4/20(金)メキシコ・シティー8泊目 旧市街中心部ソカロ地区の見物
メキシコシティー旧市街のソカロ広場周辺にはまだ行っていなかった。
ソカロ広場周辺はスペイン植民地以前はアステカ帝国の首都テノチティトランの中心部で宮殿があった場所だ。
(ソカロ広場とカテドラル)
メキシコ独立当初の議会や政府が置かれた国立宮殿(Palacio Nacional)には著名な画家ディエゴ・リベラがメキシコの歴史を描いた巨大な壁絵がある。この壁絵を見たかった。 一昨年前のメキシコ地震で傷んだため足場を組み修復中であったが、よくこんな巨大な壁絵を描いたと感心する。
(ソカロ広場に面する国立宮殿)
(ディエゴ・リベラ作「メキシコの歴史」の壁絵、国立宮殿)
(ディエゴ・リベラ作「大テノチトラン」=アステカ帝国の首都、国立宮殿内の壁絵)
キリスト教を布教するために描いたカトリック教会の祭壇画のように、当時は文盲の人が多いため壁絵通して歴史を教えたのだろう。
ディエゴ・リベラの壁絵は文部省(Secretaria de Educacion Publica)の中庭沿いの壁にも20作位の作品が残されている。無料で観覧できる。
ソカロ広場周辺にはカテドラルや政府系の建物を含め歴史的建物が多い。旧宗主国スペインのマドリッド旧市街に引けを取らないくらい偉容を誇る建物が多い。スペインはメキシコを当時は新スペイン(Nueva Espana)と呼び植民活動に力を入れたのが容易に想像できる。
現在のメキシコ人は侵略者だったスペインのことをどのように思っているのであろうか。単に遠い過去の歴史的出来事としか思っていないのか、恨みはないのか等疑問が湧く。
日本人宿での滞在は今回で3回目だ。メキシコ・シティーに仕事、勉強で長期滞在している人、バックパッカーとして長期、短期で旅をする人等様々な人たちが滞在している。夕食後歓談していると日本へ一時帰国したような気分になる。
日本で国際運転免許証の更新後、新しい免許証をDHL(国際宅急便)にて本日受け取った。日本から木曜に発送して、翌日のメキシコ時間金曜日には到着した。早かった。メキシコシティーから旧運転免許証を日本へ発送した際は日本での配達まで4営業日費やした。
4/21(土)メキシコ・シティー9泊目 洗濯等・アメリカのルート検討
宿が賑わってきた。数名の宿泊者が毎日入れ替わる忙しさだ。数名の長期滞在者を除けば短期の旅行者だ。現在20名ほどが滞在中だ。
メキシコ・シティー以降のツーリングに備えて、汗まみれになったライディング・ジャケットやライディングパンツをはじめ、ためておいた洗濯物を宿の洗濯機で一気に洗う。洗濯機が借りれるのはホスタルのメリットだ。
乾燥した気候のため、洗濯後の衣服も2~3時間で乾く。その代わり肌は乾燥した空気のためカサカサになる。街歩きに使うスニーカーも洗った。一年使っているとだいぶ外見も疲れて見える。洗っても靴の中に嫌なにおいが残る。
靴が乾く夕方まで外出ができないので、インターネットを使いアメリカのアリゾナ州のフェニックスから中西部を通過してニューヨークがある東海岸までのツーリングルートの情報を探す。しかし、アメリカの土地勘が無いので通過する都市と観光名所等のルートが結べない。アメリカ東海岸からカナダを経由してアラスカまで行くことも視野に入れているが、アメリカやカナダのガイドブックや道路地図を入手するまで本格的なルート検討は難しいと諦める。
メキシコ・シティーに日本の牛丼の「すき屋」があると聞いた。夕食に牛丼が食べたいと思い宿から徒歩10分程度のアラメダ公園横のショッピングモール内のフードコートにある「すき屋」を見つけた。メニューはいろいろあるが、迷わず「牛丼」大盛りを注文。64ペソだ(約380円)。 具は日本より多く、味も日本と比較して遜色ない。
4/22(日) 最後の美術館、博物館巡り
日曜日の美術館入場料は無料だ。この機会にチェプルテペック公園(Bosque Chapultepec)内にあるルフィーノ・タマヨ(Rufino Tamayo)美術館とチャプルテペック城 (Castillo de Chapultepec)へ足を運んだ。
ルフィーノ・タマヨ(1899~1991)は先住民系の近代画家だった。人間性重視の画法だと説明書きがあったが良くわからない。 ただし、想像を掻き立てる絵画だった。
(「大宇宙」 1978年 Rufino Tamayo作)
この一帯は森のような大木の樹木が生えている公園になっているで日曜日には、犬を連れて散歩する人、家族で散歩する人等休日を公園でゆっくり楽しむ人が多い。
チャプルテペック城(Castillo de Chapultepec)には一時メキシコ皇帝(1864~1867)としてフランスにより担ぎ出されたオーストリアの王家マクシミリアン家出身のフェルナンド・マクシミリアンが居住した館でもあった。
(チャプルテペック城=国立歴史博物館)
フランス(ナポレオン三世)はアメリカが南北戦争の混乱中にメキシコへの影響力を強めようとした。しかし、その後アメリカからの圧力と欧州でのプロイセン台頭への対応等のためメキシコから手を引いた。
フランスの後ろ盾を失ったメキシコ皇帝=メキシコの王党派は内戦で共和制を望む共和派に敗れ、フェルナンド・マクシミリアン皇帝は処刑された。
この館は国立歴史博物館にもなっており、スペイン植民時時代の絵画、メキシコ独立前後やその後の政治改革等の歴史上の主な出来事を判り易く解説している。また、高台に建つ館から公園を隔てたメキシコ・シティーの眺望も良く、市民や観光客の人気が高い。
(スペイン人の生贄 19世紀 国立歴史博物館)
(カトリックの洗礼を受ける高貴な先住民とエルナン・コルテス 国立歴史博物館)
(チャプルテペック城からレフォルマ通り方向を見る)
日曜日は午後5時からアリーナ・メキシコでプロレス(ルチャ・リブレ)がある。
2回目の観戦だったが、日本人宿に同宿中の人たちと観戦に出かける。新日本プロレスの若武者Kawatoがまた出場していた。
アリーナ・メキシコでは火曜日(19:30~)、金曜日(20:30~)と日曜日(17:00~)と週三回プロレスが開催され、女子プロの試合も行われている。日本の女子プロの選手もここで試合をしている。
4/23(月) メキシコ・シティー~ケレタロ 207km
(メキシコ中部の地図 赤線は走行した道路、点線は走行予定)
新しい国際免許証を受け取ったので、メキシコ・シティーに長居する理由が無くなった。メキシコ・シティーで10連泊した日本人宿は居心地が良かった。 日本へ一時帰国したような気分になり、休養もとれた。
ケレタロ州には日本企業が多く進出している。 ケレタロ市の日系企業にこれから向かうアメリカとカナダの旅行書を留守宅から郵送してあり、それを受け取るためケレッタロへ向かった。
ケレタロへ向かう道路は全て高速道路を使った。貨物トレーラーが多く、交通量が多い区間でもある。この区間は日本の東名高速道路沿線の様に比較的小都市が多く点在しており、メキシコでも人口密度が高い地域だろう。
(メキシコシティーからケレタロへ向かう高速道路)
(ケレタロへ向かう途中に寄ったドライブインの女性従業員は話し好きだった)
ケレタロ市は人口80万人強の州都であり、旧市街は歴史的建物を多く保存している。町並みは奇麗だった。 ここにも牛丼の「すき屋」があった。宿から徒歩30分の道を途中の店には見向きもせず「すき屋」を探した。 日頃は食事にこだわらないと自認しているが、やはり日本食に飢えていた。 牛丼大盛りを宿に持ち帰った。メキシコ人にはラーメンが一番の人気メニューだという。
投宿はHotel RJ Queretaro(一泊520ペソ=約3,300円)
(ケレタロ市のすき家)
4/24(火)ケレタロ2泊目
ケレタロには大きな教会が多いが、町が出来た当初の住人は先住民(インディヘナ)がほとんどだった。そのためカテドラルは20世紀初頭まで無かったという。 カテドラルは通常その地域で一番大きな建物だが、ケレタロのカテドラルは小さかった。既に歴史がある大きな教会が複数あったので、今更大きな建物にする必要が無かったのだろう。
当方はあらたな町や都市に寄ると、ツーリングの無事を祈願するためカテドラルを訪問することにしている。
(旧市街 道路奥にサンタロサ教会の塔が見える)
(内装が豪華なサンタロサ教会)
(金箔のサンタロサ教会の内部)
当地に進出の日系商社の駐在員から自動車関連のメキシコ進出の日系メーカーの動向を聞く機会を得た。
トランプ米大統領就任以来メキシコへ進出する日系企業の数は一時の勢いを無くしているようだ。
日系自動車関連メーカーはトランプ大統領が公言したNAFTA(北米自由貿易協定)の見直しを含む対メキシコ政策の不透明感(見直しされれば、メキシコからアメリカへの輸出に影響が生じるが)より、アメリカ国内の消費動向を気にしているという。
アメリカ国内での自動車の販売台数(2017年は1,700万台強)に陰りが見え始めているため、日系メーカーの設備投資にブレーキがかかり始めているという。多くの日系メーカーは超大国アメリカの存在を無くしてメキシコでの事業は成り立たないようだ。
(中南米最大規模のANTEAモールがケレタロ市の郊外にある)
4/25(水)ケレタロ~グアナフアト(Guanajuato) 164km
乾季が続いているため、メキシコシティー滞在後半にスコール会って以来ずっと晴天だ。
ケレタロから約50km進んだ高速道路沿いにアミスタ(スペイン語で友情の意味)と言う名の工業団地(Parque Industrial AMISTAD)を見つけた。
工業団地入口の守衛に許可をもらい工業団地内を見て回った。83ヘクタールの敷地内に5ヶ国(日本、米国、ドイツ、フランス、トルコ)の23社が工場や倉庫を置いている。日系企業が一番多いようだ。八千代工業、ヨロズ、ユタカ、メタルワン、BSオートモーティブプロダクト、NYKロジスティック等が操業している。
(アミスタ工業団地の入口)
(工業団地内の日系自動車部品メーカーの工場)
この地域の先にはデンソー、曙ブレーキ、ショーワ、日本ペイント等が進出している大きな工業団地プエルト・インテリオール(Puerto Interior)もある。 このあたりにはトヨタが工場を建設中だ。 自動車産業は裾野が広い。 トヨタ等の自動車メーカーが海外に工場を建設するとサプライチェーンに組み込まれている部品メーカー等も海外に進出する。 進出先の国では雇用や税収等経済的な恩恵を受けるので外資様々だ。
高速道路沿いは広い農地が展開している。黄金色の小麦畑、作付けが始まったばかりのトウモロコシ畑、ハウス栽培のアスパラバス畑等農業も盛んなようだ。
(高速道路沿いの小麦畑)
(アスパラガスの路地とハウス栽培)
本日の走行距離は160km強と短いため、12時台にはグアナフアト(Guanajuato)のホテルに到着する。 グアナフアト市はグアナフアト州の州都で谷間を囲む丘陵に展開する色とりどりの家並みはメキシコで一番美しい町ともいわれ、世界遺産にも登録されている。
石畳の道路は狭く迷路のように入り組んでいる。町の地形に高低差があるため、坂道や暗くて狭いトンネルも多くバイクでも走行し難い町だ。
投宿はHotel Camino de Villaseca(一泊649ペソ=約3,900円)
(谷と丘に広がるグアナフアト市)
(ピリリ記念像の丘から下る狭い階段道)
(ラ・パス広場とバシリカ教会)
4/26 (木) グアナフアト2泊目 観光ツアー
朝一番に他のホテルへ移った。 もともと宿泊しようと思っていたホテルだったが、ホテル敷地内に駐車場があるかどうか確認できなかったため、初日は駐車場の有無が確認できたホテルへ宿泊しただけだった。
移った先のホテルの名前がスペインのセルバンテス作ドン・キホーテの書き出しと同じ「ラ・マンチャのある場所=un lugar de la mancha」だったので気に入った。
(ちょっと城のようなHotel un lugar de la mancha)
グアナフアトは鉱山の町でもあるので、鉱山見学が可能と聞いていた。ホテルで鉱山見学を含む観光ツアーを申込み、12人乗りのミニ観光バスに乗り込んだ。
運転手がガイド役で運転中にあれやこれやと説明しれくれるのだが、走行中の石畳の揺れが気持ちよく寝入ってしまった。 前日に市内中心部は見て回ったのでツアーバスでの市内観光にはあまり興味が無かった。
早く鉱山へ行ってほしいと思っていても、なかなか進まない。運転手に鉱山見学はいつ行くかと聞くと、数ケ所の博物館を回った最後に行くという。
ホテルで申し込んだ際には2時間~3時間のミニ観光で13:30には終了するとホテル従業員から説明を受けたが、運転手はツアーは16時までかかるという。 しかし、他の参加者も博物館見学より鉱山見学を希望していた。運転手は参加者の意向をくみ、博物館見学を止め、鉱山見学へと一気に進む。 このあたりはメキシコ的だ。
(ミイラ博物館=埋葬すると乾燥した地質のためミイラ化する。墓地から掘り起こした死体数十体を並べていた。見ていると気分が悪くなった。)
鉱山見学は期待以下で正直がっかりした。 結婚式パーティー等のイベント会場を兼ねる鉱山跡の建物から地下へもぐる洞窟内の階段を25m下った場所にあった20畳くらいの広さの地下空間で5分程度ガイドから説明を受けたのみであった。
ボリビアのポトシ鉱山やチリの露天掘り銅山の見学に比較したらこどもだましの見学だった。
投宿はHotel un lugar de la mancha (400ペソ=約2,400円)
(鉱山の入口)


























