アウシュビッツ収容所(クラクフ日帰りツーリング)とシンドラー工場博物館見学(2017/7/22) | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

2017年721日(金)アウシュビッツ収容所見学(クラクフから往復143kmの日帰りツーリング)

アンネの日記でも紹介されたナチスドイツが行ったユダヤ人の大量殺人が行われたアウシュビッツ収容所を見学した。一度訪れたいと思っていた場所だ。アウシュビッツ元収容所はクラクフから約50km西に位置するオフィシエンチム(Oswiecim)の町に収容所全体が博物館として保存されている。

 

前日クラクフのツーリストインフォメーションで「アウシュビッツ収容所を見学したいが」と相談したところ、見学予約は既に一杯なので、当日午前8:00までに現地で入場券を買わなければ見学できないとアドバイスをもらう。


 

そのため、早朝の5:30にバイクでホテルを発ちオフィシエンチムへ向かう。有料区間(5ズローチ=約150円)がある高速道路A4を走る。料金所には日本のETCのような料金を電子式に徴収するゲートと現金で支払うゲートの2つがある。間違えて電子徴収式のゲートに入ってしまった。早朝で当方の後続車は1台のみだったので、バック(後進)してもらい電子徴収式ゲートから現金支払いゲートへ移る。日本の場合、料金所にETCと大きく書いてあるので分かりやすいが、ポーランドの料金所ではどのゲートが電子徴収式かなのかわかりずらい。

 

そもそも有料高速道路はほとんどないので、有料道路でも現金支払いゲートが大半だ。そのため復路での料金所ゲートは手前から約2km区間が交通渋滞となっていた。

 

アウシュビッツ収容所博物館には7:00過ぎに到着。駐車場に止めてある車の数は少ないが、入場券販売の窓口前にはすでに3040名ほどの人の列がある。列に並び9:30スタートの英語のガイド付き見学の入場券を買う(45ズローチ=約1,400円)。

(アウシュビッツ収容所博物館の入口建物)

 

待っている間にぞくぞくと大型観光バスが到着する。個人で来る人より団体で来る人が圧倒的に多い。

 

ポーランド語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語等多言語のガイドツアーが約30分~1時間刻みである。

 

ガイド無しで自由に見学も可能だが、ただ見るだけでは収容所の建物が何であるか分からず、また、収容所の各建物内で何が行われたのか、何を展示してあるのか等の意味が分からないままさっと通り過ぎて終わってしまう。

ガイドの説明を聞くと約70年前にここで百万人以上のユダヤ人を主とする人たちが命を奪われたことが実感できる。

 

ポーランド人ガイドはこの地に、収容所内の各建物内に見学者を案内して、大量処分された人々の靴、旅行カバン、2トン(4万人分)の女性の髪の毛(厚手の軍服用の繊維の材料に使用)、銃殺処刑場、ガス室、遺体焼却炉等を細かく説明してくれる。

 

(アウシュビッツ収容所の内部)

 

 

(収容されていた人々はこのような囚人服を着せられた)

 

(模範囚の集団ベット。一段一つのベットにに10人が肩を並べて寝たと言いう)


(収容されていた人々の写真。戦争後半になると収容された人々が多すぎて写真さえも取らなくなったという)

(収容所解放時に生き残った女性は80kgの体重が23kgまで減少するほど食べ物が無かった。女性は解放されて間もなく死亡)

 

写真の奥の壁は銃殺用の壁。天気に関わらず銃殺刑も執行された。

 

収容所内で大量殺人が行われたカス室内部

 

(遺体の焼却炉)

 

アウシュビッツ収容所から2kmほど離れた場所

にアウシュビッツより大規模なバウクナウ(Birkenau)収容所がある。

 

収容所内には貨車の引込線がある。ドイツ、ポーランドをはじめギリシャ、ハンガリー等の汎ヨーロッパ諸国からユダヤ人がぎゅうぎゅう詰めの貨車で送り込まれ、貨車から降りた場所で強制労働組と即刻ガス室での処分組に無慈悲に選別された場所だ。

(監視塔から見たバウクナウ収容所)

 

(貨物の引込線と奥に見える監視塔)

 

(このような貨車に詰め込められ輸送されてきた。)

 

(当時の引込線上で輸送されてきた人々)

 

(当時の引込線と貨車)
 

有刺鉄線で囲まれた1km四方の収容所跡内には復元された木造の収容所建屋等があるが、当時の建物は煉瓦造りの煙突後ぐらいしか残っていない。

(木造バラック内の集団ベット。一段の一つのベットに20名位の人々が寝た)

 

(プライバシーが無い集団トイレ)

 

大量焼却炉の跡地には現在国際慰霊碑が建つ。その脇では星とストライプの模様のイスラエル国旗をマントのように背に付け肩組して鎮魂の歌を合唱20名ぐらいのユダヤ人団体が目を引く。

ガイド付き見学は9:30スタートで13:00終了。

 

722日(土)クラクフ滞在3日目  シンドラー工場博物館(ナチス占領下でユダヤ人を救ったホウロウ工場博物館)を見学

第二次世界大戦中のクラクフでドイツ人実業家オスカー・シンドラー(Oskar Schindler)が自ら経営するホウロウ工場で強制収容所送りにならないようにユダヤ人を工場に雇い入れ千人以上のユダヤ人の命を救う実話の工場が博物館になっている。

(シンドラー工場博物館の入口)

 

自らがユダヤ人でもあるスディーブン・スピルバーグ監督が「シンドラーのリスト=英語ではSchindler's list」という題名で1993年に実話を映画化している。

 

博物館ではドイツの占領下にあったクラクフでユダヤ人が集団でゲットー(塀で囲まれ移動の自由が無い地区)へ強制移動され、その後強制収容所に送られ迫害されていく様子や当時のナチスのポーランド占領政策等が英語でも説明されている。

 

展示されている集団絞首刑の写真や物乞いする幼い子供の写真を見たり、当時のユダヤ人たちの切迫している状況を綴った手紙(英語の翻訳)を読むと気分が滅入ってくる。

(ゲットーで物乞いする子供・当時の写真からの転載)

 

前日アウシュビッツ収容所を見学していたので、シンドラー工場博物館の展示内容が良く理解できる。資料を詳しく見て博物館を見学したら3時間かかった。ナチス占領下の当時、ポーランド人でもユダヤ人をかくまったり、援助すると家族全員が死刑になったという。映画を見みていないので詳しくは知らないが、人間性が試されているようだ。

 

この博物館は外国人観光客にも人気の場所らしく、特に英語ガイドに引率され訪問する団体の外国人観光客が多い。皆真剣にガイドの説明に耳を傾けていた。同博物館内は狭いため、一度に入館できる見学者数を約350名に制限している。当方は入場券を買う列で30分待機。

(オスカー・シンドラー氏の名前が刻まれた石碑)