ブラジル入国~グアラプアヴバ~クリティバ~サンパウロ(2017/11/5~9)1,050km | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。


11/5(日)プエルト・イグアス市(アルゼンチン)~ブラジル入国~パナラ州・グアラプアバ市

 (Guarapuava)390km

 

アルゼンチンからブラジルへの国境越えだ。アルゼンチンのプエルト・イグアスは国境の町。町から出れば直ぐ出国の検問所がある。アルゼンチンの出国検査は順番待ちも含めて10分から15分で終了。川が国境(中立地帯)となっている。


 

ブラジルの入国もいたって簡単だ。入国ゲートはあるがゲートには誰もおらず検問らしき荷物検査もバイクの検査も無い。自ら入国管理事務所に赴いてパスポートに入国スタンプを押してもらうのみ。入国手続きが分からなかったら、バイクでそのまま通過してしまいそうな場所である。

 

パスポートに入国スタンプを押してもらった後、別の事務所で車両の一時輸入証明の書類を作成してもらう。この書類が無いとブラジルから出国する際トラブルになる。念のため持参のカルネにもスタンプを押してもらう。

(アルゼンチンとブラジルの間の中立地帯。この先にブラジルの入国検問所がある)

 

ブラジルの道路及び街並みはアルゼンチン側より立派に見える。近年の経済発展のおかげだろう。国境から東へ約400km弱に位置するパナラ州のグアラプアバ(Guarapuava)と言う町が本日の宿泊地だ。

 

ブラジル側の道路沿いの景色は起伏がある畑となっている。作付けしてある野菜は大豆のようだ。まだ10cm程度に生育した位だが、赤茶色の土地に大豆の緑色の葉が映えている。長くかけて森林を切り開き開墾した畑だろう。

 

道路沿いに点在する民家の庭先には直径3m程度のパラボラアンテナが設置されている。民家の構えも立派だ。

道路は全て有料道路となっている。約400km区間にか所の料金所があった。道路料金は合計約30レアル(約千円)。

 

このルートはパラグアイの首都アスンシオンからサンパウロへ行くルートにあたる。交通量も比較的多い。前半の約150km区間は直線ながらアップダウンの連続だ。後半200km強の距離は緩やかなカーブとアップダウンの連続だ。ワインディングロードなのでライダーには比較的面白い道路だ。


 

400kmも走ると天気も変わる。ブラジルへ入国した際は晴天であったが、グアラプアバに到着する手前からは

雷雲が発生して激しい夕立に襲われた。

 

宿泊はAdria Hotel 一泊103.5レアル=約3,700円)

 

(写真では確認しずらいがかなり起伏がある道路)

 

(米国の穀物メジャー・カーギルの穀物サイロ。敷地内には専用の貨物の引込線もある)

 

(グアラプエバで投宿したホテル=写真奥左側の建物。日曜日のため

通りは閑散)

 

1/6 (月)グアラプエバ市~パラナ州・クリティバ市 254km

 

前夜投宿したホテルはインターネットの接続がめったにないぐらい良好だった。この機会にとばかり、

朝からブログの更新。インターネットの接続が良いと写真をブログにスムーズにアップロード出来る。

ブログ更新に午後12時近くまでかかり、その後次の投宿予定地のパラナ州・クリティバ市(Curitiba)へ向かう。

 

この地域は起伏に富んでいる土地だ。アルゼンチンは平坦な土地だが、ブラジルのこの一帯は

小高い山や丘が連続して続いている。農地が少ない。

道路沿いにある畑はそれほど大きくない。それでも道路脇の農地で5名~6名の集団が畑で玉ねぎの収穫をしているのを見かけた。手作業での収穫だ。

(丘陵地の玉ねぎ畑。収穫は手作業)

(道路脇に稀に畑がある)

(森林地帯を通る道路。起伏とカーブが多い道路)

 

クリティバ市へ到着したのは19:00過ぎとなった。クリティバ市はコンクリートのビル群が立ち並ぶ百万人規模の都市だ。

 

予約していたホテルの場所を探すため、横断歩道に少しはみ出して

バイクを道路脇に駐車した。駐車して5分も経過しない内に、白バイに乗った武装警警察官4名が<バイクを横断歩道に止めてはならない>と注意しにホテル前にやってきた。

 

ブラジルで気づいたことは、ブラジル人は交通マナーが比較的良いことだ。制限速度を守る。ジグザク運転しない。警察の取り締まりが厳しいのだろう。法律が守られていることは国を評価するうえでポジティブだ。

 

地方都市の商店街の店じまいは20時と早い。食料品を買い求めて20時以降に商店街へ出たが、ほとんどの店は営業時間を終了したあとであった。

 

宿泊したホテルはHotel Lavenue(一泊115レアル=約4千円)

 

11/7(火)クリティバ市~サンパウロ市 407km

 

クリティバには一泊したのみで先を急ぐことにした。投宿したホテルの近所で軽食店を経営する日系3世のクスド氏と話しているうちに出発が遅くなってしまった。

 

クスド氏は37歳。11年間日本の岡崎市で働いたことがあり日本に親しみを感じている。来日当初は日本語ができなかったが、働きながら日本語を習得。ブラジルへ帰国後、軽食店を経営している。経営も軌道に乗ってきた様子。同氏は<日本は給与が高く、また安全なのでよかった>と日本を懐かしんでいた。現在は店に従業員を5名雇って繁盛している様子。

(クスド氏と同氏経営の軽食店)

 

旅行のガイドブック<地球の歩き方>でクリティバ市をブラジリアに次ぐ計画都市と紹介している。

市内の中心部は立派だが、夜になると商店街のシャッターは落書きだらけで危ない雰囲気が漂う。


(クリティバ市内中心部の歩行者専用通りの商店街)

 

本日の走行距離は400km強とさほど長くないがサンパウロ到着までに時間がかかった。

本日の走行ルートも起伏に富んだ丘陵やなだらかな山の裾野を通る曲がりくねった道路だった。

日本の景色と似ているような感じがする。

制限速度が時速100~110kmとなっているが、ルート全区間で制限速度での走行は難しく、制限速度以下のスピートとなってしまった。そのため、サンパウロに到着するまで約8時間もかかった。

(途中休憩した道路脇の食堂)

(道路脇に一軒家)


(亜熱帯色が出てきた道路景色)
 

サンパウロは大都会だ。サンパウロ約40km手前で交通渋滞が生じていた。車の数が多すぎるのだろう。道路網は複雑だ。カーナビに頼っても道を間違えてしまう。

 

投宿したホテルはDomus Hotel(130レアル=約4,500円)

 

11/8 (水)サンパウロ市滞在1日目 オートバイのタイヤ交換

 

ブラジル入りしてから安全対策として宿泊は3つ星ホテルにアップグレードした。前夜宿泊したホテルは市内中心部に立地していたが、ホテル周囲の環境は良くない。廃墟のようなビルも混在する場所だ。おまけにWiFi(インターネット)の接続が悪い。駐車場も狭くて他の車が入出庫する際にはバイクを移動させなければならない等不便だったので、条件の良いホテルに移った。


 

ブラジル人は親切だ。新しいホテルへ移動するのにカーナビが上手く作動せず道路で立ち止まっていると自転車に乗った男が声をかけてくれた。当方が<ホテルが立地する通りを探している>と言うと、その男は自転車に乗って誘導してくれた。

 

サンパウロでバイクの後輪タイヤを未舗装の道路も考慮してオフロードでも走行できるオン・オフ対応タイプに交換することを考えていた。まず、BMWディーラーを訪問した。店舗は大きかったが、タイヤ交換はしていないという。

 

当方が<日本から来た>というと店舗正面で当方のバイクに大きなブラジル国旗をかざして記念撮影をしてくれる。<ブラジル国旗を記念に持っていけ>と当方へ国旗を譲ってくれる。そこではタイヤ交換の専門業者をタイヤ価格まで調べて紹介してくれた。

(BMWディーラーの前で愛車F700GS。このブラジル国旗をもらった)

 

タイヤ交換は紹介された専門業者で行った。自動車のタイヤ交換が主だが、バイクも手掛けている。交換したタイヤはドイツのメッツラー社製のTouranceと言うタイプで、タイヤ価格は589レアル(約2.06万円)、工賃70レアル(約2.5千円)で合計659レアル(約2.3万円)。問題なくタイヤ交換してくれるか多少の不安を持っていたので、当方は終始バイクの横でメカニックがタイヤ交換する作業を観察していた。

 

サンパウロ市内の主要道路の交通渋滞はひどい。車の運転マナーは良いが、バイクライダーはマナーが悪い。バイク宅急便やバイク通勤者等は渋滞でのろのろ運転の車と車の隙間を猛スピードですり抜ける。見ていて非常に危なっかしい。

 

BMWディーラーでもサンパウロやリオデジャネイロでのバイク盗難には注意するように警告された。盗難バイクの闇市場がありBMWのバイクは狙われやすいというのだ。典型的な盗難手口は二人乗りのバイクが後方から近寄り、交差等で停車した時にバイクを奪われるとのことだ。

 

当方は盗難対策としてBMWのマークをシールで隠した。

 

宿泊ホテルはHotel Grand Barao(一泊142リアル=約5千円)

(BMWのエンブレムはシールで隠した)

 

(11/9(木)サンパウロ滞在2日目 証券取引所見学と市内観光

 

サンパウロ証券取引所が見学できると取引所のインターネットサイトに掲示してあった。事前の申し込みも無く訪問したが、見学をさせてくれた。見学と言っても最初に3D画像で取引所の歴史を10分程度見た後、旧取引立会場のフロアーに入った程度であった。

 

サンパウロに証券取引所ができたのは1890年。現在は約400社が上場されている。ブラジルは大豆、砂糖等の農産物や鉄鉱石等の天然資源の産出国であることは知られているが、自動車や飛行機等の工業製品の生産大国でもあり、工業製品も輸出している。

(サンパウロ証券取引所)

(取引所内の旧取引立会場)

 

車の生産国とあって通りを走っている車は新車が多い。アルゼンチンでは古い車を乗りつぶすまで使っているような状況だったが、ブラジルは違うようだ。少なくともお金が回っている。

 

他方サンパウロの町には昼と夜の顔がある。夜になるとどこからともなくホールレスの人々が建物の陰に集まる。約50m間隔でホームレスの人々がいる通りも見かけた。昼間になるとその人たちはいなくなる。広場ではアスファルトの上にそのまま横たわっている人たちも見かける。雨が降って濡れていても動かない。ショッキングな光景だ。

(セー広場のホームレス)

 

一昨日夕食を大衆食堂で食べているときにボリビア人の慈善運動の宗教家と話す機会を得た。ホームレスの人たちを支援しているとのことだ。ホームレスの人たちの割はアルコール中毒だという。

 

経済状況を聞くためサンパウロ商工会議所を訪れた。アポイントなしの飛び込み訪問であったがエコノミストに通され、ブラジル経済の資料を頂いた。ただし、商工会議所のエコノミストの役割は経済状況を語るというより、鉄道、港湾等のインフラ投資をしてくれる外国企業の誘致が主な仕事だった。同エコノミストは当方が直接投資に関心あると勘違いして対応してくれたようだ。


(商工会議所の受付嬢は日系三世だった)

 

日本人街にも足を延ばしてみた。市内中心部から徒歩圏内にある。日本人街の入口には鳥居がたっている。通りの街灯は日本のちょうちんをイメージした形だ。日本の商店街のように小売店が続く。おむすびも販売している。

(日本人街入口の鳥居。鳥居の手前は大阪橋)

 

仏具店もあった。仏具はブラジルで製造しているとのことだった。仏具店で働く中年の日系2世の女性は10年間浜松市に住んでいたことがあるという。その女性はサンパウロに戻ってきて、治安、インフラ等の生活環境が日本より遅れているので我慢を強いられていると日本の生活を懐かしがっていた。

 

日本人街であった若い日系人の男は<サッカーの道>と日本語が書かれたTシャツを自慢げに着ていた。<日本へ行ったことがある。日本は良かった>と言っていた。

(サンパウロ市役所横から撮影したサンパウロの中心部。)

(市内中心部の南国調のレプブリカ広場)

(市内の中心部の通り。アフロヘアーの女性も多く見かける)

(フレッシュジュースが豊富な街角の喫茶店)

 

(無法地帯のような落書きだらけの市内中心部の建物)


(市内を白自転車でパトロールする防弾チョッキ着用の警察官。)