メンフィス~アパラチア山脈~バージニア州・フロントロイヤル 2018/5/18~5/23 | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアを周回ツーリングを行う。

2018/5/18(金)メンフィス2泊目 雨具の修理と国立公民権博物館等見学

 

I-40号の高速道路走行中の豪雨でライディング・ブーツの中まで雨水が染みてきた。

完全防水のブーツのはずだが、雨天での高速走行は水道の水を勢いよくかけているのに等しい。 

 

ライディング・ブーツの外側には雨用のブーツカバー(ブーツの雨具)を着用しているがそれでも雨水がブーツ内に漏れてくる。

 

テントの縫い目等を補強して防水するため使用されるチューブ入りのシリコンを雨漏りの可能性があるブーツの縫い目やブーツカバーのつなぎ目に塗り雨漏れ対策をする。これから先は雨天の日が多くなるが、果たして効果はあるだろうか。

 

黒人の公民権運動の指導者だったマーチン・ルーサー・キング牧師の名を聞いたことが無い人は少ないだろう。 メンフィスはキング牧師が暗殺された場所だった。同氏の意思を継ぐため、暗殺された現場のモーテルが公民権博物館となっている。

(国立公民権博物館 キング牧師は写真右側の浮き輪のようなものが掛かっている2階のベランダにいる時道路を挟んだ向かいのホテルの窓から狙撃された)

 

公民権博物館ではキング牧師の偉業や憲法で平等がうたわれているにも関わらずいかに黒人が差別を受けてきたが判り易く解説してある。

 

また、 植民地時代のアメリカのたばこ栽培、後に綿花栽培の労働力としてどのように黒人がアフリカから奴隷として連れて来られ、非人道的な扱いを受けた苦難の歴史を辿ってきたかよく判る。 

 

1619年に黒人奴隷が初めて米国に輸入され、1860年には黒人奴隷の人口は4百万人まで増えたという。 1805年には奴隷が一人200ドルで売買され、1860年には価格が750ドルだったとか。今の価値で奴隷を13万ドル(15百万円)の商品としか見ていなかった等アメリカの醜い歴史を扱っている。

(禁酒法時代に賑わったメンフィス中心部のBealeStreet)

Beale Street横のブルースカフェの壁絵看板、メンフィス)

 

(メンフィスは大手宅急便のFedExが本社を構える場所だ)

 

2018/5/19(土) メンフィス~・アラバマ州ハンツビル(Huntsville) 363km

 

メンフィスで投宿したモーテルのインド人管理人は外国紙幣のコレクターだった。

同氏が最近の円紙幣をコレクションに加えたいというので、千円紙幣をドルと交換した。同氏の収集した円紙幣を見せてもらった。 明治から大正にかけての紙幣と第二次大戦中外地で使用されていた旧紙幣を持っていたのには驚いた。

 

アラバマ州のハンツビル(Huntsville)に向けて出発したが、十数km進んだあたりでオートバイのエンジンが不調になった。 本来のパワーが出ない。南米の標高3m以上の高地でしかもオクタン価の低いガソリンを入れた時のように本来のパワーの6割~7割といったところだ。 インターネットでオートバイのディーラー住所を探すため宿に引き返した。行き先のハンスビルにBMWのディーラーがあることを確認して再出発した。

 

インターステートの高速道路は使わず、US72(国道72号)を東へと進む。国道と言ってもインターステートの高速道路と同じように立派な高速道路だ。ただ交通量がインターステートの高速道路より少ない。 のんびり走ろうと思っていたが、ここでも希望はかなわず。

(メンフィスからハンツビルへ向かうU72国道)

 

(U72国道の途中では上り線道路が工事中で閉鎖されていた)

 

国道は森林や広い耕作地の中を通る。また、草原や森の中の住宅地も通る。奇麗に刈り込まれた草原の中に映画に出てくるような大きな屋敷が見える。アメリカの住宅事情はうらやましい。土地の価格もさることながら、固定資産税が低いから広い敷地に大きな家が建てられるのだろう。

(広い敷地の屋敷はいかにも米国らしい)

 

アメリカに来て中南米と異なることに気づいた。 日本でもそうだが、コンビニで休憩中のオートバイのライダー同志でもほとんど言葉を交わさない。オートバイライダーは休憩や用事を済ませると我関せずと去ってしまう。中南米、いや欧州でもライダー同氏は言葉を交わすし、必要ならば情報交換をするが、アメリカではそれが無い。 ライダー同志の連帯感が少ないようだ。

 

ハンツビルにはアメリカが1960年代に人間を月へ送ったアポロ計画に使われたロケット(サターンV)等の展示施設があった。 U.S. Space & Rocket Centerと言う施設だ。ハンツビルは第二次世界大戦中にドイツのロケット開発の中心人物だったフォン・ブラウン博士が戦後は同地でアメリカのロケット開発を行なった場所だった。

全米で2番目の規模の宇宙開発研究関連の施設があると言う。

 

投宿はBama Inn(一泊54米ドル=約6千円)

 

(ハンツビルのUS Space & Rocket Center)

(US Space & Rocket Centerにはスペースシャトルも展示されている)

 

 

2018/5/20(日) ハンスビル~ノース・カロライナ州チェロキー(Cherokee) 398km

 

メンフィス~ハンスビルのルートも含め3週間前にメキシコで練った走行ルート計画を変えていた。

 

アトランタへ行くのは止めて、アパラチア山脈の尾根沿いの山岳道路ブルー・リッジ・パークウェイ(Blue Ridge Parkway)を目指すことにした。

 

ブルー・リッジ・パークウェイのスタート地点であるノース・カロライナ州のチェロキー村(Cherokee)へ向かった。 ハンスビルからUS72線(国道72号)を東へ進みテネシー州のチャタノーガ市(Chattanooga)を経由してノース・カロライナ州のグレート・スモーキーズ・マウンテンズ(Great  Smokies Mountains)方面へ向かう道だ。

 

米国南部特有の湿度が高くて蒸し暑い気候のため、広葉樹の森の緑が日本の様に濃い。 雑草もすぐ伸びるようだ。 米国人は自宅周辺の緑地の芝や雑草を芝刈り機できれいに刈り込み手入れする。 住宅地や田舎の国道沿いの一軒家でも芝刈り機で自宅前の緑地を刈り込んでいる姿をよく見かける。

 

当地のテレビでも日本の久保田鉄工が小型芝刈り機の宣伝をするのを見た。米国では一軒家を持つと芝刈り機や日曜大工用具等一通り揃えるので日本メーカーがこぞってアメリカ市場へ進出するのはうなずける。

 

本日の後半約200kmのルートは日本の信州のような森林内のワインディングのルートだった。当方が待ち望んだ道路だ。 対面通行ながら、制限速度も45マイル(時速72km)前後でのんびり走るのにはちょうど良い。

もちろんトラックが通る道ではないのでストレスも無い。 ただし道路に路肩が無いので、バイクを止めて景色を楽しんだり、写真に収めることができない。

 

投宿はGreat Smokies Inn Cherokee(一泊60ドル=約6,600円)

(チェロキーの村で投宿したモーテルは部屋が広かった)

 

(チェロキーの村)

 

2018/5/21() チェロキー~ブルー・リッジ・パークウェイ~ボーネ(Boone)284km

 

グレート・スモーキー・マウンテンズ国立公園入口のチェロキーは山麓に位置するため朝夕は冷え込む。

 

南米のコロンビア以降ずっと夏用のメッシュ袖だったライダーズジャケットに冬用の袖を付ける。 暑くなればファスナーで冬用の袖を取り外してメッシュ袖にできるようになっている。

 

ブルー・リッジ・パークウェイはチェロキーからスタートする。国立公園内の対面通行の山岳道路である。 山岳道路と言っても険しい道路では無い。標高1,000m~1,800mのなだらかな山の斜面を通る道路である。 

(ブルー・リッジ・パークウェイの始まり)

(ブルー・リッジ・パークウェイにはオートバイライダーが多かった)

 

 

日本の信州の高原道路を走る感じである。アパラチア山脈には標高が高い山が無い。高い山でも標高1,800m程度だ。 新緑の森の中を通る道路を走るのは気持ちが良い。制限速度は時速3545マイル(5272km)程度に抑えてあるので、のんびり走るのにはちょうど良い。

 

国立公園内の道路とあって道路沿いには休憩所も売店やガソリンスタンドも無い。ガソリンが必要なら一旦ブルー・リッジパーク・ウェイから出て近くの国道へ抜ける必要がある。

 

森の中をのんびり走行出来きるのは良いが、そのうち景色にも飽きてくる。しかし、この道路は約580マイル(約930km)続く。 東京から大阪、広島等を経て山口市まで到達する距離と同じだ。 一日では走破できないので、本日はブルー・リッジ・パークウェイを250km走り、途中のノース・カロライナ州ボーネ(Boone)と言う町に宿泊することにした。

 

投宿はSuper 8 Inn Boone(一泊60米ドル=約6,600円)

(米国のモーテルには朝食時ワッフルを自分で作る機械が置いてある)

 

 

2018/5/22() ボーネ~バージニア州・ベッドフォード(Bedford) 324km

 

ボーネの町から10km程走り、昨日の延長のブルー・リッジ・パークウェイに入った。車はほとんど走っていないので、気持ちが良いスタートだ。

 

走り出して1時間後には、雲行が怪しくなった。雨具を着こむと直ぐに雨が降って来た。雨は10km程進むと止んだり、小雨になったりの繰り返しだ。

山の天気は変わりやすい。 晴天になっても、また雨になる可能性があるのでしばらくは雨具を身に着けたまま走行した。

 

昨日よりなだらか道路で、森林や牧草地の中を通るルートだ。 このルート沿いは国立公園のため民家は無いが、20世紀半ばまでは民家があったという。かって住人がいた家は空き家の状態で保存されて、どのような人が住んでいたか案内板に説明書きがあった。

(105歳まで長生きした女性が住んでいたという公園内の家)

 

 

本日の宿泊地のバージニア州ベッドフォード(Bedford)の町へ到着するまでに4回~5回見晴らし所で休憩した。休憩した場所で3回~4回他の観光客と立ち話をした。当方がバイクで世界一周の途中というと皆驚く。当方と一緒に記念写真を撮りたいという人もいた。そのような人たちは自分たちもいつかは世界一周の旅をしてみたいと言う。 

 

当方のオートバイは800ccの水冷2気筒エンジンを搭載している。時速100km前後の走行でガソリン1リットル当たり25km走行可能だが、時速60km70kmでのんびり走ると1リットル当たり28kmまで走行距離が伸びた。ガソリンタンク満タン(16L)450km走行できる計算だ。 ガソリンスタンドが無い山道でもガス欠を心配する必要があまりない。

 

投宿はDays Inn Bedford(一泊朝食付き54ドル=約6千円)

 

(1990年製のホンダのゴールドウィングでツーリングをする夫婦)

(航空機の機体技術を使ったという1970年代のキャンピングカー)

 

2018/5/23() ベッドフォード~ヴァージニア州・フロントロイヤル(Front Royal) 328km

  

ブルー・リッジ・パークウェイの最終約200マイル(320km)の距離を走行する。 23日で580マイル(約930km)の山岳道路を完走。 アメリカは道路も食べ物も全てスケールが大きい。 山岳道路を十分堪能したので、しばらくの期間は森林道路はけっこうという気分になった。

(自然と調和するように岩を使ったダム)

 

(公園内のガードレールは木製だ)

 

最後の105マイル(約170km)はシェナンドア(Shenandoah)国立公園内の有料区間だった(オートバイ20米ドル)。 その有料区間だけスカイライン・ドライブと言う名がついた。シェナンドア国立公園は日本語のパンフレッドまで備え付けてあった。

 

山岳道路の終点のフロント・ロイヤル(Front Royal)の町からワシントンDCはでは100km強の距離だ。 この国立公園はワシントンDCから近いため、かってはフーバー大統領夫妻も避暑に滞在したと言う。

(シェナンドア国立公園からワシントンDC方面を見る)

 

フロントロイヤルで宿泊したモーテルの経営者もインド人だった。 中年女性のオーナーは10年前に親戚を頼ってインドから移住してきた。移住当初はインド人経営のモーテルで掃除・洗濯婦として休みなく働き、モーテルの仕事を覚え、10年後にはモーテルの経営者になったと言う。 厳しさに耐えかねて仕事を辞める人が多い中、我慢して仕事を続けたことが成功の鍵だったという。

 

モーテルの近くに中華料理店があった。香港出身の中国人が経営していた。みそ汁がメニューに載っていたので、中華料理とみそ汁を注文して持ち帰りモーテルで食べたが、おいしくなかった。 しかし出前注文の電話がなりっぱなしで繁盛している様子だった。この料理の味では日本では成功しないと思ったが、懐が深いアメリカではやっていけるようだ。

 

投宿はRoyal Inn Motel (62ドル=約6,800円)

(フロント・ロイヤルの町)

 

(投宿したモーテル)