サラエボ~ザグレブ(クロアチア)~リュブリャーナ(ソロべニア)2017/8/17~8/21  | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

817日(木)サラエボ滞在2泊目 サラエボ証券取引所訪問と徒歩のサラエボガイドツアー

サラエボ証券取引所にアポイントを申し込んだが返事がなかったため、飛び込みで同証券取引所を訪ねる。幹部の人が一時間半にわたり対応してくれる。

(サラエボ証券取引所入居の建物)

 

証券投資の一般的なことはさておき、同幹部との会話で印象に残ったのが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷が依然消えていないということだ。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナは人口の65%がイスラム教徒だ。キリスト教徒はセルビア正教とカトリックの二つあるが、同国ではマイノリティーだ。少数だがユダヤ教徒もいる。旧ユーゴスラビア崩壊後にクロアチアとスロベニアの独立に続き、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立を宣言したものの、独立に反対する同国のセルビア正教徒とカトリック教徒はセルビア、クロアチアをそれぞれ後ろ盾として、政府勢力と陣取り合戦をする紛争であった。

 

当方が当時の紛争を内戦という言葉を使うと、同幹部(ボスニア人)は内戦ではなく、セルビアとクロアチアからの侵略戦争だったと言い切る。ボスニア・ヘルツェゴビナをセルビアとクロアチアの二ヶ国で分け合い、ボスニア人(イスラム教徒)を追い出すという民族浄化(エスニッククレンジング)が行われようとされたが、ボスニア人は国連やEUNATO)の働きかけでなんとか侵略戦争を食い止めた。

(紛争で破壊されたまま残る市内の建物)

(市内中心部の建物外壁に残る弾痕)

 

しかしながら、停戦の合意は三者が満足できるものではなく、政治的には依然くすぶっているといる言う。

 

戦争の際に敵に攻め込まれにくい山間部の地形を生かして、旧ユーゴスラビアの時代にはボスニア・ヘルツエゴビナには核戦争に備えた居住施設を伴った地下の軍事施設(空軍基地)があり、使われてはいないが現存するという。

 

また、重要な産業であった製鉄所や金属加工等の工場も同地に建設されたという。山間部に製鉄所を建設したら運送効率が悪いと思ってしまうが、同国は石炭や非鉄金属の原料となる鉱物原料は豊富であるので日本のように製鉄所を必ずしも臨海部に建設する必要は無いようだ。

 

翌日、隣国のクロアチアへ内陸ルートで越境する途中の山間部で製鉄所や石油精製工場を見かけた。なんでこんな場所に製鉄所や石油精製工場があるのかと思ったが。

 

現地のガイドが英語で説明しながら旧市街を案内してくれるウォークインサラエボというツアーがあると宿泊しているホテルのスタッフから聞いた。参加料はチップで良いとのことで参加。

 

60名ぐらいの観光客が集まった。三名の学生らしき英語ガイドが旧市街の主要な建物や場所を説明してくれる。

 

サラエボで一番古いモスク、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺された事件現場(サラエボ事件)、イスラム地区の職人別の通り(現在は土産物店通り)、オスマントルコ帝国時代の商隊(キャラバン)が宿泊した旅籠、イスラム治世下に作られた「月が昇る(太陽が沈む)までの時間」を表示する時計台等々。

(イスラム地区の広場)
 

(かっての商隊キャラバンが投宿したイスラム地区の宿と中庭)

 

(イスラム時計 12時の時刻に月が昇る。月が昇るまで=太陽が沈むまでまだ2時間20分ほどある)

 

前日一人で見て回った場所だが、やはりガイドの説明を聞くと歴史的建物や場所の価値が良くわかる。

 

818日(金)サラエボ~ザグレブ(クロアチアの首都)400km

サラエボからクロアチア首都のザグレブ(Zagreb)へは主に2つルートがある。距離は少し長いが、時間優先のルートを選んだ。いずれのルートも比較的長い距離の一般道を走る。

 

400km区間のうち前半のサラエボ~クロアチア国境の約200kmが一般道路区間だ。後半のクロアチ越境後~首都サグレブの200kmは全て高速道路になっている。

 

山間部を通る道路の景色は日本の長野県や山梨県の県道を走っている風景に似る。対面通行の一般道だ。車が途切れることが無いほど交通量は多い。

(山間部の一般道)

(道路沿いはこんな光景が続く)

 

巨大な工場の大きな煙突が道路沿いあった。前日証券取引所の幹部から同国の経済について話をきいていた今も稼働中の製鉄所だ。

 

巨大な筒形タンクと一緒に石油の精製施設もある。日本ではこのような工場施設は臨海部にかないので何故こんな山奥に石油精製施設がと不思議に思うが、欧州の内陸国ではパイプラインでエネグギー原料が運ばれてくる。

(道路沿いの石油精製施設)

 

クロアチアへの出国検問所手前1~2km位から渋滞している。ここはオートバイのメリットで順番待ちで並んでいる車を横目に反対車線を検問所手前まで進む。

 

列で並んでまともに順番をまったら出国するのに半日で済むかどうかの渋滞国境だ。クロアチアへの入国検問所前にも1km位の車の列が続く。国境管理は重要とは言え、小国が連なる地域の国境で人や車の動きに制限をかけたら経済効率は非常に悪い。

 

クロアチアに入国後は平原を横断する高速道路を通り一気に首都のザグレブまで行ける。

 

本日の宿はRooms Madisonというゲストハウスだ(宿泊代素泊まり一泊34ユーロ)

 

(クロアチア入国後の高速道路。首都ザグレブまで49km)

 

(高速道路沿いの広大なトウモロコシ畑)

 

 

 

819日(土) ザグレブ(Zagreb)市内散策

ザグレブの旧市街には3つ星程度の手ごろなホテルが少ない。宿泊した宿はホテルではなく専用のバスルームが備わったゲストハウスに近い部屋貸しの施設だ。オーナーのイゴール氏(32歳)はザグレブにはホテルが少なく観光ブームを当て込んで8年前に建物を借りて宿泊施設に改修した。旧ユーゴスラビアの諸国はこのようなゲストハスウスやアパートの一戸貸しが多い。

(宿泊したゲストハウス)

 

旧市街は想像したより広い。旧市街の表通りは5階建て位に統一された古風な建物でかためられている。首都の名に恥じぬ重厚で美しい街並みだ。

 

街の中心はイエラチチ総督広場だ。クロアチアは旧ユーゴスラビア諸国の中では国外からの観光客が多い。中国人の小グループの観光客も比較的目にした。

 

一歩裏道へ入ると壁が崩れかけた建物を多く見かける。この国にお金が回れば未補修の建物も無くなるだろう。

 

(イエラチチ総督広場前)

 

(イエラチッチ総督広場)

 

 

(旧市街の裏通り。落書きが多い。外壁は未補修だ)

 

宿泊した旧市街より3kmほど離れた半住宅街と半商業街の大通り沿いの建物は古い。崩れかかった建物はそのまま放置されている。建物全体を立て直おさず、ある部分は店舗したり、ある部分は倉庫にしたりと部分的に改造したりしている。


(左半分は住居として改修。右半分は廃屋となったまま)

 

高さ100mの塔を持つ聖母被昇天大聖堂は改修中だった。共産党時代には宗教の理解が無く、壁が崩れかけるほど放置されたため、建物の傷みが激しく大がかりな改修が必要だという。

 

街の古い建物についても似たような理由で、改修が必要なのだろう。

(聖母被昇天大聖堂。塔の高さは100m以上)

 

 

(国会議事堂がある高台から見た旧市街)

 

 

820日(日)ザグレブ滞在3日目 証券取引所の建物撮影

クロアチアの海外沿いのリエカという港町への移動を考えていたが、ホテル代が高くて手が出ない。

 

ホテルの予約サイトで閲覧しても最低でも一泊100ユーロ以上だ。高ければ高いほど空室がある。クロアチで一泊に100ユーロ以上支払うことは考えていないのでアドリア海側の街へ行くことは断念してザグレブに3連泊することにした。

 

前日夕方から降ったにわか雨のため気温が22~23度程度まで下がって急に涼しくなる。前日までは35度を超える猛暑だったというのに。

 

ザグレブは金曜日の夕方から週末土曜日と日曜日の滞在のため証券取引所には訪問ができなかった。

 

せめて証券取引所の建物の写真だけでも撮影しようと思い出かけた。現在の証券取引所は金融機関と政府関係機関が入居する高層ビルにある。


 

証券取引所は以前には旧市街のクロアチア中央銀行のビルにあったと言うので、旧市街までトラムに載って中央銀行の写真を撮りに出かける。中央銀行所在の周辺には各国大使館の国旗が目立つ。その中に日章旗が掲げられていた日本大使館を発見した。日章旗を見るとなぜかほっとした気分になる。

(クロアチア中央銀行の建物。かってはこの建物内に証券取引所があったという)

 

(日章旗が掲げられた日本大使館)

 

821日(月)ザグレブ~リュビリジャナ(スロベニア)134km

当初の予定にはなかったが、次の目的地のリュビリャーナへ向かう途中にアポイント無しでサグレブ証券取引所へバイクを乗り付けた。 証券取引所の場所は前日確認しているので問題なく到着。

 

(証券取引所入居の23階建て高層ビル)

 

ザグレブ証券取引所では当方との面談を快く引きくけてくれた。日本から個人投資家が訪問するのは初めてとのことで、同取引所のFacebookに当方の写真を掲載したいと申し込まれた。

 

同取引所には149社が上場されている。時価総額(149社の全体株式価値)は約190億ユーロだ(約2兆円強)。投資家の主体は国内の年金等の機関投資家とのことで、外国人投資家は多くない。

 

同国で一番人気は観光関連。アドリア海の海岸線沿いの夏場の観光資源が豊かだ。しかし、それに続く競争力がある産業が育っていないようだ。

 

証券取引所はザグレブで一番高い23階建てビルの22階であった。同ビルからザグレブ市内の眺望が良く、旧市街や遥か遠くのザグレブ空港の建物まで見通せる。ザグレブ市で一番高い建物は聖母被昇天大聖堂の塔(高さ100m以上)であるとのこと。


(22階の証券取引所オフィースから旧市街を見る。右手方向に聖母被昇天大聖堂の塔が見える)

 

ザグレブから隣国スロベニアの首都であるリュビリャーナ(Ljubljana)へは高速道路で結ばれている。

 

クロアチアはEUには加盟しているものの、国境の移動に制限がないシェンゲン条約には加盟していない。そのためクロアチアとスロベニアの国境にはパスポートコントロールの検問所がある。クロアチアからの出国検問所前には長さ300m位の車の列が並ぶが、パスポートをチェックするのみなので時間はそれほどかからない。

 

スロベニアは人口二百万人の小国だが、他の旧ユーゴスラビア諸国より飛びぬけて豊かだ。旧ユーゴスラビア解体にあたり、いち早く独立に動いたのもうなずける。

 

首都リュビリャーナは「緑の首都」(Green Capital)と自称しているだけあって、旧市街への車の乗り入れを規制し、通りにはゴミ一つ落ちていないほど清掃が徹底されている。裏通の建物の外壁も崩れていない。建物の修理が行き届いている。

 

旧市街の中心部には堀のような幅70~80mほどの川がながれ、川辺の柳の並木が日本の川辺の景色に似る。

 

(旧市街の市庁舎前の通り)

 

(旧市街を流れる川辺の柳並木道)

 

(旧市街を流れる川)

 

観光客が多いが、何故か静かで落ち着いた街である。旧市街の60~70m高さの丘の上にはリュビリャーナ城がそびえ立つ。絵になる光景だ。ケーブルカーで城へ上り、眼下の街並みを見た。街歩きでは気が付かなかったが、同市の直ぐ近くには2千メートル級の山並みが控えている。

(旧市街の丘の上のリュブリャーナ城)

(リュブリャーナ城からの街の眺め。山地が迫っている)

(旧市街の日本食居酒屋Tokyo Picnicのシェフはとんこつラーメンを作る)

 

同市にも手ごろな値段のホテルがあまりないようだ。本日はゲストハウスに宿泊(Aura Guesthouse Ljubljana 一泊素泊まり41ユーロ=5,300円)。