アルバカーキ(ニューメキシコ州)~メンフィス(テネシー州)(2018/5/13~5/17)  | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアを周回ツーリングを行う。

2018/5/13() アルバカーキ~アマリロ(Amarillo) 463km

 

アルバカーキで宿泊したモーテルの管理人もインド人だった。モーテル経営者にインド人が多い理由を聞いたら教えてくれた。第二次大戦途中までは日系人の多くがホテルやモーテルを経営しており、インド人が従業員として働いていた。日系人が敵国人と見なされ収容所に送られる際、従業員のインド人へ経営していたホテルを手放したためインド人の多くがホテル業のオーナーになったと言う。

 

全米にアジア系アメリカ人のホテル経営者連盟(Asian American Hotel Owners Association)の名称の組織があり、19千人の会員がいるという。

 

ニュー・メキシコ州のアルバカーキからテキサス州のアマリロ(Amarillo)を目指した。Amarilloとはスペイン語で「黄色」を意味する言葉で、スペイン語では「アマリージョ」と発音する。同市周辺の川岸の土が黄色だったことに由来すると言う。

 

インターステート40号線(I-40)と呼ばれる高速道路及びインターステート40号線と並走しているルート66(一般道)を走りながら東へと進む。ルート66はカリフォルニア州のサンタ・モニカ(ロス・アンジェルス)~シカゴまでの古き良き時代の道路で、道路沿線にはかっての名残がある町並みがあり、人気があるドライブやツーリングコースだ。

(ルート66=写真右側とインターステーツ40号線=写真左側が並走して東へ向かう)

 

 

(ルート66沿いで見かけたガソリンスタンド)

 

(ルート66沿いのモーテル)

 

 

(ルート66沿いのアマリロ手前のキャデラック・ランチ=キャデラックを土に埋めたアート)

 

アメリカらしいスケールの大きなものを見た。 アマリロ手前のI-40号線沿いは風が強い地域だ。I-4o号線沿いの約50km区間に渡り風力発電の風車が無数設置されているのだ。風車は数千基あると思われる。こんな大規模な風力発電は初めて見た。

(数千基の風力発電機がI-40号線沿いに設置されている。アマリロまで51マイルの道路標識)

 

(数千頭の牛が集められていた)

 

テレビの映像で見たことがあった牛の競売所も初めて見た。 数千頭、いや数万頭かもしれない多くの牛が集められていた。

 

投宿はCamelot Inn(一泊34.50米ドル)

(I-40号線はトラックが多かった)

 

(I-40号と並走する長い貨物列車。列車の貨物コンテナーにはK Line=川崎汽船の文字が見える)

 

2018/5/14() アマリロ(テキサス州)~オクラホマ・シティー(オクラホマ州)464km

 

アマリロはルート66の通る町で、観光名所はいろいろあったと後で知った。

通過するだけの町だったので道路沿いのモーテルで一泊した翌朝には、次の目的地のオクラホマ・シティーへ向かった。

 

インターステート40号線(I-40)を東へ向かえばオクラホマ・シティーまで簡単に到達できるのだが、高速道路のみでは単調で飽きてしまう。

 

オクラホマ・シティーまではルート66と重なり合っているので、ルート66の名所として紹介されているシャムロック(Shamrock)の町の1930年代のデザインで復元されたガソリンスタンドと当時のカフェを再現したU-Drop Inn and Tower Service Stationを訪れた。

 

懐かしの建物を目当てにフランスやアルゼンチン等外国からの見学者も訪れていた。建物内で当時のカフェを再現したカウンターで無料のコーヒーを頂き、ちょっと休憩。当時のカフェは映画「バック・トウー・ザ・フユーチャー」にでてくるようなレトロ調だ。 80歳くらいのアメリカ人のシニアの人たちも当時を懐かしがって建物を訪れていた。

(ルート66号沿いの道路脇の看板)

 

(シャムロックの町のU-Drop Inn and Tower Service Satation)

(U-Drop Inn and Tower Service Station内のカフェ。ナウンター内の女性はマネキン人形)

 

更に先に進んだクリントン(Clinton)の町ではルート66博物館(Route 66 Museum)を見学。ルート66は中西部のシカゴからカリフォルニア州のサンタ・モニカ(ロスアンジェルス)までつながる約4,000km弱のハイウェイだった。ハイウェイといっても対面通行の国道と言ったイメージだ。1920年代に本格的な工事が始まり、モータリゼーションの普及とともに街道は賑わったが、インターステートの高速道路網が完備されるに従いすたれてしまった。 だから英語では「Historic Route 66](懐かしのルート66とでも言う)と呼ばれている。

(ルート66=赤線は地図上で黄色の8つの州=イリノイ州、ミズリー州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、カリフォルニア州を通る)

 

 

ルート66博物館には1920年代からの車を中心とした社会の発展記録の写真や映画及び当時の車が展示されている。 1920年代末の大恐慌後の荒んだアメリカの生活や車でカリフォルニアへ向かう移民家族等印象深い写真が多く展示してあった。 この博物館は一見の価値あり(入場料は7ドル)。

(1920年代の道路は未舗装も多かった)

 

(大恐慌で貧困生活を強いられる家族の写真)

 


(西部へ向かう移民一家)

 

因みに1920年のアメリカ人の平均年収は1,236ドルあり、その当時フォード自動車のRunaboutという量産モデルの価格は265ドルだったそうだ。年収の1/5で自動車が買えたということだ。また、23ベッドルームの家は2,5003,000ドルの価格だったというから平均的なアメリカ人は家も車も買うには困らなかったようだ。

 

オクラホマ州に入ると高速道路周囲の景色が変わった。地平線のかなたまで続く野原、牧草地は緑に覆われていた。樹木も緑の広葉樹だ。メキシコから続いていた乾燥地帯はどうやら終わったようだ。

 

オクラホマ・シティーでも中心地から5km程離れた主要道路に面したモーテルに宿泊。

 

投宿はSuper 8 by Wyndham Oklahoma Fairground(一泊38ドル)

(アマリロ~オクラホマシティー途中の緑の草と広葉樹が広がるI-40号線沿いの景色)

 

2018/5/15() オクラホマ・シティー~リトルロック(アーカンソー州)547km

 

オクラホマ・シティーに延泊するかどうか朝まで迷っていたが、西の方から天気が悪くなる気配だったので、天気が良い東方向へ進むことにした。

 

本日の目的地はオクラホマ州の東隣りのアーカンソー州の州都リトルロックだ。クリントン元大統領は同州出身で、大領領になる前には州知事をしていた場所だ。

 

インターステーツI-40の高速道路に乗り、東に進む。 車の流れにのると制限時速70マイル(113km)の区間だが、オートバイのスピードメーターでは約120kmと高速走行だ。中南米では車重がありすぎて、扱い難いと感じたオートバイもアメリカの高速道路では威力を発揮する。

 

インターステーツの高速道路の舗装面は通常のハイウェイ(日本の一般国道)より良いので、長時間の運転でもあまり疲れない。 オクラホマ・シティーから200km位東に進むと周囲の景色は広葉樹が茂った緑の風景になる。日本の景色と変わらない。そういえば、昨夜オクラホマシティーでは雷雨があったが、ここまで東に来ると降雨がある温帯気候になっている。

(I-40号沿いの景色。東へ進むに従い、緑がより濃くなった)

 

インターステーツの高速道路には200km毎くらいしか休憩所が無い。休憩したい場合は、高速道路を一旦出てガソリンスタンド併設のコンビニやカフェ等でする。

 

アンカーソー州に入ると高速道路脇の雑草が伸びた土手に大きなビニール袋に入ったゴミが捨ててあるのが目立つ。しかも100200mの間隔で数キロにわたり捨ててあった。 土手の雑草がしっかり刈り取られて整備された他の区間ではゴミはなかったのだが。。

(I-40号沿いの土手にはこのように100m~200m間隔でおおきなゴミ袋が捨ててあった)

 

リトルロック手前の高速道路で前方が雨で見えなくなるぐらいの豪雨に会ったが、16:30には予約していたリトルロック郊外のモーテルに到着。

 

投宿はExtended Stay America Little Rock(一泊46ドル) 

 

2018/5/16(水リトルロック2泊目 クリントン大統領センター等見学

 

3日間で約1,500km走ったため、本日は休息を兼ねてのんびりとリトル・ロック市内のクリントン大統領センターとリトルロック・セントラル・ハイスクール記念館を見学した。

 

クリントン元大統領は若き日にケネディー大統領に感銘を受け、政治家を志したと聞いたことがことがあった。 32歳にして史上最年少のアーカンソー州知事となり、州知事を5期歴任後、42代のアメリカ大統領となった。 

 

華麗な経歴だが、実父はクリントン元大統領が生まれる前に交通事故で死亡して、母親が再婚した義父はアル中で、義父から暴力を振るわれる等の不遇の少年時代もあったという。

 

クリントン大統領センターには元大統領の成果がビデオやパネルで説明してある。一番の成果は経済再建だろう。大統領就任前の1992年のアメリカの財政赤字は2,900億ドル(約32兆円)にのぼり、貿易赤字と財政赤字の2つの赤字で低迷する経済に苦しんでいた。 

 

就任当初から財政健全化を目指し、1998年には1969年以来初めて財政を黒字化させた。 大統領就任期間中に2,300万の雇用を生み出し(月平均238,000新規雇用が生まれた計算)、トランプ大統領が問題視しているNAFTA(カナダ・アメリカ・メキシコの自由貿易協定)の合意を取り付け米国の経済成長に貢献した。

 

まさに故郷に錦を飾り、大統領の偉業を誇示する博物館まで作りあげてしまった。

だたし、訪問者数は多くなかった。誰が同館の運営費用を賄っているのだろう。

(クリントン大統領センター)

 

(クリントン大統領センター内のホワイトハウスのオバールオフィース=大統領執務室のレプリカ)

 

(クリントン大統領センター内から見るリトルロックの中心部)

 

リトルロックの名前を全米に知らしめた事件が1957年に起きた。それまでは白人専用だった公立高校に黒人生徒9名が入学してきた。 もともと保守的な南部では当時黒人への差別が平然とまかり通っていた。 白人住民が黒人生徒の通学を阻止しようと猛烈な嫌がらせを行ったため、黒人生徒の通学を守るべく連邦政府の空挺部隊まで投入されたリトルロック・セントラル・ハイスクール事件だ。 

 

この事件をきっかけに全米で黒人への差別をなくす公民権運動が始まっている。今でも、このハイスクールは存続する。

(白人女性から罵声を浴びながら通学する黒人女生徒)

 

(リトルロック・セントラル・ハイスクール)

 

(リトルロックの閑静な住宅街は森林の中の別荘地のようだ)

 

2018/5/17() リトル・ロック~メンフィス(テネシー州)292km

 

前夜は夜通し雷を伴い雨が降っていたが、朝には止んでいた。この辺りは、晴れると日本の真夏の様に気温があがるので積乱雲が発生しやすい。そのため午後あるいは夕刻には強い夕立がなるようだ。

 

天気予報では目的地のメンフィスまで晴天が持続しそうだったが、リトルロックからインターステートI-40号線を東へ80kmも進まないうちに雲行が怪しくなってきた。 高速道路の路肩で雨具を身に着け、すこし走り出すと土砂降の雨が降り出した。雨と車がかき上げる水煙で前方の視界が悪い。ハザードランプを点滅させながら走るが車の流れは時速100km程度とあまり落ちていない。 

 

インターステーツの高速道路を1,500km以上走ってきた。真っすぐで単調な道路だ。加えて、トラックが多く、流れにのるためスピードも出さなくてはならぬ。

 

もっとゆっくり走りツーリングを楽しみたいと思い、メンフィスの町ではまずAAA(全米自動車連盟)の事務所に立ち寄り、メンフィスからワシントンDCまでのツーリングに適したルートのアドバイスと地図を求めた。 

 

アラバマ州からノースカロライナ州を経てヴァージニア州に抜けワシントンDC手前まで伸びるBlue Ridge と言う約500マイル(約800km)の距離に及ぶ山岳道路ルートを紹介してもらった。 今夜はAAAで入手した州別地図とにらめっこしながらこれからの走行ルートを確認せねばならない。

 

投宿は Super 7 Inn Memphis(素泊まり55米ドル=約6千円)

(メンフィス市内の高速道路道立体交差の路橋げたの下で雷雨を避ける)