モスクワ~サンクトペテルベルグ~タリン(エストニア)~リガ(ラトビア)2017/7/9~7/14 | インベストメントライダーふるさんのブログ Investment rider Seiji Furuhashi travelling around the world by motorcycle

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オートバイで世界を駆け回るインベストメントライダーを目指す個人投資家。
オートバイでのユーラシア大陸横断と南北アメリカ大陸縦断、アフリカ大陸とアラビア半島横断、東南アジア・インド・中近東等走行後、2025年4月~9月欧州・中央アジアをツーリング中。

2017年79日(日)モスクワ~ビシニ・ボロチェック(Vyshniy Volochek) 300km

モスクワからサンクトペテルベルグまでの距離は約700kmある。一日で走破すると翌日に疲労が残るので、中間地点のビシニ・ボロチェックというロシア人でもあまり知らない小さな町で投宿することにした。モスクワから300km。途中休憩を入れてモスクワから約6時間かかる。

 

モスクワ滞在中の一週間は毎日雨にたたられる。今日も雨の中を出発。ロシアは雨が降ると気温が急に低下する。本日も例外なく気温は10度と肌寒い。日曜日の雨の早朝とあって、道行く車も少なくサンクトペテルベルグに通じる有料高速道路M11までスムーズに進む。

 

ロシアで有料高速道路(M11)を走るのは初めてだ。そもそもロシアに有料の高速道路があることさえ知らなかった。

モスクワから北のサンクトペテルベルグ方面への約50km区間が有料の高速道路になっている。片道3車線の新東名高速道路のような広い高速道路であるが、車がほとんど走っていない。ロシアの物価水準では高速料金が高いからだろう。50km区間の料金はバイクで450ルーブル(約900円)。たぶん日本の2500円~3000円に相当する金額だろう。これでは宝の持ち腐れだ。

 

モスクワ~サンクトペテルベルグ区間は日本で言えば東京~大阪間に相当するロシアでも一番の中枢地帯だ。この区間は人口密度も多く日本の街道の景色のように道路沿いの民家が途切れなく見える。

 

高速道路を降りて、民家と道路沿いに遮音壁が設置されている区間をロシアで初めて見た。高さ3mほどの防音壁だが人間の高さあたりが透明で見通しが効くようになっている。

(モスクワからビシニ・ボロチェックへ向かう防音壁がある区間)

 

(沿道の防音壁。沿道住民の出入り口もある。)

 

この区間も大型トラックの交通が多い区間であり、絶えず前後のトラックを意識して走行せざるを得ず快適なツーリングとは言えない。

 

午後2時にはビシニ・ボロチェックの町に到着する。ホテル(Hotel Berezka, 宿泊料素泊まり1,700ルーブル=約3,400円)は、この町の規模では大きすぎるソ連時代に建てられたとおもわれる客室数50程度のホテルだ。ホテルの稼働率を重視すれば、もっと小さくで十分だ。社会主義が破綻するの頷ける。

(ビシニ・ボロチェックのホテル。町の規模には不釣り合いのソ連時代の大型ホテルだった。)

 

カラオケとディスコを兼ねたような町のレストランで夕食を取る。夕方7時頃では時間が早すぎるためが、当方以外のお客さんは誰もいない。

 

7/10(月)ビシニ・ボロチェック~サンクトペテルベルグ(398km)

ホテルから出発する際、駐車場で地元の若者一人がお金をせびりに来る。当初は当方のバイクが珍しいので見たいと思っていたが、月曜日の8時に酒臭の匂いをぷんぷんさせて話しかけている男にろくな人はいない。無視していても執拗に1ドルだのと言ってくる。駐車場に工事の人たちが複数くると酒臭い若者は連れのもうひとりとどこかへ行ってしまった。

 

モスクワでもホテルの駐車場で通りががかりの男に煙草をくれとせがまれたが、お金をせがまれたの今回が初めてだった。このような男は他人の目がなければ何をしでかすかわからない。酒の匂をさせて話しかけてくる男からは直に離れることを肝に銘じる。

 

前日と変わり晴天でツーリングには気持ちが良い。国道沿いに町が点在するため、100kmで走っていたかと思うと信号が赤突然あかになるGo&Stopの区間が多い。

 

国道は変則2車線となる。変則2車線とは、上りと下り車線が1本づつのほか、残りの1本が約500メートル毎に上り車線になったり下り車線になったりと入れ替わり、追い越し車線となる。日本には無い発想だ。

(サンクトペテルベルグへ向かう途中の道路。上下三車線の道路の真ん中車線が、上車線になったり下車線になったりする。)
 

道路を脇の草むらでひっくるかえっている乗用車があった。その事故車両の脇は大きな花輪が添えられていた。たぶん居眠り運転か何かで猛すピートで道路から飛び出し、ひっくり返ったのだろう。当方もうとうと居眠り運転に近かったのですぐにバイクを路肩に止めてバイク上で休憩する。

(サンクトペテルベルグ方向を示す道路標識)

 

サンクトペテルベルグが近づくと交通量が多くなり、首都高速道路のようにほとんどの車が車間距離を空けずに走っている。交通量が多い道はプレッシャーだ。カーナビとMaps.meを頼りに予約してあったエルミタージュ美術館とは目と鼻の先にある小さなホテルに到着(Prestige Hotel Centre 料金は朝食付き一泊4,470ルーブル=9千円)。

(サンクトペテルベルグの目抜き通り=ネフスキー大通り)

 

(サンクトペテルベルグの運河と血の上の教会=写真中央)

 

夕食には8年前に寿司を食べたことがあったサンクトペテルベルグの銀座通りともいえるネフスキー大通りにあるTokyo Cityという名のレストランを探し出して入ってみた。お手頃の料金なので、レストランの外に列を作って待たなくてはならないほどの人気レストランだ。メニューが写真付きなので便利なのだが、8年前にたべたような江戸前寿司のセットメニューが無い。寿司のセットメニューを頼んだが、サーモン巻きの上にうずらの生卵がのっているのには驚いた。ちょっと食べれたものではない。

(サンクトペテルベルグ中心部のTokyo Cityというレストランの寿司。生卵がのった寿司には驚いた)

 

711(火)サンクトペテルベルグ滞在2日目 エルミタージュ美術館見学

去に数回エルミタージュ美術館を見学したことがあったが、今後訪れることは無いだろうと考え、見納めのため入場券を買う列に並ぶ。入場者数の制限をしているため、列に並び約90分待って入場券が買えた。入場券を既にに持っている人の入場制限は無い。知っていれば、事前に入場券を入手すべきだった。

(エルミタージュ美術館前の広場。 写真左がエルミタージュ美術館)

 

エルミタージュとは隠れ場という意味だが、かってはエカテリーナ女帝(二世)のために贅を尽くして立てた巨大な宮殿だ。その宮殿の大きさには圧倒される。展示絵画はロシア帝国が海外から買い集めたものが中心だ。レオナルドダビンチ、ラファエロ等イタリアルネッサンス期の絵画をはじめ、フランドル(ベルギー・オランダ)のブリューゲル、ルーベンス等の著名な絵画が豊富だ。入場料700ルーブル(約1,400円)。日本語の音声説明器も500ルーブル(約千円)で貸出ている。

(エルミタージュ美術館)
 

こんな大きな美術館も多くの見学者でごった返している。ゆっくり絵画を観賞というより見学者の隙間をぬって見て回る疲れる観賞だ。ここでも団体の中国人見学者の数が多い。モスクワの美術館でもそうであったが、ここでも中国語の案内書は用意してある。モスクワではKFC(ケンタッキーフライドチキン)の店舗でも中国語のメニューがあったくらいだ。

(エルミタージュ美術館の黄金のクジャクの仕掛け時計前)
 

ネフスキー大通りの歩道にホンダの大型バイク(ゴールドウイングGL1800)複数台が置いてある。何やら看板が掲げてられているので、バイクに跨っているロシア人ライダーに何かと聞いてみた。大型オートバイの観光タクシーだ。500ルーブル(約千円)の料金でサンクトペテルベルグの中心部を回るという。利用している観光客はほとんど見かけなかった。

(ホンダの超大型オートバイゴールドウィンの後部座席に乗ってのサンクトペテルベルグの市内観光を行う業者)

 

712日(水) サンクトペテルベルグ~タリン(エストニア)372km

前日は晴天だったが、今にも雨が降り出しそうな曇天の中を雨具のズボンのみ着用してエストニアとの国境の町イワンゴラッド(Ivangorod)を目指して出発。イワンゴラッドまでは約150kmだ。サンクトペテルベルグを出発して1時間もたたない内にやはり雨が降り出してきた。サンクトペテルベルグは北緯59度に位置する。カムチャッカ半島の付け根ぐらいの高緯度に位置するため、夏でも曇天や雨天時は寒い。道路状況は悪くないので、国境の町まで問題無く進める。国境の町イワンゴラッドにたどり着くが国境検問所の場所が分からない。

 

ガーミンのカーナビの目的地をエストニア側の国境の町ナルバ(Narva)として設定したが、イワンゴラッドの住宅地へと導かれた。通りがかりの住民数人に検問所への道順を聞いてなんとか検問所へたどり着く。

 

国境を超えるトラックの数は多いが、乗用車の数は少ない。検問所の前に列を作っているトラックを横目に検問所へと進み出国手続きを済ませる。15分~20分でロシアを出国する。意外と簡単に済んだ。

 

エストニアの入国審査が意外と厳格だ。通常の書類(パスポートとバイクの登録証書)以外に国際運転免許証、国内運転免許証及びグリーンカード(欧州の自働車自賠責保険)の提示を求められた。

(ロシアからエストニアへ入国する国境ゲート)

 

エストニアに入国すると何故が空気が違うような感じがする。

道路がロシアより数段良くなっている。道路建設にあたり費用の7割がEUから補助だ。エストニアは2004年にNATOEUに加盟している。日本の道路のように雨天でも道路は泥で汚れない。雨天時ロシアでは道路には泥水がたまり、前を走る車がかき上げる泥水を被ったが、ここでは雨水だけがかかるので運転していた前方向の視界が遮られることは無い。

(タリンへ向かう途中のエストニアの道路)

 

エストニア国境からタリン(首都)までの道路沿いに点在する家(農家)の造りはロシアと違う。石造りの家だ。家の周りを防風林で囲っている。おそらく冬場のバルト海からの北風を和らげるためだろう。道路は片側一車線ながら、交通量が少なく、車間距離を十分とって走るため(運転マナーが良い)ため快適だ。この時期に一面が黄色くなった菜の花畑も見る余裕もでる。


(タリンへ向かう道路沿いには菜の花畑が広がっていた)

 

タリン手前70kmぐらいから片側2車線の立派な道路(無料)となる。交通量が少ないのに何故片側2車線道路にしたのだろうか? EUからの補助金ということでコストをあまり考慮しなかったのではないだろうか?

18:00時前に予約していた旧市街からさほど遠くないLillikula Hotelにチェックイン(57ユーロ)。

 

(EUの補助で整備された片側2車線のエストニアの道路)


 

713日(木曜日)タリン滞在 (証券取引所訪問と旧市街見学)

証券取引所(Nasdaq Tallinn)へは事前にメールコンタクトを試みた。しかしながら、宛先不明でメール送信できなかったため、アポイント無しで訪問。

 

20階建ての高層ビルの14階に小さな電子取引所を構える。アメリカNasdaqの孫会社だ。 夏季休暇中のスタッフが多いということでオフィースは人気が無い。保管業務の女性が対応しくれる。 隣国のラトビア及びリトアニアと一緒にNasdaqバルト(バルト電子取引所)を構成している。

(タリンの証券取引所内のモニター)

 

電子取引を行っている場所(事務所)風景の写真撮影は許されなかったが、他の場所の写真撮影は可能であった。エストニアでは、IT関連産業が盛んだ。スカイプはエストニア生まれだ。外国からでも電子メールで同国での会社登記も可能となっているIT先進国だ。

 

エストニア語を話している地元の人の会話を聞いていると日本語のようにも聞こえる。フィンランド語に近いウラル語族言語で、他のヨーロッパ言語と語源が異なる。国が小さい(人口約130万人、国土は九州の約1.2倍の広さ)ため、国を富ませるためには外国と取引や繋がりが不可欠との見地から、若者なら皆流暢に英語を話す。電子取引所(Nasdaq Tallinn)で対応してくれた女性は英語圏の留学経験無しというが、流暢な英語を話した。昼食と取ったレストラン(Edoという寿司屋)でも皆英語を話した。

(タリン市内の寿司店)

 

Kawasakiのスポーツバイクに乗っている若者に声をかけてみたが、上手な英語が返ってきた。ロシアでは言葉に苦労したが、ここでは不自由が無い。また、90年まではソ連の一部であり、人口の3割がロシア系であるのでロシア語も通じる。宿泊したホテルのオーナーはロシア系でホテル従業員同士もロシア語で話していた。

(Kasawakiのスポーツバイクにのる若者)

(タリン旧市街の教会の塔から見たタリン市内の景色)

 

714日(金) タリン(エストニア)~リガ(ラトビア) 298km

 

晴天だが日本の秋のように気温は15度~20度と爽やかなツーリング日和の中、ラトビアのリガ(Riga)に向けて9時前にホテルを出発する。このくらいの気温だと道路上に虫もでておらず快適だ。

 

道路は市内を抜けると片側一車線で最高速度が時速90kmに制限されている。皆制限速度を良く守り、また車間距離も取って走る。運転マナーが良い。ソロツーリング、タンデムツーリング、整然と隊列を組んだ団体ツーリングと多くのオートバイライダーとすれ違う。

(タリンからリガへ向かう途中。オートバイを見かけるようになる)

 

道路は森林地帯、牧草地帯、田園地帯と抜けていく。畑一面が黄色くなった菜の花畑が一番目を引く。

ロシアでは地平線のかなたまで見える風景を数多く目にしたが、そのような視界が広がる風景は無く北海道を走っているような感じだ。

 

エストニアとラトビアの国境の旧検問所跡付近で道路工事による交通規制のため渋滞が少しあった位で、後は順調な通行だ。

 

ラトビアに入るとバルト海のすぐ近くを道路が通るため、バイクを進めていても、木立の隙間からバルト海が見え隠れする。休憩のため、バルト海の浜辺に出てみた。赤茶色の海の色で冷たそうだ。浜辺には日光浴をする人が十名程度と少ない。

(ラトビア入国後の北海)

 

15:00にはリガのホテルRafael Hotel Rigaに到着(44ユーロ 約5,700円)

ホテルで洗濯機を借りて、汚くなった夏用のライディングパンツ等を洗う。ホテルの従業員の若者アレクセイ君はスコットランドで5年働いたが、今年故郷のリガへ帰ってきた。ホテルの時給は1.5ユーロと低いが、やりがいはあるようだ。洗濯機のアレンジ、床屋の紹介、外食先の紹介等当方が依頼することは嫌な顔一つせず応じてくれ、こちらが感心するほどだ。