10/26 (木)ブエノスアイレス滞在10日目 路上でバスに衝突される
ブラジルビザが入手できた。ビザ申請後3日後にビザを取りに来るようにと申請日に言われていたが、ビザが受け取れるまで約束通りの期日にできるか不安であった。
(ブラジル領事館が入居するビル)
(ブラジル領事館近くの花屋)
滞在しているホテルからブラジル領事館までは約2kmの距離がある。相談の際と申請の時は徒歩で領事館まで行ったが、今日は地下鉄C線に乗っていった。
地下鉄C線の車両はどことなく東京の地下鉄に似ている。車両内をよく見ると<日本車輌 昭和57年>と車両の端に刻印を記したエンブレムが鋲止めされていた。
日本で使われた中古の車両がブエノスアイレスで活躍しているのではないか。 日本では車両内に吊り輪があるのは当たり前だが、欧州ではほとんど見かけない。日本の車両は混雑を前提に設計してあるのだろう。
(地下鉄C線の車両)
(地下鉄C線の日本で使用されていた車両。つり革がある)
(地下鉄C線車両内の日本車輌 昭和57年の刻印が記されているエンブレム)
南米大陸をバイクで走るに当たって、ダート道(未舗装の道路)を考慮してオフロード用のブロックタイヤを装着すべきか迷っている。
マドリッドで前輪は舗装用のノーマルタイヤに交換したばかりだが、ノーマルタイヤを装備している後輪は交換するタイミングが近づいている。
タイヤ交換の相談のためバイク部品専門店を訪れた。そこではドイツのメツラー製の140/70 - 17サイズのTourance Enduro 3のタイヤは現金で2,866ペソ(約1.86万円)だという(クレジットカードでは3,582ペソ=約2.33万円)。
同店のオーナーにブラジルならもっと安い価格でタイヤを入手できると聞き、ブラジルでタイヤ交換を検討することにする。
そのバイク用品店で、メルコスール加盟南米6か国(アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア6か国の関税同盟)のバイクの盗難保険に加入できるという現地保険会社のポスターを見つけた。
(バイク用品店では金網越しのカウンターで接客する)
オーナーから同店にて保険加入可能だが、保険をかけるバイクを持って来いという。既に夕方の時間になっていた。ナポリでバイク盗難を経験したため、翌日からのツーリングに備え盗難保険に加入したいと思いバイクを取りに一旦ホテルへ戻り、バイクに乗って同店を訪れようとした。
同店前でバイクを駐車しよう道路脇に停車数秒直後、突然後ろから強い衝撃を受け、当方はバイクと共に転倒する。
バスが後ろから追突してきたのだ。幸い転倒時のかすり傷程度で済んだが、追突された左側の荷物を入れるサイドケースは衝撃でバイクから外れ路上に吹き飛ばされた。このサイドケースが無かったら当方の身体バスがぶつかっていたことになる。
バスの乗客が下車してきて、倒れた当方に<大丈夫か>と声をかけてくれる。ある乗客はバイクを持ち起こして歩道までひっぱりあげてくれる。
しかし運転手はバスから降りてこない、運転席に座ったままだ。この態度に当方も怒りが湧き、バスの運転手に<降りてこい!>と怒鳴る。
運転手はやっとバスから降りてきたが、当方の怪我が大したことないと思ってか、立ち去ろうとするのではないか。当方は相手の手をつかみ<逃げるな!警察を呼ぶからここで待ってろ!>と威嚇する。
当方は携帯電話から警察の緊急電話番号(911)への電話を試みたが、電話が繋がらない。
バイク用品店のオーナーに事情を話して、警察を呼ぶように依頼した。同オーナーは救急車を呼んだ。救急車を呼ぶと警察に自動的につながるシステムになっているという。
救急車を呼ぶほどの怪我はしていないが、救急車が現場に向かっている間に、バス運転手のバスの運行表、運転免許所、身分証明書をスマホの写真に収め、後日の損害補償交渉に備える。
バスの運転手も当方のバイク保険、運転免許証を写真に収め後日の示談交渉に備える。
救急車には医者が同乗していた。当方はその医者に当方の怪我程度を説明して救急車での病院行は断った。
その後警察官が現れ、当方は警察官へ事情を説明。警察官は日本のように事故調書を作成せず、簡単に当方の名前やパスポート番号等をメモしたのみだった。
これでは保険会社やバス会社との交渉時の証拠にならないが、アルゼンチンでは事故の当事者同士が警察の調書なしで保険会社と交渉するのが普通だという。
(追突してきたバス)
(バスに追突され路上に飛んだ左側サイドケース)
10/27 (金)ブエノスアイレス滞在11日目 前日の事故を起こしたバス会社と補償交渉
バスに衝突されたサイド・ケースが壊れた。あれだけの衝撃を受け、バイクからはずれて路上に飛ばされたのだから当たり前だ。サイドケースをバイクに取り付ける部分が壊れた。
日本ではサイドケース左右合わせた2点で10万円前後したと思うが、アルゼンチンでは日本の2倍以上の価格だ。
事故を起こしたバス会社を訪問した。50歳代の腰が低い総務係と思われる男が出てきた。当方から前日の事故を説明すると、その総務係は<その運転手ではさもありなん>というのではないか。
事故を起こした運転者はバス会社の約200名の運転手の中でもワースト1位~2位の事故常習犯だという。
バス会社は直ぐに事故補償の対応をしてくれない。バス会社は保険会社と約12万ペソ(約80万円)まで免責の対物補償の保険契約を締結しているため、当方の請求額は同社の自腹での支払いとなるためだ。
その男は当方のバイクとサイドケースの破損具合をカメラで撮影して、破損修理(新品と交換)の費用見積を提出してほしいという。社長に相談するので待ってほしいともいう。
後ほど、その男は社長へ電話相談をして当方の対応に戻ってきた。社長の返答は当方に<翌週月曜日=3日後に同社の弁護士に相談してほしい>とのことだったとその男は言う。
当方はバス会社側が同社の顧問弁護士と相談するのは勝手だが、被害者が加害者弁護士と話す必要はないと直感的に判断して、同社顧問弁護士との話し合いを拒否。早急に弁護士なり社長なりに相談して問題を解決してほしいと主張。
その後代理店で作成してもらったパニアケース(サイドケース)の見積書をへ持参して再度バス会社を訪れた。
そして前回同様<早急の対応策を出してほしい>と要求する。しかしながら、その男は<もう一度社長と話せるか試みてはみるが、外出中の社長とは連絡がつかないかもしれないし、顧問弁護士とも連絡が付かない>と頼りなさげに言う。
当方はブエノスアイレス滞在費用は全てバス会社へ請求する旨も持ち出すが、進展にはつながらなかった。
(事故を起こしたバス会社)
(バス会社の事務所入り口は鉄格子で保護されている。)
前日まで滞在した市内中心部のホテルでの延泊は満室との理由で出来なかった。下町の一つ星の安ホテル(Once Plaza Hotel)に移った。
移った先は薄汚れたホテルだった。壁には水漏れでできたようなシミが残ったまま。クロゼットはあったが扉は無く、シミがある壁がむき出しだ。テーブルはあるがたばこの焼け跡だらけでたばこの匂いが充満している。
廊下にはチリ紙やたばこの吸い殻まで落ちている。部屋の床は掃除していないようだ。埃も随分溜まっている。食べかすも残っている。日本の感覚だったら、とてもお金を取れるような部屋ではないが、満室だと言う。料金は一泊540ペソ(約3.5千円)。
10/28(土)ブエノスアイレス12泊目 バス会社を再度訪問
前夜のホテルから周辺地区の別なホテル(Buenos Aires Inn Apart Y Hotel)へ移った。アパート形式で24時間対応の受付係もいる。
バス会社の総務係の男は土曜日でも午前中勤務しているため、再度その総務係を訪ねてバス会社側の対応に進捗があったかチェックした。
男は当方の顔を見るなり<良い知らせは無い>と言う。加えて<前日社長と電話で話したが、月曜日に弁護士と話せ>との指示で電話を切ってしまったと男は言う。
当方は<バス会社は加害者なのだから、社長から謝りの言葉があるべきだろう。当方は落ち度が無く旅を中断せざるを得ないのに、社長は従業員のように週末は自宅でリラックスでは対応がなっていない>等々文句を並べるが、その男は交渉に慣れた男とあって、当方の言い分には口を挟まず聞き役に徹している。
進展は無く、月曜日(2日後)まで待たなくてはならない。
夕食のためホテル近所の下町の大衆レストランへ行った。オーナーはテッコンドーを習っている61歳のホルヘ氏だ。
当方が<何がおいしいメニューか>とオーナーへ尋ねて、会話をしているうちに打ち解けて世間話もするようになった。
オーナーは<以前よりは経済状況よくなったが、治安はいまいちだ>と話す。市民は以前ほど警察を敬わなくなり、時には警察官への暴行もあるという。
オーナーと20分間くらい立ち話をしている間に、ホームレスが立て続けに2名<分けてくれる食べ物はないか>と尋ねながらレストランに入ってきた。景気は回復途上というが、貧困層には景気の回復は届いていないようだ。
10/29(日)ブエノスアイレス滞在13日目 中華街の見物と国立美術館で絵画鑑賞
中華街の見物に出かける。ブエノスアイレスの中心部から7~8km離れた地下鉄D線のフラメント駅(Juramento)から徒歩10分位の場所にある。
中華街の住人は主に台湾からの移民だ。中華門をくぐると中華街の店舗が歩行者専用通り左右約200mにわたり続く。ただし、中国風の家並みではなく、ブエノスアイレスの普通の建物だ。
横浜の中華街と比較したら規模は小さいが、中国人たちの海外で生きるパワーを感じる。たくましい。
中華街は地元の観光客で大いににぎわっている。中華料理は同等クラスのレストランの地元料理より少し高めと思われる。スーパーには日本産の寿司米が販売されている。地元アルゼンチン産のもち米も販売されている。日系の移民の人たちが作付けしているのだろうか。
(中華街入口の門)
(中華街の通り)
(中華街のファーストフード。巻き寿司も人気メニュー。観光客は通りのベンチや立ちながら食べる)
(電車が迫っているのに中華街横の鉄道を歩く人たち。当たり前の光景のようだ)
国立美術館(Museo Nacional de Bellas Artes)を訪れる。訪問したかった場所の一つだった。
地元の画家のみならず、ドガ、セザンヌ、モネ等のフランス印象派画家やスペインのベラスケス、ゴヤ等の絵画も展示してある。藤田画伯の自画像も展示してあった。
地元のアルゼンチン画家の19世紀初頭の風景画や第二次大戦の戦争を揶揄したガイコツ画、いかにも南米人らしい力強い女性画は興味を引いた。
(フランス広場=Plaza de Francia 横の国立事物館)
(19世紀初頭の地元画家の風景画 小休止のタイトル)
(第二次世界大戦を皮肉った絵画 Raquel Former作 タイトルはドラマ=El Drama 1942年)
(レオナルド藤田=藤田画伯の自画像 1931年)
(人物=Figuraのタイトル Lino Enea Spilimbergo作 1964年)
(クリオージョのビーナス、Emilio Centurion作 1934年 クリオージョとは地元生まれのヨーロッパ系白人の意味)
10/30(月)ブエノスアイレス滞在14日目 交通事故損の害賠償交渉は進展無し
交通事故の損害賠償交渉のため、午前中バス会社の担当者と電話で先週の続きを再度話すが、バス会社担当者は自分の仕事(交通事故の状況を弁護士と社長に連絡すること)は終わったので、同社の顧問弁護士事務所へ当方が出向き顧問弁護士と話されたしの一点張り。バス会社社長がそのように言っているという。
当方は同社顧問弁護士と2人だけでは分が悪いと考え、そのバス会社担当者の同席を求める。弁護士は意見を言うだけで事故の当事者はバス会社だからだ。
担当者はだれか代わりのスタッフが同席できるかどうか午後に当方へ連絡すると言って電話を切った。
その間、当方は念のため日本大使館へ弁護士の紹介をお願いした。また、バス会社へメール(書面)で事故経緯を記して、早急の問題解決を促した。同社顧問弁護士へも同メールを送付した。
文書で問題解決を迫るのは当方から連絡の証拠を残すということでも意味がある。
午後になってもバス会社担当者から電話が無いため、当方から再度バス会社へ電話かけ、弁護士事務所へバス会社から同伴できるかどうか促した。
バス会社担当者は豹変した口調で、<社長が当方のやり方に腹を立てている>と言う。さらに、<事を大げさにしたいならそうすればよい。当方が裁判に訴えても損害賠償を無しにでもできる>と電話口で脅すではないか。
嫌な予感だ。最初からバス会社は損害賠償をするつもりは無くて、当方が旅行者だと知って、問題解決を引き延ばせば当方はあきらめざるを得ないだろうと考えているかもしれない。
当方は、同じようなことを約10年前にスペインで経験した。
約10年前にスペインでの会社駐在を終えスペインを離れる際、乗っていた自家用車を中古車のディーラーに買い取ってもらおうとした。ディーラーは当方の車を第三者に販売する一方、約束したお金を当方へ払わなかった。
そのディーラーは当方がスペインを数週間以内に離れることを知って、代金はすぐ支払うから待ってくれと言い続け結局払わなかったのだ。
当方は警察に告発して訴訟を起こし、7~8年越しで代金を取り戻した。
インターネットで同バス会社をチェックすると評判が悪い。事故の損害賠償の対応が悪いとの批判が出ている。
損害賠償交渉でエネルギーと時間を費やすより、頭を切り替えて次のことを考えた方が良いかもしれない。