ブラティスラバ~ブダペスト(ハンガリー)~ベオグラード(セルビア)2017/8/9~8/11  | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東を走行後、2024年4月~5月オーストラリアツーリング。

2017年88日(火)ブラティスラバ(スロバキア)~ブダペスト(ハンガリー)200km

(ブラティスラバ~ブダペストへのルートはピンク色)

 

ブラティスラバを11時過ぎに出発。高速道路に乗るとブラティスラバから40km~50km地点でハンガリーとの国境となる。ハンガリー国境手前に料金所のようなところで複数の車が列になって順番待ちををしているので、列の手前の路側帯で休憩中のパトカーにどの列に並べばよいか尋ねる。

 

パトカーの警察官は「並ばなくてよいから誰もいないゲートを通過して前に進め」と手招きしながら教えてくれる。

 

本当にゲートをを通過して良いものかなと疑ったが、無人のゲートから一人通り過ぎる。列で並んでいた車はいったい何だったんだろうか?

 

ハンガリーに入国後の高速道路休憩所でバイクに跨って小休止していると短パン姿の男が片言の英語で話しかけてくる。

 

男もライダーであり、カワサキ製のニンジャ(スポーツバイクの名前)を持っていると自慢気に言う。新型のニンジャのスピードメーターには時速400kmまで目盛が表示されていると言う。時速400kmを出せる公道は世界中どこにも無いというのに。

 

ブダペスト市内へ入る手前の高速道路脇で日本のスズキの工場が目に入ってくる。同社は日系自動車メーカーとしては早くからハンガリーに進出して成功していると聞いたことがあった。日本企業の存在を見ると当方も嬉しくなる。

 

14:00にはブダペストの旧市街を通り、旧市街から5km程度離れた宿に到着。旧市街は交通渋滞だ。

 

旧市街は今まで通ってきたプラハやブラティスラバとは異なる風景だ。ドイツも含め、ポーランド、チェコ、スロバキアは赤い瓦の建物(ビル)が多かったが、ブダペストでは見かけない。

 

そのかわり建物外観は全て石ででき、ごつごつした感じの街並みになっている。長年の風雨が建物を黒しているため建物自体が暗くも感じる。

 

この古い町並みで目立つ建物のひとつが国会議事堂だ。ネオゴシック様式、ルネッサンス様式等複数の建築様式を折衷している。19世紀末に建てられブダペストの主要観光スポットになっている。建物内部の見学も可能だが、当日券は無しとのことで内部の見学は断念。入館料は6千フォリント(約3千円)と高い。EU国籍の人は1/32千フォリント(千円)になるのは解せない。

(ブダペストの国会議事堂)

(ドナウ川船上から見た国会議事堂)

 

ドナウ川には日常の足(公共交通機関)となる200名程度が乗れる連絡船も運行されている。川辺を歩いていると連絡船が付近の桟橋に停船したので、川の散歩のつもりで乗船した。ドナウ川両岸の景色を見ながら上流方向へ向かい、30分後には下船。料金は750フォリント(約300円強)。

 

 

8/9(水)ブダペスト2日目 ブダペスト証券取引所見学と王宮見学

事前アポイントを取ってあったブダペスト証券取引所を訪問。当初コンタクトを取った人が

ライダー(オートバイ乗り)という縁で当方の世界一周バイクツーリングに関心を持ってもらった。

 

しかしながら、当方の訪問日は同氏の休暇に当たるため、同氏の同僚の方々を紹介してもらう。ライダー同士の一種の連帯感があるからこそアポイントを受けてくれた。

 

ブダペスト証券取引所はBank Centerと呼ばれる外資系金融機関等が入居するビル内にあった。

 

証券取引所は19世紀後半に創設された。共産主義時代は閉鎖したが、1991年に再開している。取引再開にあたり、ニューヨーク証券取引所から取引開始時に使うベルが贈られた。現在では、同ベルが鳴らされるのは、新規上場銘柄(企業)の初取引開始時のみとなった。取引所の象徴的な存在だ。

(ブダベスト証券取引所が入居するBank Centerビル)

 

(取引所ベルと取引所スタッフ)

 

株式市場のBUX指数は1991年に1,000ポイントでスタートして現状36,771(8/8現在)まで至っている。旧東欧諸国の中では、ポーランドに次ぐ規模となり、成功しているようだ。

 

同国の勤労者の平均月収は700ユーロ(9万円強)であり、EUの中心国との経済格差(賃金格差)が大きく、将来如何に経済格差を解消していくかが課題とのこと。優秀なハンガリー人は給与が数倍高いイギリス、ドイツ等へ移住するため、労働人口は増加していないようだ。

 

ブダペストは見どころが多い都市だ。2泊しかしないため時間が限られている。王宮を見学することにした。ブダペスト市内はドナウ川にて東西に分かれている。川の西岸側がブダ地区、東岸側がペスト地区になっており、王宮はドナウ川を見下ろす西岸(ブダ地区)の高台に構えている。ドナウ川から見る王宮の姿は絵になるが、王宮の丘から見下ろすドナウ川とペストの街並みも見ごたえがある。

(ブダペスト王宮から見たドナウ川上流と国会議事堂方面を見る。川沿い右奥の高い建物が国会議事堂)

 

(ブダペスト 王宮からドナウ川下流方向を見る)

 

王宮の建物は現在ハンガリー国立美術館として使用されている。

(ハンガリー国立美術館 マリア・テレジア肖像画)

 

(ハンガリー国立美術館 Ferenezy Karolyn作の

Bathing boys)

 

夕方、日本好きの証券取引所幹部スタッフにペスト地区の繁華街にて一杯飲みながらの歓談に誘われる。

 

同氏は夫婦で先週一週間宮古島でレンタカーを借りながら滞在して帰国したばかりだという。宮古島には今回も含め2回行くほど同島が気に入り、宮古島の不動産価格まで調べていた。

 

2~3週間後18ヶ月のバイクの世界ツーリングに行くという同氏の友人も合流して、ブタペストの夜で盛り上がる。ペスト旧市街のビヤホールやカフェバーは若者や地元人たちで一杯で、座れるテーブル席が見つからないほど賑わっていた。当方も立ち飲みだ。

 

8/10(木)ブダペスト~ベオグラード(セルビア)376km

翌日にベオグラードにて約束があったため、後ろ髪を引かれる思いでブダペストを午前9時に発つ。

 

ブダペストは連日37~38度の猛暑のため、エアコンが無かったホテルでは暑かった。熟睡できていない。セルビアの首都ベオグラードへ向け高速道路を南下する。

 

ハンガリーは大規模農業国だと聞いていた。高速道路沿いの畑の作付け面積は確かに大きい。100ヘクタール以上あるだろう。畑には500mはあろうかという超長い散水機を見た。こんな長い散水機を見るのは初めてだ。このような散水機を使うほどの作付面積なら競争力ある農業が可能だと確信する。

(500m位の長さの散水機)

 

ブダペストから高速道路を約170km南下した場所がハンガリーとセルビアの国境だ。セルビアはEU未加入国のため国境での検問がある。ハンガリーから出国するEU諸国以外の国籍の乗用車の列に30分並び出国。

(ハンガリー出国検問所)

 

EU諸国から観光や休暇でセルビアへ行く人は少ないが、EU諸国に移住してセルビアへ一時帰国する人たちの方は多い様だ。

 

中立地帯を通過してセルビアの検問所へ進む。ここではパスポートとオートバイの登録証書をチェックするのみで簡単な入国検査だ。

 

国境からベオグラードまでは約200kmの距離だ。ブダペストとベオグラードは高速道路で結ばれているが、セルビアへ入るとベオグラード方面へと高速道路を走る車はまばらだ。

(セルビア入国後の高速道路 ベオグラードまで170kmある)

 

(セルビア  ベオグラードの方向を示す高速道路上の標識)

 

ガーミンのカーナビがまた作動しない。ディスプレイに地図画面を映し出さない。予備の地図データ(マイクロSDカード)と入れ替えると地図画面が出たのでほっとする。

 

しかしながら、今度はカーナビが作動して5分程度で画面が切れてしまう。そのまま放置しておくと自動的にスイッチが入り、画面が自動的に立ち上がってくる。そして5分後には再度画面が消えてします。ずっとこの繰り返しだ。気温は40度以上。猛暑でカーナビがおかしくなったのか。

 

本日の宿はアパートだ。ブラスティラバのアパート滞在が快適だったからだ。スマホカーナビ(Mapsme)を頼りにアパートを探す。

 

古めかしい日本の団地のようなアパート群に導かれるが、それらしき看板は無い。通りがかりの人に住所を確認してもらうと、ここの団地だという。該当する住所の団地内アパートの玄関の扉には人の名前しか書いていない。ドアをノックすると老婆が迷惑そうな表情で出てくる。

 

どうやら場所を間違えたらしいと考え、Booking.comで予約した際の電話番号に電話をしてみる。

 

男が電話口にでて、「団地建物の中へ入れ、白い玄関ドアを開けろ(施錠していない)、カギは玄関内部の壁につるしてある」等指示をだす。間違えてドアをノックした老婆宅の隣が貸アパートの一室だった。全くの期待外れ。

 

男は、2時間後に来ると言って電話をきった。2時間以上待ったが、男は現れず。日も暮れてきたので、男を待つことを諦め買い出しのため外出することにした。アパート代は20ユーロ(約2600円)と安いが、手間を考えたら割に合わない。

 

翌日はホテルへ移ることにした。

 

8/11(金)ベオグラード2日目 ベオグラード証券取引所訪問と市内散策

ホテルへの移動を考えオートバイで証券取引所まで乗り付ける。証券取引所は前日宿泊したアパートから2km程度離れた新市街の中の政府の建物(合同庁舎のような建物)内にあった。


(ベオグラード証券取引所が入居する政府の建物)

 

(ベオグラード証券取引所入口の扉)
 

証券取引所の幹部のMR氏が快く面談してくれる。ベオグラード証券取引所も19世紀末に創設されたが共産主義時代には閉鎖され、他の旧東欧諸国同様に1990年代に元国営企業の株式を国民に譲渡する方法の一環として再開された。

 

証券取引所では、上場企業数は約700社あるが、日々取引があり流動性がある銘柄(企業)は7社と少ない。

 

大部分の会社は株式時価総額が1億円以下の超マイクロ企業とのこと。どうしてそんな超マイクロ企業が上場されているか質問してみた。

 

理由は民営化する際の手続きの一環で取引所での株の譲渡(売買)が必要だったためとのことで、先進国の上場理由とは異なる。

(かっての立会取引時代の風景 写真から転載)

 

同証券取引所には同国の大手企業15社の株式で構成するBelux 15という指標(インデックス)があるが、15番目の企業ですら12百ユーロ(15億円強)の時価総額規模。

 

Belus 15指数の時価総額は浮動株ベース(政府や特定株主等の保有分を除外した実際に取引可能な株式数を指す。発行済み株式数の平均15%位が浮動株とのこと)で、指数の時価総額は一億3千万ユーロ(160億円相当)。

 

国内の投資家は少なく、投資家育成が課題だが、指数がリーマンショック前の高値の1/3にも回復していないため個人には人気が無い様子。

 

リーマンショック前の指数の最高値は約3,000ポイン。リーマンショック後には同指数は400ポイントまで高値から9割くらいの水準まで暴落。外国人投資家が保有株を投げ売りしたためだと言う。

 

同国はコソボの独立承認をめぐりEUと対立している。政治問題がEU加盟への足かせになっている。EU諸国との取引も活発でないため、共産主義崩壊以来の旧東欧諸国の中で経済的には一番出遅れている位だ。

(1999年のNATO軍の空爆で犠牲になった子供たちの慰霊碑 ベオグラード市内の公園)

 

失業率は公式には14%というが、実態は20%あると証券取引所幹部は話す。物価はハンガリーの7掛け位と安いが、所得(平均月収は380ユーロ相当=約5万円。ハンガリーの6割程度)を考慮した場合、生活は厳しいと言う。

 

目抜き通りの建物こそ立派で他の欧州諸国のものとあまり変わらないが、主要な大通り以外の通り沿いの建物の外壁は何十年も補修されず黒ずんだり、崩れかかったり、塗装がだいぶ剥がれたりしてみすぼらしい姿を現している。

 

EU加盟が可能となれば経済が伸張することは確実視されているが、政治問題は複雑のようだ。

(国会議事堂)

ベオグラード市内で一番賑やかなショッピング通り

 


(市内の街路樹は暑い光を遮る大きな葉の広葉樹が多い)

 

旅行ガイドブックが無いので観光場所が分からず、ホテルのスタッフから聞いたドナウ川の高台にそびえる城塞跡へ出かけた。

 

城塞跡(公園となっている)はドナウ川から50m~60m位の高さの高台に位置する。視界が広がり展望が良い。

(要塞跡から見たドナウ川と対岸の自然公園)

 

屋台の土産屋で男子プロテニスの世界No.1ランキングのノバク・ジョコビッチの顔写真を印刷したTシャツを見つけた。旧ユーゴスラビアの英雄の顔写真を印刷したTシャツと一緒に並べられていた。

(セルビアの英雄たちの顔写真入りTシャツ ロシアのプーチン大統領のTシャツもある)

 

ロシアのプーチン大統領のTシャツも人気らしい。販売していた若者はセルビアとロシアは血のつながった兄弟だとロシアとの連携を強調していた。セルビア語はロシア語同様にキリル文字を使用している。言葉自体もロシア語と似ている単語が多い。

 

そういえば街の雰囲気も欧州的というより、ロシア的といった方が的を得ている。