125ccクラスの小型バイクだ。 ナイジェリアのドライバーにとってはオートバイは路肩か道路の片隅をちょぼちょぼと走行するだけの軽い存在なのだろう。

 

投宿はLixborr Hotel(素泊まり7,500ナイラ=約2,300円、市内中心部、敷地内駐車場、エアコン付き、温水シャワー、WiFiあり但しスピードは遅い)

(Benin Cityで投宿したLixborr Hotel)

 

2019/7/5(金)ベニン・シティー2泊目(ナイジェリア人の機微に触れるハプニング)

 

当初の計画を変更して、コンゴ民主共和国(DRC)大使館で同国のビザ申請を試みるため首都アブージャ(Abuja)まで行くことにした。

 

ベナンのコトヌーでのビザ申請は他国で行う場合より簡単である。

写真1枚とパスポートのみの提示で済んだりするが、通常は旅行計画書、ホテルの予約確認書等多くの書類が要求される。 

 

首都アブージャでのビザ申請用の書類を準備するため、ベニン・シティーで連泊することにした。朝から停電が断続する。 ホテルのWiFiが使えないので、インターネットを利用してコンゴ民主共和国でのホテルの予約ができない。

 

スマホのSIMカードを買い求めて、近所の携帯電話の代理店へ行ったが、10時だと言うのにまだ店が開いていない。諦めてホテルへ戻る途中、携帯電話代理店の横の雑貨店の少女が当方を追いかけてくる。

 

少女は近隣にある他の携帯端末店へ当方を案内したいというのだ。 迷路のように小店が立ち並ぶ一帯の一角にあった携帯端末の販売店だった。 SIMカード購入時には厳密に本人確認を行うとのことで、顔写真の撮影、指紋を採取をされた上、MTN(通信大手)のSIMを購入することが出来た。 

 

SIM代金が500ネイラ(約150円)、最低の通話料500ネイラ(約150円)、1ヶ月有効の2GBのデータ通信1,200ネイラ(約360円)の合計2,200ネイラ(約660円)だった。

(携帯ショップの店員)

 

案内してくれた少女は別れ際「いくらでも良いからお金を頂戴」と小声で言った。 お金には渋い当方だが、正直者や控え気味の人に言われると看過できない。少女に200ネイラ渡した。 少女は「有難う」と言って去って行った。

 

ナイジェリアの販売勧誘はアグレッシブだ。通りを歩いていれば、「両替するぞ」「奥に店があるから寄ってくれ」「中国人か」等必ず声をかけてくる。 多くの先進国の外国人にはうっとうしく感じられるだろう。 よく言えばビジネスに熱心だ。 

 

この国の人口は1.9億人とアフリカ最大だが、働き口が少ない。そのためか店やホテルには過剰と思われる数の従業員がいる。 職にあぶれたら食うために自分で路上で商売をするしかない。

食っていくためには皆真剣だ。本来は資源があり裕福になれる国なのだが、上手くいっていないようだ。

 

夕食時にハプニングがあった。 通りで料理の写真を載せた立て看板があるレストランを見つけた。食べられるものがあるかどうか決めかねていると、控えめそうな店の男が料理を説明してくれる。 辛い物を食べるとお腹を壊すので野菜スープを頼んだ。 

 

野菜スープだと思って、出された料理(辛い薬味の煮魚と餅のような付け合わせ)を食べた。

支払いするときに、食べた料理は野菜スープの5倍の料金だという。

 

男は当方がナイジェリア料理に興味あるだろうと思って複数の料理を出した。当方はそれとは気が付かずに出されるままに料理を食べたということだったが、納得がいかない当方は「注文とは異なる料理を持って来たのは店の責任だ」と主張して野菜スープの代金しか支払わないと主張。

 

店は家族経営だった。料理を作った姉が実質的な経営者で当方に「食べた分を払え」と譲らない。言い争いに見かねた店の客の一人が、「俺が払ってやるよ」と仲裁を申し出たが、当方は金額の多寡より誰の責任かにこだわった。

 

店の男は「間違えたのは自分の責任だ」と認めた。 なかなかの正直者である。 あれやこれやと言い争ったが、やはり正直な言動には感動する。 当方は野菜スープの料金しか置かなかったが、男は「翌日もまた店に食べに来てくれ」と気持ち良く当方を送り出してくれた。 

(レストランの男。 食料品販売の商売もしていると言った)

 

(横断歩道や信号機が無いので、歩行者は慣れないと道路を渡るタイミングが難しい)

 

2019/7/6(土)ベニン・シティー~首都アブージャ(Abuja) 480km

 

道路状態を考慮したら一日に480km走行して日没前にアブージャへ到着するのは無理だと考え、ベニン・シティーとアブージャの中間地点にあるロコジャ(Lokoja)という町で宿泊するつもりだった。

 

ホテル出発時には当方のツーリングに感動した支配人のインド人女性が見送ってくれた。

 

ベナン・シティーでは夜間に2日連続雨に見舞われたが出発時には曇り空になっていた。ベニン・シティーから最初の100km区間は片側1車線の対面通行で路面状態は悪くなかった。

(Benin CityからLokoja方面へ向かう道路。対面通行だが道路状態は良好だった)

 

しかし、その先のロコジャまでの150km区間が路面に大きな穴があったり、舗装が崩れ路面が凸凹している道路だった。

 

今日も多くの検問所を通過した。ほんどの検問所でバイクは停止を求められず通過できた。 ロコジャ手前の検問所で停止を求められ、外国人である当方に警告してくれた。「この道では誘拐があるので今のように顔を隠して走行するように」と。 当方は土埃から喉をまもるためマスクを着用してる。ヘルメットにはサングラスシールドが装備されてされているので外から顔が見えない。

 

 

(昼食休憩を取った田舎道の店)

 

(検問所の警察官は積極的に写真撮影に応じてくれた)

 

2連泊後とあって、休憩無しで4時間走行し続けても珍しく疲れないし、眠くならない。 

体調が良いことも手伝って、一気に首都のアブージャまで行くことにした。コロジャ(Lokoja)からアブージャまで220kmあるが、道路状態が良い高速道路となっている。

(LokojaからAbujaへの高速道路)

 

アブジャ市の手前からはいよいよ首都入りするような雰囲気がある片側3車線の立派な道路が整備されていた。 

 

投宿宿はBooking.com上で目星をつけていた宿だった。 

Booking.com上ではKH Lodgeと案内されていたが、実際はKoraj Hotelの本館から約500m離れた別館(Annex)だった。 また、Maps.Me上の(スマホのGPS)KM Lodgeの場所は実際の場所から約300m程度離れていた。 周囲は大きな邸宅分譲地の一画で宿の標識も無いので、場所が判らない。最後には Koraj Hotelの本館からホテル従業員に案内してもらった。

 

朝食付き8,000ネイラ(約2,400円)。こじんまりとした奇麗なホテルだ。敷地内駐車場、温水シャワー出るが、WiFiのスピードは遅い。 

(KH Lodge=Koraf Hotelの別館)