2017年8月3日(木)プラハ~ブルノ(チェコ)217km
(地図上でドレスデン(ドイツ)~プラハ~ブルノ~ブラティスラバをピンク色で示す)
プラハから南西方向へ約200kmの位置のチェコでは二番目に大きなブルノへ向かう。ブルノは
次の訪問地であるスロバキアの首都ブラティスラバ(Bratislava)へ行く途中ということもあり寄ってみた。
プラハから高速道路で一気に進む。チェコは国土全体がなだからな丘陵地になっているため、高速道路は長い上り坂とその後の長い下り坂の連続だ。道路周辺の景色は日本の中央高速道路を走っているときの景色に似ている。
高速道路上のガソリンスタンドで休憩中、ドイツからのバイクツーリング集団と居合わせる。バイクはすべてスポーツタイプの飛ばし屋だ。ドイツ人は背が高いので、バイクシートを改造して標準装備より高くしてある。うらやましい。当方は標準装備のシートでは高すぎて、一番低シートにしないと足が地につかないというのに。
(ドイツ人ライダーグループ)
暑い。数日前に宿泊したドイツ南東部のドレスデン辺りから暑さが続いている。今日は37度まで気温が上昇している。湿度は無いものの、バイクを止めると、汗がどっと出てくる。バイク走行中は熱風のため汗がすぐ乾燥する。
ブルノの街に入るとカーナビが郊外へと導く。ホテルは街中のはずだ。ホテルの場所を座標軸で2回設定しなおしてもカーナビは街の方向へ導かない。街中で頼りになるスマホ地図アプリのMaps.meを使ってホテルまで到着。
ホテル(Hotel Zannam 一泊1,060チェココロナ=約5千円強)は旧市街から4km~5km離れているが、ホテルの目の前トラム(路面電車)の停留所があり交通の便は良い。ホテルでは先に到着しているドイツからの中年高年ライダー3名が駐車場わきのテラス席でビールを飲みながら、良い機嫌でいる。
早速、トラム(乗車賃25コロナ=約125円)に乗って旧市街へ市内観光に出かける。プラハと比較すると旧市街こじんまりして、道に迷うことは無い。しかも、観光客もそれほど多く無く、歩いていて人混みに酔うことは無い。旧市街の中心である自由広場には地ビールの屋台とベンチが広場を埋め尽くすほど無数にあり、大勢の人たちがビールを飲んで休憩している。静養するにはちょうど良い大きさの街だ。
(自由広場)
観光ガイドブック「地球の歩き方」には「聖ペテロ聖パウロ大聖堂」の塔からの眺めが良いと紹介されていたので、塔に上ってみる(入場料40コロナ=約200円)。なるほど塔からはブルノの街が見渡せる。
(聖ペテロ聖パブロ大聖堂)
(大聖堂塔からの眺め)
大聖堂横の劇場建物の屋根の一角に鎧姿の日本の武者像が建っていた。何故武者像がと建物内のカフェ従業員に聞いてみたが、誰も答えられなかった。
(劇場屋根上の鎧姿の武士像)
もう一泊しようと思い、ホテルに空き部屋があるか尋ねた。空き部屋は無いとのことだったので、翌日は次の目的地であるスロバキアの首都ブラティスラバへ行くことにする。
8月4日(金)ブルノ(チェコ)~ブラティスラバ(スロバキア)122km
空模様を心配していたら午前8時くらいからにわか雨になる。気温が22度程度まで一気に下がる。前日37度の猛暑だったので、涼しくて気持ちが良い。
天気予報では午後には晴れる予測のため、午前中はホテルでブログの更新等を行い、雨が上がったら出発することにした。
前日ブルノの旧市街散策時に持ち歩いた観光ブックが見当たらない。置き忘れたりした場所は昨日買い物に寄った旧市街のスーパーくらいしか心当たりがない。
13時には雨は上がり、晴れ間が差してきた。次の訪問地であるスロバキアの首都ブラティスラバへ行く途中にブルノ旧市街のスーパーに念のため寄った。
観光ガイドブックが「あった」。やはり昨日買い物をしたスーパーだ。レジ係の人が保管してくれていた。これから行くスロバキアについても掲載している観光ブック故、重宝する。
今までのツーリング中、3回置き忘れ等をしたが、すべて現地の人の親切で、忘れ物を発見できた。
特にベルリンの駅のプラットホームでパスポートとクレジットカード等が入った貴重品袋を知らない間に落とした際に、「何かを落としましたよ」と注意してくれたドイツ人女性に感謝したい。
ブルノ(Brno)からブラティスラバ(Bratislava)までは高速道路を通って行く。120kmの距離と短いので余裕が出る。
ブルノからしばらく走ると一面が畑で見晴らしがきく平原にでる。更に走るとひまわり畑になっている。ひまわり畑はスペイン南部のような南欧にしかないと思っていたが、チェコにもあったとは意外であった。 やはり暑いからか。
(視界が開けた平原の畑)
(道路脇のひまわり畑)
チェコからスロバキアの国境は小さな川だ。高速道路脇の交通標識にスロバキアと掲示してある。旧国境検問所後は休憩所になっている。国境がなくなって人や物の移動が自由になったことは画期的だ。現状では無理としても、日本、韓国や中国の国境検問所(税関検査)等が無くなって往来が自由になったらどのようになるのであろうか?
(旧国境検問所は休憩所になっている)
スロバキアに入ってからの高速道路周辺の景色はチェコと一変する。スロバキアは森が多い。松の森だ。高速道路を作るために森を切り開いたようだ。
ブラティスラバには四泊予定なので、アパート(ホテル形式のマンションで炊事も可能)を予約していた。24時間受付対応のスタッフも常駐。各部屋に専用WiFiが装備されているのでWiFiの接続が良好だ。一泊38ユーロ(約5千円)、駐車代は別途5ユーロ(約650円)。
(ブラティスラバで宿泊したアパート)
8月5日(土)ブラティスラバ(スロバキアの首都)2日目(市内散策)
旧市街の歴史的建造物を見学。ブラティスラバはブダペストがオスマントルコに占領された16世紀半ばから19世紀初頭までハンガリー帝国の首都がおかれたところであり、フランス革命でギロチン台の露となったマリー・アントワネット妃の母親であったマリア・テレジア女帝が戴冠式を行い、居住した場所でもある。
市内の中心は旧市庁舎前のフラブネー広場だ。首都の割にはこじんまりとした旧市街地と広場だ。広場を囲む建物には日本大使館やフランス大使館もある。
(日本国旗が掲揚されている日本大使館)
午前10時過ぎなので、観光にはまだ早い時間帯かもしれないが、往来の人が比較的少ないのでのんびりできる。ここでも中国人観光客は目立つ。団体旅行ではなく個人や家族旅行で訪れているようだ。
ここの街の観光客からは英語はあまり聞こえない。主な観光客はチェコ、ポーランドやハンガリー等の周辺国からのようだ。
マリア・テレジア女帝等歴代の王が戴冠式を行った聖マルティン教会は見ておきたかった。
(聖マルティン大聖堂)
また、マリア・テレジア女帝が好んで居住したというブラティスラバの街を見下ろす丘の上に建つ城も見ておきたかった。
(18世紀末のブラティスラバ城 絵から転載)
(現在のブラティスラバ城)
丘の上の城からは街の中を流れるドナウ川とドナウ川対岸に建つマンション群、更にその先の無数の発電用の風車が良く見える。旧市街、新市街、新産業の調和がとれた風景となっている。
(城の塔から見えるブラティスラバ郊外の電力用風車群)
城の建物内が博物館になっているが、城の塔からの眺望以外見るべきものは無い。入場料の8ユーロ(約千円強)は高いと思った。
観光場所である旧市街を離れた街中の建物には落書きが目立つ。せっかくの美観が台無しだ。
旧市街を歩いていると、中年の男が突然当方の隣にきて肩組をして。男の友人らしきもう一人の男が写真を撮る。中国人が多いのにそんなに東洋人がめずらしいのか。当方が、「どこの国から来たのか?」と尋ねると男は「セルビアからだ」と答える。
セルビアと言えば、男子プロテニス世界No.1のノバク・ジョコビッチが同国出身であることを思い出して、当方が「ジョコビッチ!」と言うと、男は「錦織!」「ユニクロ!」と言い返すではないか。
ジョコビッチはユニクロと契約をしてテニスの大会では常時ユニクロのテニスウェアを着用しているから、男はテニスを良く知っている。
8月6日(日)ブラティスラバ3泊目(午後市内散策と調髪)
朝から雨だ。晴れたら近場に日帰りツーリングに出かけても良い気分に昨日なっていたが、雨ではツーリングをする意味が無いのであきらめる。その代わりに、写真を掲載できなかった6月前半のブログ(シマノフスク~モゴチャ~チタ~ウランウデ~モンゴル~ロシア再入国~イルクーツク~クラスノヤルスク~ノボシビリスク)に写真を掲載する作業を行う。ブログは全て写真掲載となった。
午後2時過ぎに一時的に雨が止んだため、国立ギャラリー(美術館)へ足を運ぶことにした。徒歩で20分強の距離だ。前日及び前々日は30度以上の暑さだったので、20度前後に下がり気持ちが良い。
途中雷雨のため雨宿りをしたりして国立ギャリアリーに到着したが、建物自体が取り壊し中であった。
(ドナウ川)
せっかく街中(ドナウ川のほとり)まで歩いてきたので、今度は近くの自然博物館へ行くことにした。自然博物館は日曜日のためか入場料は無料。自然がテーマ故、太古の時代の化石、恐竜の骨から現代の野生動物のはく製が展示してあるはく製動物園ののような博物館だった。ブラティスラバまで来て見に行く所ではない。唯一目を引いたのが鉱物資源の標本だ。ここでも金は取れる。もともとスロバキアは中欧のマンチェスター(英国の産業革命の原動力になった石炭は英国マンチェスター付近で採掘)と言われたほど石炭が豊富であり、鉱山業が盛んだった。
(金が混じった鉱石)
前回髪調髪したラトビアのリガから3週間経っていたため、通りがかりの美容院(床屋)で調髪する。この国では床屋と美容院が分かれていないようだ。女性客が3~4名と男性客が1名いた。当方の短い頭髪をバリカンで更に短くしてもらう。ロシア・東欧の男性は坊主頭に近い短髪がの人が多い。そのため、美容院でも「髪の毛を短くしてほしい」注文すると当地の男性の頭のように坊主頭に近い短髪になってしまう。料金は8.7ユーロ(約1,200円)
8月7日(月)ブラティスラバ証券取引所訪問
週末を挟んだ翌月曜日に証券取引所とアポイントがあったため、ブラティスラバに4連泊することになった。
ブラティスラバ証券取引所は市内の中心部にある3階建ての小さなビルの中にあった。外見では
証券取引所と判断ができないぐらい小さなビルであった。
面談したのは財務省出身の40歳代前半の幹部社員。同証券取引所が1993年に開設された。しかしながら、資本市場の育成が隣国チェコほど上手く進展せず、苦境に立たされているようだ。
苦境の理由は、マーケットのシンボルとなるような大手企業(元国営企業)が取引所に上場されいない。株式時価総額(会社の価値)が小さい中小企業しか上場されておらず、流動性が無い(取引売買が成立し難い)。投資家が育っていない等。
更に取引所ルールはEUの統一規制に従うため、今後対応する資金及び人材が不足しているので存続の危機さえあると先行きが暗い話しか出ない。
当方から問題が山積しているからこそやりがいがあるのではないかとか、市場経済になってから同国は日が浅く経済成長の伸びしろがある等ポジティブな発言で励ます。
スロバキアは人口5百万の小国だが、エストニア(人口1.3百万人)、ラトビア(人口2百万人)リトアニア(人口3百万人)のバルト3か国は市場の相互乗り入れでスケールメリットを出そうとしている。スロバキアにも工夫して発展してもらいたいと願う。
因みに、ブラティスラバ株式市場の時価総額(上場企業約250社の価値)は40億ユーロ(約5千億円強)と日本の準大手企業一社ほどしかない。市場で売買取引が成立するのは約20銘柄(企業)位と言う。継続的に配当金を出す企業が上場企業の一割程度では、投資をアピールするには努力が必要だ。