2017年7月15日(土) リガ滞在2日目 旧市街の散策
午後旧市街(オールドタウンと呼ぶ)の散策に出る。中世にバルト海貿易で栄えた街並みが保存されている場所が旧市街で、観光のスポットとなっている。
地球の歩き方を片手に、観光所に載っている大聖堂を見学する。旧市街を歩いているとどこからともなくフルートの音色が聞こえてくる。石畳の街にフルートの音色はよく合う。旧市庁舎前の広場で若い女性がフルートを吹いてお金を集めている。観察していると若い女性には観光客らしき男性が次々をお金を落としてくが、女性観光客はあまりお金を出さない。演奏する場所はパフォーマンスの一等地らしく、フルートが終わると中年男性の声楽に代わる。お金を落としていく人はほとんどいない。声楽ではビジネスにならないようだ。
どこの観光地でも値段は同国の物価水準と比較すると高い。旧市街の露店で販売のアイスクリームは4.2ユーロ(約540円)だ。ホテル従業員アレクセイ君の3時間分の時給だ。日本でい言えば恐らく2千円以上の相当の価格だが、物価の高い他のヨーロッパ諸国からの観光客にとっては別段高い価格ではない。
地元の人たちが利用するホテル近くのビストロでテイクアウト用の鶏の照り焼きとキャベツ中心の温野菜を注文した。価格はパンも含めて2.12ユーロ(約280円)。これがが現地の適正価格だろう。
7月16日リガ(ラトビア)~ヴィリニウス(リトアニア)290km
薄曇りの中8:40にホテルを出発。気温は15度と走り出したら少し寒く感じる程度。厚手のバイク用皮ズボンの下には薄手のタイツをはいて丁度良い程度の気温だ。ロシアでは調子悪かったガーミンのカーナビがここでは問題無く作動する。
日曜日の朝とあってリガから郊外へでる道路の交通量は少ない。周りの景色は穂先が少し茶色を帯びてきた小麦畑が一面に広がる。畑と林の中をほぼ一直線に道路が通る。交通量が少なく、また、通行する車が車間距離をとり制限速度を守って走るため比較的のんびり走れて気持ちが良い。制限速度は街中では時速50kmか70km。郊外に出ると時速90kmか110kmが制限速度となっている。
そろそろリトアニアに入ったかなと思っていたら建物だけが残っている旧国境検問所に差し掛かる。道路わきに「ここが国境です」とか「リトアニアに入国しました」等の交通標識が無く旅情感に欠ける。少し寂しい。
バルト3か国には山が無く道路は平坦だ。リトアニアに入っても景色は変わらない。行きかうトラックが少ない。この国では物資はどのように運送するのだろうかと考える。ロシアでは行きかう車の半分は長さ20mくらいの大型トラックであったが、バルトの国々ではトラックは交通量の数パーセントの印象だ。
ガソリンスタンドは20km毎にある。ガソリン価格がエストニア~ラトビア~リトアニアと先に行くに従い徐々に安くなる。
エストニアでは95(オクタン)のハイオクが1.15ユーロ/Lが、ラトビアでは1.13ユーロ、リトアニアでは1.09ユーロといった具合だ。
ヴィリニュス手前100kmからヴィリニュスまでの区間は片側2車線で中央分離帯が10mと広く余裕をもって作られているのでスピードを出しやすい道路である。車の流れが時速130km~140kmと速くなるが、スピードを出している感じがしない。ここは馬力がある大型オートバイのメリットで順調に車の流れに乗ることができる。 13:00には予約したヴィルニウスのホテル(Hotel Europa City Vilnus 一泊38ユーロ=約5千円)に到着。
早速、旧市街の散策に出かける。タリン(エストニア)やリガ(ラトビア)に比較するとまだ観光化が進んでいないようだ。外人観光客の姿が少ないし、中国人観光客もほとんどいない。観光名所も少ないようだ。
ツーリングの目的の一つが訪問国での証券投資に関する情報収集であるので、証券取引所であるナスダック・ヴィリニウス(Nasdaq Vilnius)を訪ねた。旧市街と川を挟んだ向かいのビジネス街に位置する。人口50万人強の都市のため道行く人の姿は少ない。
証券取引所へはメールで事前に訪問の可否について問い合わせたが、返事が無かったので当日電話問い合わせの上アポイントをもらい訪問。ビジネス街の大手外資系会計事務所等が入居するオフィースビルにナスダック・ヴィリニイウス(電子証券取引所)がある。
配当利回りが3%~6%と比較的高いため個人が多い市場とのこと。バルト3か国の株式市場時価総額が大手企業32社で構成する一部市場(Regulated Market)でさえ53億ユーロ(約7千億円)では機関投資家の投資対象にはなかなかなり得ないのだろう。日本の準大手企業1社の時価総額だ。
市場の指数であるOMXに連動する上場投信(OMX Baltic benchmark fund)が外国人投資家には分かり易いとアドバイスをもらう。
また、好調な経済を背景に不動産価格も上昇気味なので、不動産企業が投資対象のBaltic Horizon Fundも面白いとのアドバイスも。ちなみにヴィルニウスの新築マンション価格は2ベッドルームタイプで10万ユーロ(約1300万円)、中古物件は新築の半分の5万ユーロ位だろうとのことであった。住宅価格は年収の何倍に相当するのだろうと給与を聞いてみた。平均給与という概念は無いが大卒者で月収700ユーロ(約9万円強)~1,000ユーロ(約13万円)。最低賃金は月収400ユーロ(約5.2万円)とのこと。
証券取引所である事務所の見学は正式なグループでの申請が無いとできないとのことで果たせなかった。
7月18日(火)ヴィルニウス(リトアニア)~ワルシャワ(ポーランド)474km
朝食をのんびり取ったため出発が9:15分といつもより遅くなる。ロシアを出国して以来ガーミンのカーナビが一発で目的地までの道順を示すので出発時間が遅くなっているようだ。
今日も晴天のツーリング日和。郊外で出ても景色はあまり変わらず。片側1車線の道路をポーランド方面へ進む。ヴィルニウス(リトアニア)から西方120kmでポーランドへ入国できるはずだ。
森を抜けると国境の検問所がある。ポーランドとの国境に何故検問所があるのだろう不思議に思ったがパスポート検査の順番待ちの列に並ぶ。順番待ちの車はあまりない。検問所の係官にこの道路の先はベラルーシだと教えてもらい初めて間違い気が付いた。カーナビはベラルーシとの国境を考慮せず単にワルシャワへの最短距離・時間のルートを示すだけだ。ベラルーシ入国にはロシア同様ビザが必要で手続きが面倒だ。
(この先の建物がベラルーシの国境検問所)
検問所でUターンして、今度はスマホのMaps.me(カーナビアプリ)を頼りにワルシャワへの道順を進む。Maps.meの道順に従って進むと幹線道路を外れて、田舎道へ入る。その田舎道が舗装道路からダート道(未舗装)へ変わる。さらに進むとダート道が車一台の通行がやっとぐらいの幅に狭くなっていく。この道でほんとに大丈夫だろうかと少し心細くなるが、ここまで来たら引き返すのは時間の無駄と考え、更に先に進む。小さな集落の住宅地に出た。
(この先ダート道がもっと狭くなる)
(国境付近の道)
後で地図で確かめるとどうやらリトアニア・ベラ
ルーシ国境沿の道をリトアニア・ポーランドとの国境まで最短ルートで進んでいたらしい。
ポーランドに入国すると(どこからポーランドとは表示無いが)道路がリトアニアと少し違うので、ポーランドに入国したことが分かる。ポーランドの片側1車線の対面通行道路には路肩が無い。また、目的地までの距離や方向を示す道路標識が緑色になっている。ロシアも含めバルト3か国は青色の標識だった。
(ポーランドに入ると道路に路肩が無い)
片側1車線の対面通行の道路には路肩が無く道路が狭く感じる。交通量も増えトラックが多くなるのでバルド3か国に比較するとロシアほどではないが窮屈な感じだ。
ワルシャワまで一本道ながら、途中の町々では、町の中心部を通り抜ける道路のため、町中では自然渋滞にあう。走行距離が470kmの割にワルシャワ郊外のホテルに到着したのは現地時間17:30(リトアニア時間なら18:30)と時間がかかる移動であった。宿はHotel Colibra 一泊158ズローチ(約5千円)二間続きの(スイートルーム)広い部屋だ。
バイクで移動中は昼食は取らないようにしている。昼食を取ると睡魔におそわれることと昼食のため時間を節約できるためだ。そんなわけで、今日も通りすがりの町の銀行ATM機で現地通貨(ポーランドはEUに加盟しているものの、ユーロは使用しておらず、ズローチという通貨を使用)を引き出したついでに、銀行の隣にあった食堂で紅茶とケーキで小休止したのみであった。
2017年7月19日(水)ワルシャワ証券取引所見学
ワルシャワ証券取引所が見学可能かどうかメールにて事前に数回問い合わせを試みたが、メールが送信できず。送信できない理由がポーランド語で書いてあったが、意味が分からないので対応策が無い。恐らくセキュリティーが厳しくて、当方のメールが不審メールと認識され受け取りを拒否されたと推測。当日電話にて証券取引所に電話して話すも、要件をメールにて送ってほしいとの一点張りで先に進まない。証券取引所へ行って直接話をしてみることにした。
やはり直接話した甲斐はあった。証券取引所の説明係の女性が対応してくれた。電子取引が行われている証券取引所のオフィース内への立ち入りはできなかったものの、ガラス越しに取引所の株価表示の電子掲示板等があるイベントホールを見ることができた。
ワルシャワ証券取引所は1820年代に創設された古い証券取引所だが、第二次世界大戦から共産主義の時代の約半世紀間は閉鎖されていたとのことで、1991年に再会され中東欧では時価総額が最大の取引所との説明を受ける。
共産主義の時代には旧取引所があった建物は共産党本部として使用され、現在はショッピング・オフィースビルとして使われている。現在の取引所は、旧取引所建物の隣のオフィースビル内にある。
(かって共産党本部があった旧証券取引所ビル)
(取引所が入居するビル)
上場企業数は約千社、株式市場の時価総額約30兆円ほどの規模だ。新規の株式公開(IPO)の数が比較的多く欧州でも注目を浴びているとのこと。今年7月末にも大手携帯通信会社の新規株式公開が予定されており、投資家が注目しているらしい。この市場では外人投資家が半分以上の取引シェアを占めており、自国の個人投資家はあまり多くない様子。
ユーロ(EUの通貨同盟)には未加入故、自国の金融政策はユーロに縛られずユーロより高金利となり、好調な経済状況を表しているようだ。
説明してくれたお礼に日本から持参したインク文字が消せるポールペンを係の女性に差し上げたら、大変喜ばれた。どこの国でもちょっとした気遣いは伝わるようだ。
証券取引所見学のついでに旧市街にも足を伸ばしてみてた。旧市街のメインストリート(新世界通り=Nowy Swiat)沿いの歩道にはレストラン、カフェバーのテラス席が並び休憩する人、食事を楽しむ人と観光客でいっぱいだ。北の国なのにちょっと南欧の町の雰囲気に似る。古い町並み、由緒ある教会、旧王宮、オペラハウス等見物には事欠かない建物や場所が豊富だ。ここでも中国人の団体環境客は多い。
(王宮)
日本の観光ガイドマップ(地球の歩き方)に掲載されていた旧市街の裏通りにあるはずのポーランド中央銀行の建物でも見ようと更に歩き進む。ガイドマップ上の中央銀行の場所にそれらしき建物が無い。その場所にはBank Clubという名のいかがわしそうなキャバレーがあった。その場所から先は歓楽街のようだ。
街に駐輪してあったホンダCB550Four。
1974年~1978年に製造された当時の最大バイク・ナナハン(ホンダCB750)を一回り小さくしたモデルだ。日本ではほとんど見かけなったので写真に収めた。スピードメーターの走行距離は6万キロ強となっていた。
2017年7月20日(木)ワルシャワ~クラクフ(Krakow) 287km
ワルシャワのホテルを8:30に出発する。晴天だ。朝から気温は20度と比較的高い。暑くなることを見込んで夏用の一部メッシュのライディングパンツを着用。ライディングパンツの下には薄手のタイツをはくが途中暑くなったので、休憩所のトイレで脱ぐ。
クラクフはワルシャワへの遷都までの11世紀から16世紀末までのポーランド王国の首都。日本で言えば京都だ。幸いにも戦災は免れ、ユネスコの世界遺産にもなっている。
クラクフはワルシャワのほぼ真南に位置する。ワルシャワから片側2車線の高速道路を南下する。ワルシャワからラドム(Radom)までの約100キロメートル区間の道路沿いにはリンゴの果樹園が広がる。日本の風景に似る。
ラドムから更に南下すると丘陵地帯になり風景が変わる。100m四方位に区分けされた農地がパッチワークのように見える。
日本の秋の収穫前の田園のように黄金色になった小麦畑、背丈が1mほどになった緑色のトウモロコシ畑が美しい。小麦とトウモロコシがこの時期の主要なの作物のようだ。区分けされた農地がバルト3か国やロシアに比較すると小さく。大規模農業ではないようだ。
クラクフまでの最後の100km区間は道路幅を広げる工事のため、片側1車線の規制を行っていた。数年後にはワルシャワ~クラクフまでは途中の都市の街中を除けば、立派な高速道路でつながることになる。クラクフに到着する頃には道路上の気温は34度まで上昇。湿度は無いものの暑い。
クラクフでは旧市街入口の小さなホテルに投宿(Hotel Astor 180ズローチ=約5,500円)。
ホテルへ14:30と早めに到着したため、旧市街の見物に出かける。かっての都とあって、旧市街の街並みの規模は大きく、数々の歴史的建造物も多く一見の価値はある。
旧市街は約300m四方の中央広場が中心となっている。広場の中央には長さ100m位の巨大な旧繊維取引所建物がある。内部は東京御徒町のアメ横のように土産屋等が立ち並び観光客で賑わっているいる。かっては馬車を連ねて取引に来た外国からの商人たちでにさそかし賑わっていただろうと想像するのも楽しい。