ベオグラード~マケドニア~コソボ~モンテネグロ~サラエボ(ボスニア)2017/8/13~8/16 | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月オーストラリアツーリングのスタート。

8/13(日)ベオグラード~スコピエ(マケドニア)428km

前日予定外であったコソボの首都であるプレシュティナへ急遽行くことにしたため、旧ユーゴスラビアのマケドニア共和国(日本ではマケドニア旧ユーゴスラビア共和国との名称が使用されている)へ行くことにした。コソボは独立宣言をしたもののセルビアは自国領の一部だとしてコソボの独立を認めていない。セルビアから直接コソボへ入国することは難しいと聞いている。そのため、セルビアの南にあるマケドニア経由コソボへ入ることにした。

 

ベオグラードでは前日まで37度~38度の猛暑だったが、本日は15度と寒い。しかも今にも雨が降りそうな曇天だ。念のため、雨合羽を着てホテルを9時過ぎに出発。

 

スコピエ(マケドニア共和国の首都)まではベオグラードから南下するイメージだ。ほどんどの区間が高速道路だが、マケドニア入国手前30km位は渓谷沿いの山道を走る。曲がりくねった山道だというのに制限速度は80km。対面交通の曲がりくねった谷沿いの道路を時速90~100kmで走るの正直怖い。それでも、他の車は更に飛ばして走る。

(マケドニア入国手前の渓谷沿いの道路)

 

セルビアの高速道路は基本的に有料だ。ただし金額は少ないので負担感は少ない。首都ベオグラードからマケドニア入国まで約350km区間のうち300km位が高速道路。この区間で3箇所料金所があった。料金は合計550セルビアディナール=約600円。

 

ベオグラードから南は降雨が少ないらしい。道路沿いの日本のような小規模の畑に耕作されているトウモロコシが枯れて放置されている。道路脇の草も枯れている。農業には厳しい土地のようだ。

(高速道路沿いは荒地が多い)

 

セルビア出国検問所では20分位順番待ちの車の列に並ぶが、検査官はパスポートを見るだけの手続きで簡単た。

 

マケドニア入国検査もいたって簡単。パスポートとバイクの登録証書を見せるだけで済む。

 

マケドニアの現地通貨を持ち合わせていない。

入国検問所付近でも両替所らしき場所がない。マケドニアには一泊ののみなので両替を諦め、クレジットカードでの支払いのみとする。

 

マケドニア入国後も首都のスコピエ(Skopje)へ到着するまでの80kmの区間の高速道路で二ヶ所料金所があった。料金は1150円程度。それぞれクレジットカードで支払う。

 

17時に予約しておいた小さなホテルBoutique Hotel Rose Diplomatique(朝食付き一泊1,390マケドニアディナール=約3千円強)に到着する。

 

マケドニアの物価はセルビアより安い。テーブルクロスを敷いてあるしっかりしたレストランで一人では食べきれないほどの大皿のギリシャ風サラダ、焼き鶏肉のカレーソース味とミネラルウォーターで410マケドニアディナール(約900円弱)だ。たぶん物価水準は日本の1/3程度だろう。

 

8/14(月)スコピエ(マケドニア)~プリシュティナ(コソボの首都)90km

 

日本やEU(欧州連合)は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」と長い国名を使用している。理由は隣国のギリシャがマケドニア共和国の名称に猛烈に反対しているからだ。

 

古代マケドニアと呼ばれる地区の5割はギリシャ領に属し、古代マケドニア人の末裔はギリシャ領に住む人々だと主張しているためだ。マケドニアはEU加盟の申請したものの、ギリシャの反対で加盟が承認されていない。

 

スコピエは50万人規模の都市だ。1時間半ほど街の散策をしてみた。国旗が旧日本海軍旗に似た朝日をイメージした模様だ。街のいたるところに国旗が掲揚されている。建設中のビルを覆う幕までにも国旗がつるしている。街のキオスク(売店)にも国旗がかかっている。

(スコピエ市内のショッピング通り)

大きな銅像が街のいたるところに建っている。最大の銅像は台座も含め7~8階のビルの大きさだ。街のシンボルなのか観光の目玉なのか不明だが、散歩していて面白い。もう一泊したい街だ。ロンドンの2階建てバスに酷似したバスも走る。

(台座を含めビル7~8階の高さの像)

 

この国にも証券取引所はあった。アポイント無しでマケドニア証券取引所を訪問した。管理部門の幹部(女性)が面談に応じてくれた。女性の夫がバイク(カワサキ製の大型バイク)に乗るライダーでもあり当方に興味を持ってもらったようだ。

(証券取引所入居の建物)

 

スコピエからコソボの首都プリシュティナは90kmの距離だ。山間の道を20~30km走るとコソボとの国境だ。マケドニア出国とコソボ入国はいたって簡単。パスポートを見せるだけだ。出国と入国の順番待ちでそれぞれ約10分費やしたのみ。

 

コソボ領の山間部には高速道路を建設すべく、山の中腹で橋げたを建設している。数年後にはスコピエとコソボは高速道路でむすばれているだろう。

(コソボの中心部は広い盆地となっている)


(プリシュティナへ向かう道路)

 

プレシュティナ(コソボの首都)は広い盆地の中に位置する。コソボ独立前は(セルビアは認めていないが)寒村であったが、独立後は人口が増加してビルの建設ラッシュだ。

(プリシュティナのビル建設)

 

ビルの建設に道路・歩道のインフラ整備が間に合っていない。荒地の中に突然マンション群が建つが、整備された道路・歩道がが無いといった具合だ。

(鉄道線路を跨ぐ生活用の小道)

 

街には観光名所となるような場所がない。経済ブームに沸く首都で一攫千金を求めて人々が集まり、そのため街がさらに拡大する循環だろう。

 

内戦で混とんとしていたコソボ紛争を終結させるため軍事介入したNATO軍をリードしたのが当時のアメリカ大統領のビル・クリント氏だ。主要道路の一つはビル・クリントン通りと命名され、沿道のビルの外壁にビルクリントン氏の顔が描かれている。

(ビルの外壁にはクリントン元大統領の巨大写真)

 

 

アメリカが中心となりコソボを経済的にも支援しているようた。アメリカはプリシュティナに1500名を擁する大規模な大使館を建設中だ。こんな小さな国に何故1500名の人員が必要な分からないが、軍事がらみの利権が大きいのだろう。

 

こんなプリシュティナの街にてウラジオストックに渡るフェリーの船室で同室であったW氏がこれから同地でビジネスを展開しようとしている。プリシュティナの街で同氏に会い再会を祝福する。

 

本日の宿はHotel Denis(素泊まり28ユーロ=約3,700円)

 

815日(火)プリシュティナ(コソボ)~ポドゴリカ(モンテネグロ)311km

コソボ北側からセルビア南部へ出て、そのまま目的地であるサラエボ(ボスニア・ヘルシェゴビナ)へと最短距離を通ることを当初考えていた。

 

しかしながら、コソボの入国スタンプがパスポートにあるとセルビアへの入国を拒否される可能性があるとも聞く。

 

セルビア入国を拒否され再度プリシュティナに戻る時間ロスを考慮して、無難なアドリア海沿いのアルバニア経由モンテネグロに入国して、その後サラエボを目指すルートにした。

 

コソボ~サラエボ間は500kmの距離だが、山岳道路もあり一日では走破するのは無理だ。そのため、プリシュティナ~サラエボ間の途中にあるポドゴリカ(モンテネグロの首都)で一泊することにした。

 

プリシュティナからアルバニアまではなだらかな丘陵地帯を片側2車線の高速道路が走る。高速道路を作る経済的余裕がよくあるものだと思うが、経済支援がらみで建設されたのだろう。

(コソボ領内のプリシュティナからマケドニア方面への高速道路)

 

高速道路は交通量が多くないので走り易い。コソボ側の出国検問所は無い。アルバニアの入国検問所のみだけだ。入国は簡単でパスポートとオートバイの登録証書を見せるだけだ。係官にグリーンカード(欧州の自動車強制保険)に加入しているかと質問されたが、「はい」と答えるだけで済む。

 

グリーンカードの提示は求められなかった。(この時は保持するグリーンカードはアルバニアも含む旧ユーゴスラビアもカバーされていると何の疑いも持っていなかったが)

 

アルバニア入国後も丘陵地帯を走り終わるまで片側2車線の高速道路がしばらく続くが、内陸の平坦な地形に入ると対面通行の一般道路となる。

(アルバニア入国後の山岳地帯)

 

アルバニアは欧州最貧国の一つだ。乾燥した国土の山々は禿山だ。道路沿道の土地も荒地や日本のように小さく区枠された畑だ。肥沃な土地には見えない。

(モンテネグロへ向かうアルバニアの一般道)

 

この国が最貧国から脱出するには何らかの産業が必要だが、何があるのだろうか?

物価が安くて豊かな海岸線があるため、一部の海岸沿いでは外国人観光客が多いと聞く。しかし、それ以外に何があろうかとバイクを運転しながら考えた。

 

アルバニア通行区間は約190km。給油しようと思い2つのガソリンスタンドでクレジットカードが使用できるか尋ねたが、クレジットカード不可と言われたため給油を断念する。

 

クレジットカードの普及はまだのようだ。結局アルバニアでは休憩もお金を使うことも無く通過するのみとなった。

 

モンテネグロの入国審査でグリーンカード(欧州強制自働車保険)の提示を求められた。当方が保持するグリーンカードはモンテネグロがカバーされていないと入国検査官で指摘されたため、入国検査事務所にてモンテネグロの強制保険に加入した。

(有効期間15日間の最低日数の保険代が10ユーロ=1,300円)。

 

モンテネグロに入国後約20km走り、同国首都のポドゴリカ(Podgorica)に到着。

 

何もない小さな町だ。500m四方あるかないか位の街の中心部街を散策したが、目につくのはサッカースタジアムと同国政府の議会建物ぐらいだ。

飲食街のテラスにも人の姿はまばらだ。歩行者もあまりいない閑散とした街だ。同国通貨はユーロで、物価は安い。ホテル横の庶民的なケバブ(串焼き肉)レストランでのケバーブ定食が2.5ユーロ(約330円)。

 

同日の宿泊はHotel Bojatours Lux(一泊朝食付き26.10ユーロ=約3,400円)。

 

(ポドゴリカで宿泊したホテル)

 

816日 ポドゴリカ(モンテネグロ)~サラエボ(ボスニア・ヘルツエゴビナ)226km

9時過ぎにホテルを発つ。本日はモンテネグロからボスニア・ネルツエゴビナの山間部の国境越えとなる山岳ルートを走る。

 

ポドゴリカの街を発ち10kmほど走ると山岳ルートに入る。高さ500m位の山の中腹のルートを山奥に進んでいく。道路の下は300mの崖となり眼下の景色は良いが、運転を誤って崖下へ転落したら命は無いと思うと知らないうちに崖を避けるように道路中央を走っている。

(山岳道路の崖下風景)

 

こんな怖い道路でも制限速度は時速80kmだ。皆制限速度以上のスピードで走っている。命知らずだ。更に山の奥に進むとダム湖がある。

前泊したホテルに居合わせた地元の男から「道路の道幅は狭いぞ。狭い道を車の連中は飛ばして走るのでもたもた走れない。路上には小石が落ちていてバイクは滑りやすいから注意しろ。ダム湖に転落したら深くて二度と出られない。家族に連絡しておいた方がいいぞ。幸運を祈る」と警告されていた。

 

道路はダム湖湖面から100m位の高さを渓谷沿いに奥へと続く。ダム湖は湖面からの高さが500m~700m位の切りだった大渓谷沿いにある。こんな山奥にも売店があった。地元のワインや蜂蜜等の瓶物を販売しているが、お客さんないない。

(道路左側はダム湖の切りだった崖になっている)

 

 

更に大渓谷を奥へ進み峠を越えたあたりにモンテネグロとボスニア・ヘルツエコビナの国境検問所がある。

 

交通量は多くないが、越境者の書類チェックに時間がかかってるようだ。検問を待つ十数台の乗用車の列に30分くらい並ぶ。出国はパスポートチェックのみで簡単。同国人や周辺国の人の出国手続きに時間がかかっている様子。

 

車が一台しか通れない木製の橋がかかる中立地帯を通るとボスニア・ヘルツエゴビナの入国検問所がある。検問所係官にグリーンカード(欧州の強制自働車保険)の提示を求められる。ここで初めて気が付いた。当方がイタリア・ミラノの業者経由取得した欧州強制自働車保険はスロべニアを除く旧ユーゴスラビアの国々はカバーしていない。

 

係官は出直してボスニア・ヘルツェゴビナの保険を取得してこいとパスポートを突き返される。

(写真中央の青いボックスが検問所)

 

冗談じゃない。ここまでの距離130kmの山道を引き返すのはごめんだと思い、何とかならないかと係官に聞くと「20ユーロお金を払え」という。

 

当方が現金をそのまま係官に手渡そうとすると、「あっちで(誰もいないところ)パスポートにお金を挟んで持ってこい}言う。どうやら袖のしたらしい。 

 

モンテネグロ入国時の自働車強制保険の保険料は10ユーロだったことを思い出して、10ユーロ札をパスポートに挟みパスポートを係官に手渡すと、係官は何も言わずに入国を認めてくれる。

 

当方の直後に入国したイタリア人ライダーは何も問題なく入国した。イタリア人が持っていたグリーンカードではボスニア・ヘルツェゴビナも保険対象としてカバーされている。たぶんEU居住者とEU以外の居住者ではグリーンカードの対象国が異なる可能性がある。

 

ボスニア・ヘルツエゴビナ入国後も山道だ。道路状態はメンテネグロ側より悪い。断崖絶壁の道ではないが、道路の片側が未舗装となったりしているので低速での走行を余儀なくされる。入国検問所から首都のサラエボまで約100kmの距離だが、途中に大きな町は無い。

(ボスニア・ヘルツエゴビナ入国後の山道)

 

(サラエボへ向かう途中の山村)

 

本日は全て一般道の山岳道路であったため、久しぶりにツーリングをしたという満足感があった。

16:00過ぎサラエボの街に到着。

 

サラエボは街の真ん中に小川が流れる谷間の街で、イスラム教徒とキリスト教徒が混在している。

 

観光客が集まる旧市街の中心部のオスマントルコ治世下に発達したイスラム地区やオーストリア・ハンガリー帝国時代のキリスト教地区は整備されているが、1990年代初頭の内戦の跡がまだ残されている。

(イスラム地区飲食街)

(イスラム地区洋装店の看板)

 

(オーストリア・ハンバリー地区のショッピング通り)

 

 

内戦で破壊されたれたままの建物。銃弾で建物外壁がへこんだり、削り取られた跡を残す建物が市内のあちこちにある。

(上段の建物の拡大図 外壁の穴は銃弾跡)

 

この国の5割以上がイスラム教徒のため、モスクとミナレット(塔)が多数目につく。イスラムのお祈りの時間にはミナレットの拡声器から{アラーアクバル(神はいだいなり)・・・・・・」と説教も流れてくる。中東の国にいるようだ。

 

街には第一次世界大戦勃発のきっかけとなったオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子暗殺の場所でもある。

 

セルビア人の若者(セルビアでは英雄でTシャツが販売されていた)がサラエボ訪問中の皇太子夫妻を街を流れる小川にかかるラテン橋のところで暗殺したのだ。当時の事件現場には事件を記した石碑と事件を扱った博物館がある。

(1914年オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が乗る車)

 

(皇太子が暗殺されたラテン橋付近の現場)

 

(暗殺現場には現在博物館が建つ)

 

本日の宿は旧市街とは目と鼻の先にある高台のHotel Herc(一泊朝食付き33.75ユーロ=約4,400円)。